【57話】プールの誘い
自宅リビングのソファーでくつろいでいる俺の隣に、舞が腰を下ろしてきた。
ニコニコしながら、細長い紙を差し出してくる。
「はい、お兄ちゃん!」
「……なんだよこれ?」
舞が差し出してきたのは、レジャープールの入場券。
唐突な行動に、俺は目を白黒させる。
「この前泊めてくれたお礼、ということで、るーちゃんがくれたんです。舞とお兄ちゃんの分で、二枚いただきました!」
るーちゃんのお母さんの知り合いがプールの関係者で、その繋がりでもらったらしいですよ。
さらに舞は、そう付け加えた。
別にお礼なんていらないのに。
瑠奈ちゃんは律儀だなぁ。
丁寧な気配りに、俺は改めて感心する。
「ということで、三人でプールにお出かけましょう!」
「…………もしかして、俺も頭数に入ってるのか?」
「もちろんですよ! 舞、るーちゃん、そして、お兄ちゃんの三人です! 暑い夏はプールに入って、さっぱりスッキリしましょう!」
「……悪いな。俺はパスだ」
「えー! どうしてですか!」
「そんなの決まってる。人の多い場所が苦手だからだ」
このレジャープールは有名な人気スポットで、毎年多くの人で賑わっている。
そんなところへ行っても疲れるだけだ。
とてもじゃないが、さっぱりもスッキリもしない。
それに、だ。
プールという場所には陽キャがうじゃうじゃ集まると、昔から相場が決まっている。
俺みたいな陰キャは、場違いもいいところ。
わんさかいる陽キャたちの視線が気になっていたたまれなくなるのが、行く前から容易に想像できた。
「ですがせっかくのるーちゃんのご厚意を、お断りしてもよろしいのですか?」
「ぐっ……」
締め付けられるような痛みが胸に走る。
罪悪感という名前のやつだ。
ちくしょう、舞め。
痛いところを突いてくるじゃないか……!
確かに俺のやっていることは無礼だ。
申し訳ない気持ちもある。
でも……それでも俺は、プールに行きたくない!
眉間にしわを寄せ、無言の抵抗をしてみせる。
「どうやらお兄ちゃんの意志は固いようですね。分かりました」
「おぉ、やっと分かってくれたか!」
よかったよかった、と安堵するのだが、
「こうなったら、奥の手を使います!」
舞は諦めていなかった。
奥の手、だと?
なにをする気だよ、こいつ。
不穏なワードに、急速に緊張が高まっていく。
舞の言葉が何を示しているかは、まったくもって不明だ。
だが、ヤバい気がする。
「覚えていますか、お兄ちゃん。『舞のお願いをなんでも一つ聞いてくれる』――以前、舞にそう約束してくれましたよね」
あぁ……覚えているとも。
鷹城さんがベッドで急接近してきたあの日、雨宮さんと陽菜を納得させたくて俺はとっさに嘘をついた。
その際舞にも協力してもらったのだが、交換条件としてそんな約束を交わしている。
「まさかお前、そいつを使う気か……!」
「はい! これでお兄ちゃんはプールに行かなくてはなりません!」
「……。分かったよ」
悔しさをにじませながら、入場券を受け取る。
奥の手とはよく言ったもので、それをされたならもう俺に打つ手はない。
兄として男として、そしてなにより人ととして、交わした約束を破る訳にはいかなかった。
――しかし。
「ごめんなさい、お兄ちゃん! 明日のプール、行けなくなってしまいました!」
前日になって、事態は大きな変化を見せた。
「女子バスケ部に欠員が出てしまって、明日の大会の助っ人を先ほど頼まれてしまったんです。もちろんお断わりしたのですが、どうしてもと言われてしまいまして……」
運動神経抜群だが部活に入っていない舞は、色々な部活の助っ人をしている。
今回の件も、それでお願いされたのだろう。
きっと舞だって、こっちの用事を優先したかったに違いない。
それでも頼み込まれてしまって、どうしようもなかったのだろう。
舞は度を越えたお人好し。
兄である俺には、悩みに悩んだ末の苦渋の決断であることは分かっていた。
申し訳なさそうにしている舞の頭を、優しく撫でる。
怒鳴りつけたりなんてするものか。
「そんな顔するなよ。別に怒ってないから」
「ありがとうございます。明日は舞の分まで二人で楽しんできてくださいね!」
「……あ、あれ? 中止にならないの?」
「なりませんよ」
「だってお前は来ないんだろ? そうなると二人きりってことだよな? 俺はいいとしても……その、瑠奈ちゃんは嫌がるだろ」
友達の兄と二人きりでプールに行くなんて、普通に考えれば気まずいに決まってる。
極度の人見知りな瑠奈ちゃんであれば、なおさらだ。
だから明日の予定は中止。
これでプールに行かなくて済む。
そんな期待を胸に抱き、密かに喜んでいたのだが、
「大丈夫ですよ。るーちゃんはこのことを承知済みですから」
「…………マジ、ですか」
現実は違うようだ。
期待は粉々に打ち砕かれてしまう。
まさかの展開に、呆然とするしかなかった。
******
駅前発のバスに揺られること、約一時間。
炎天下の中、プールサイドに立つ俺はげんなりしていた。
暑い。人が多い。
あぁもう、最悪だ。
早く家に帰りたい……。
そんなことを切実に願う俺の隣では、瑠奈ちゃんが顔を強張らせていた。
「あ、あの……お兄さん。周りの人がものすごく見てくるんですけど、私、どこか変なのでしょうか……!」
「あー……うん。そんなことはないから大丈夫だよ」
瑠奈ちゃんは確かに、周囲の注目を浴びまくっている。
でもそれは、悪目立ちしているからではない。
むしろ逆。
あまりの美少女っぷりに、みんなの目が奪われているからだ。
しかしそれを本人に言うのは、どうにも恥ずかしい。
陰キャの俺には到底無理なことだった。




