【56話】私の気持ち ※瑠奈視点
大急ぎで舞の部屋に戻ってきた瑠奈は、慌ててドアを閉めた。
バクつく胸を両手で抑えながら、頭からベッドへ突っ込む。
「……だらけてばかりではいけませんよ、お兄ちゃん」
すぐ隣では、舞が楽しそうに寝言を呟いている。
正樹との幸せな夢でも見ているのだろう。
その一方で、瑠奈はずーんと沈んでいた。
(やっちゃった……。変な子って思われちゃったよね……)
話の途中であんな風に逃げ出したら、誰だってそう思うはず。
恥ずかしすぎる。
このまま消えていなくなりたい。
けれど、ああなってしまったのは仕方なくもあった。
かわいい、性格がいい、料理がうまい。
密かに好意を寄せている男の人にそんなことを言われて、もうてんやわんやだった。
そう、瑠奈は正樹に恋をしている。
事の発端は、今から一年ほど前だ。
中学生になってから数か月。
クラスメイトたちが親交を深めていく中、瑠奈はその輪に入れずにいた。
引っ込み思案で人見知りな瑠奈は、人付き合いが大の苦手。
そのせいで入学から数か月が過ぎた今も、クラスにまったく馴染めていない。
けれどそんな彼女にも、たった一人だけ声をかけてくれるクラスメイトがいる。
「るーちゃん! 一緒に帰りましょう!」
帰りのホームルームが終わって、すぐ。
瑠奈の席へやって来たその子は、いつもの明るい口調でそう言った。
彼女は、村瀬舞。
太陽みたいに明るい笑顔がチャーミングな、とってもかわいらしい女の子だ。
そして明るいのは、笑顔だけではない。
性格もだった。
誰に対しても優しく、コミュニケーション能力も飛び抜けて高い。
そんな舞は、クラスで一番の人気者。
瑠奈とはまったく正反対の女の子と言ってもいだろう。
そんな舞のことが、最初は正直苦手だった。
ひとりぼっちの私をからかって楽しんでいるのかも、なんてことまで思っていた。
だから話しかけられても、うまく反応できないでいた。
相手にしてみれば、かなりそっけなく映ったことだろう。
しかしそれでも、舞の態度は変わらなかった。
毎日、いつもと変わらない明るい口調で話しかけてくれた。
そうしていくうちに瑠奈も少しずつ心を開くようになり、今では友達と呼べるような関係にまでなっていた。
舞と横並びになって歩く、学校からの帰り道。
瑠奈はふと、以前からずっと気になっていることを聞いてみる。
「舞ちゃんはどうして、私のことなんかを気にかけてくれるの?」
いつも暗い雰囲気を漂わせていて、臆病でうじうじしている。
面白いことの一つだって言えない。
そんな人間と一緒にいたって、普通は楽しいと感じないだろう。
舞には瑠奈の他にも、たくさん友達がいる。
それなのにどうして、暗い自分とこんなにも仲良くしてくれるのか。
からかわれていないことは既に分かっているが、そのことがずっと引っかかっていた。
「るーちゃんは、舞のお兄ちゃんに似ているんです。だから舞は仲良しになりたいと思いましたし、こうして一緒にいるだけでとっても楽しい気分になるんです!」
ずっと気になっていた答えを、瑠奈はやっと得ることができた。
しかしながら、まったくスッキリしていない。
せっかく解決できたと思ったのに、また新しい疑問が生まれてしまった。
(私と似てるって……え)
舞は二つ年上のお兄さんのことが大好きで、よく嬉しそうに彼の自慢話をしている。
非の打ち所のない舞が、自慢するような人間。
きっとなんでも完璧にこなしてしまうハイスペックな人物なのだろうと、瑠奈は話を聞くたびにそう思っていた。
でもその人は、瑠奈に似ているのだという。
一つだっていいところがない欠陥ばかりの、こんな自分にだ。
舞の言っていることが、とてもじゃないが信じられなかった。
「そうだ! 今度のお休み、舞の家に遊びに来ませんか? お兄ちゃんをぜひ紹介させてください!」
「えっと……誘ってくれるのは嬉しいんだけどね、私ってほら、人見知りだから……」
「大丈夫です! お兄ちゃんはぜんぜん怖くありませんから! きっとるーちゃんも、すぐに仲良しになれますよ!」
「……舞ちゃんがそう言うなら、うん。それじゃあお邪魔させてもらおうかな」
瑠奈は口元に笑みを浮かべてみせるが、わざとらしくてぎこちない。
それもそのはず。
なぜならこれは、作り物の笑みだからだ。
友達の家に遊びに行くのは、瑠奈にとって初めてのこと。
それについては、ものすごく楽しみでいる。
でも、初対面の人に会うのは怖い。
しかも年上で、男の人ときた。
クラスメイトの女子とさえまともに話せない瑠奈には、かなり荷が重かった。
しかしここで舞の誘いを断れば、不快な気分にさせてしまうかもしれない。
それが原因で嫌われるなんてことになったら最悪だ。
(舞ちゃんは私の初めてのお友達……。絶対に嫌われたくない……!)
だから本心を押し殺して、ぎこちない笑みを作る。
瑠奈にはそれしか道がなかった。
******
「お、お邪魔します」
「るーちゃん、いらっしゃい! どうぞ上がってください!」
「……うん」
小さく頷いた瑠奈は、緊張しながら舞の家に上がる。
出迎えてくれたのは舞一人だけだ。
お兄さんの姿はまだない。
(どのタイミングで紹介されるのかな……。できればもう少し後がいいんだけど)
ビクビクしながら、舞と一緒にリビングへ入る。
そして、
「ひっ……!」
悲鳴にも似た小さな声を上げて固まった。
部屋の中で、見知らぬ男の人が待ち構えていたからだ。
「君が、瑠奈ちゃんだよね? 俺は、村瀬正樹。もう聞いてるかもしれないけど、舞の兄だ。よろしくね」
小さく微笑んだ正樹が、スッと片手を差し出した。
しかし瑠奈は、
「……」
動けずにいる。
正樹は握手を求めていて、ここは瑠奈も手を差し出すべき場面だ。
それは分かっている。
ただ頭で分かっていても、体が言うことを聞いてくれない。
初対面の男の人と握手をするという行為は、瑠奈にとってかなり難しいことだった。
(舞ちゃん助けて!)
いたたまれくなった瑠奈は、隣にいる舞の背中へ回り込む。
震える手を舞の両肩に乗せ、少し腰を屈めて身を隠した。
(私ったらなんてことを! こんなの失礼だよ! 怒ってる……よね?)
舞の背中からわずかに顔を出して、おそるおそる正樹のことを覗いてみる。
しかし正樹の視線が向いているのは、瑠奈ではない。
舞だった。
「ほらな、言わんこっちゃない。いきなり紹介するっていうのは、やっぱりよくなかったんだ。……いいか、舞。世の中お前みたく、初対面の人ともグイグイ喋れるような人間ばかりじゃないんだぞ。そういう人のことも、ちゃんと考えてあげないとな」
「うぅ……ごめんなさい。反省します」
「よしよし、偉いぞ」
手を伸ばした正樹は、舞の頭をゆっくりと撫でる。
優しい言葉と行動からは、思いやりの気持ちがいっぱいに伝わってきた。
「怖がらせてごめんね。俺はいなくなるから、遠慮せずにゆっくりしていって」
わずかに顔を出している瑠奈にそう言って、正樹は背を向けた。
出口へ向かって歩いていく。
「あ、あの……」
瑠奈は謝ろうとするが、その前に正樹はリビングから出て行ってしまった。
(不思議な人……だったな)
瑠奈が失礼な態度を取ったのにもかかわらず、少しだって怒ろうともしなかった。
それどころか、内に秘めていた本心を正しく理解してくれた。
こんな風に分かってくれる人に会ったのは、これが初めてだった。
(似てるって、もしかしてこういうことかな?)
瑠奈の本心を理解できたのは、きっと正樹も同じことを思っているからだ。
それはつまり、似た者同士だということ。
舞の言っていた意味が、ようやく分かったような気がする。
「るーちゃん!」
クルっと振り向いた舞は、勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい! 私、るーちゃんの気持ちを、ぜんぜん分かっていませんでした!」
「ううん、謝らないで。舞ちゃんが私のことを想ってやってくれたのは、ちゃんと分かってるから。ね、だから顔を上げて」
顔を上げた舞に、優しく笑ってみせる。
今回の笑みは、作り物でもなんでもない。
本心からの大きな感謝だ。
舞が自宅に呼んでくれたのはお兄さんを自慢したかったということもあるだろうけど、きっとそれだけではない。
引っ込み思案で人付き合いが苦手な瑠奈に、友達を作ってくれようとした。
直接聞いたわけではないけど、雰囲気で分かる。
舞は、そういう女の子だ。
瑠奈のことを想ってしてくれたその気持ちは、素直に嬉しかった。
「あのね、舞ちゃん。お願いがあるの。お兄さんにもう一度会わせてくれないかな?」
「えっ……でも、よろしいのですか?」
「うん。今のことを謝りたいし……それにね、ちょっとだけお話をしてみたいの」
年上の男の人と話すのはまだ怖い。
でもあの人なら――瑠奈のことを理解してくれる正樹だったら、話せるかもしれない。
「分かりました! そういうことなら、さっそくお兄ちゃんを呼んできますね!」
「うん。ありがとうね」
そのことがきっかけで、瑠奈は正樹と話すようになった。
最初は緊張してうまく口が回らなかったけど回数を重ねる度にそれは改善され、仲が深まっていった。
(舞ちゃんが羨ましいな)
次第に瑠奈は、そんなことを思うようになっていた。
正樹は優しいし、話していてとっても楽しい。
それに一緒にいると、なんだかポカポカして落ち着く。
まさに、理想の兄だ。
一人っ子の瑠奈は、正樹の妹である舞のことが羨ましかった。
でもその気持ちは、知らず知らずのうちに別の物へ変化する。
理想の兄から、理想の男性へ。
いつからだろう。
正樹に対して、恋愛感情を抱くようになっていた。
でも臆病な瑠奈には、告白する勇気なんてものはない。
もし失敗してしまった場合は舞との関係も終わってしまうだろうし、それになにより、正樹にも会えなくなってしまう。
それを考えたら、とてもじゃないけど無理だ。
できることといえば、密かに想いを募らせることくらいだった。
まだ下でコーラを飲んでいるであろう正樹のことを思い浮かべながら、瑠奈は瞳をギュッとつぶる。
「でも、いいの。私は十分、幸せだもん……」
こうして時々大好きな正樹と会って、お喋りをする。
それだけでも嬉しくて、瑠奈の心は満たされていた。
だから今のままでいい。
これ以上の幸せなんて望めば、きっとバチが当たってしまうだろうから。




