原爆と竹槍89話
鈴子を背中から下ろし、水を飲ませようとしたが、鈴子は口を開けているが、水を飲もうとしない。
「さあ、お水よ、飲みなさい」
だが、鈴子はびくとも動かない。
「どうしたの、飲みなさい!」
異変を感じた雪は、鈴子の身体を揺すって名を呼ぶ。
「鈴子、鈴子!」
何度も我が子の名を呼ぶ雪。
だが、鈴子は答えなかった。
「鈴子が死んだ」
雪は、鈴子を抱いたまま泣き伏せた。
「鈴子、死んではだめよ、すぐ、目を開けて、お水をのみなさい」
雪は、また、鈴子の小さな身体を揺すり、水を飲まそうとしたが、何の反応もしない。
「お水が飲まなくても、母さんのお乳なら飲めるでしょう。さあ、飲みなさい」
言うなり、雪は胸を開き、お乳を鈴子の口に当てる。
しかし、鈴子の口は何の反応も見せない。
それでも、雪は何度も乳首を鈴子の口に押し込もうとするが、鈴子は二度と母親の乳を飲むことは無かった。
親思いの優しい鈴子は、最期まで、痛いと言わずに、この世を去っていった。
鈴子の心を知らなぬ雪ではない。
死に際しても、まだ、私のことを気遣っていたと知り、死のうと思った。
だが、それを引き止めたのは、夫の顔だった。
「あなた、鈴子を生きて返らせください」
泣きながら雪は、鈴子を抱き、杖をついて歩きだした。
雪が我が家まで後一キロ半ほどまで帰ってきた時、誰かに呼び止められた。
「お待ちください」
雪が振り返ると、初老の男が二人居た。
「私ですか」
「そうです」
「何か用でしょうか」
雪は歩きながら苦しげに尋ねると、一人の男が言った。
「お見かけしたところ、大変な火傷を負っています。早急に治療する必要があるので、病院へお連れしたいと思っています。さあ、行きましょう」
「病院へ?」
「はい、貴女やお子さんを治療するためにです」
「鈴子は死にました。もう、病院へ行っても無駄ですから、病院にはいけません」