原爆と竹槍82話
やがて、小長井に着き、小さな橋の下で一夜を過ごした。
翌日は、暗いうちに出発したが、諫早駅まで、後、数キロまでに来たときには、辺りはすでに夕闇に包まれていた。
橋を探す時間も無く、その夜は小さな公園の片隅で一夜を過ごすことにした。
しかし、鈴子の病状は悪化しているのか、茹でたさつま芋を潰し、水に溶かして飲まさないと、食物が喉を通らなかった。
それでも、鈴子は苦痛を訴えなかった。
雪は、鈴子が可哀相でならない。
今すぐ病院へ連れて行き、その痛みをとりのぞいてやりたい。
だが、医者に支払うお金が一銭もない。
その辛さに泣いた、しかし、泣いたとてどうなるものではない。
雪が出来る最善の方法は、一時も早く夫の元に帰ることしかないのだ。
やっと、長い夜が明けた。
雪は痛みに堪える鈴子を背に、諫早の町を急いだ。
諫早の町は、長崎市に原爆が投下されたせいで、町は火が消えたように静かだった。
そんな一軒の家の中では、腰の曲がった老婆が老夫に言った。
「早く起きなさい」
聞こえてくる筈なのに老夫が起きない。
「早く、起きないと病院へ行くのが遅れるわよ」
「今日は、老人だからと、一日、休みを与えられたのだ」
「なんだ、それなら、そう言ってくれたらいいのに。じゃあ、また、寝ます?」
「起きるよ」
「そう、じゃあ。食事にしましょうね」
朝食を取りながら、老妻が尋ねた。
「ねえ、長崎市に投下された大爆弾の被害の様子は?」
「無惨な姿で次から次へと死んで行く、可哀相で見るに堪えれない」
「最新の医学でも治らないの?」
「被災者の様子を見た時は治せると思った人もたくさん居た。だが、如何なる薬や技術を駆使しても治らないのだ」
この老人は、十年間、老齢を理由に引退した元医者である。
長崎市に原爆が投下され、何十万人もの被災者が出たため、長崎市の医師や病院では、対応できなくなり、近隣の市町村に応援を求めてきたので、この老人は志願したのだ。
「この戦争で、数え切れない程の尊い命が失われたよ」
老医師が残念そうに言った。
「我が子二人もね」
老妻が涙を流す。
「天皇陛下さまは、米英との戦争を激しく反対なされました。しかし、政府と軍部は、無視して戦争を始めたのだ」