原爆と竹槍80話
鈴子を背負った雪は必死に歩いた。
しかし、雪の体力も無くなってきている、それでも、歩けるのは、早く夫の逢いたい、そして、鈴子の病気を治したい一心からである。
だが、その思いが幾ら強くても、起伏の激しい山道では、一キロも歩かない間に、休憩を取らないと次の歩きができなのだ。
やがて、夜の気配が辺りを包み始めた。
幸い、清らかな水が流れる小川があり、その畔に青草が敷き詰められた広場があった。
「今夜は、この青草の上で眠りましょうね」
「柔らかい布団、その上、涼しくて、とても気持ちいいわ」
原爆により失われた鈴子の笑顔が、今、戻った。
その笑顔を見た雪は嬉しくなり、早速、老夫婦から頂いたさつま芋を炊いた。
「頂いたお芋、美味しい?」
「優しいお爺さんと、お婆さんのお陰よ、このご恩は忘れないようにしましようね」
言った雪の脳裏に、老夫婦が抱き合って有明海に沈む姿が映り、思わず涙が溢れた。
「うん、早く帰って、お父さんやお婆ちゃんにもお礼を言ってもらうわ」
食物の心配はなくなった親子だが、原爆症に苦しむ親子に長崎は遥に遠い。
雪の前方に、青々と茂った楠の木が現れた。
すぐ、夫に逢えると思うと、雪の胸が締め付けられる。
「あなた!あなた!」
夫を呼びながら駆け、楠の下が見える所まで来ると、夫が立っていた。
「あなた、帰ってきたわよ」
駆け寄ろうとしたが身体が動かない。
そのうち、急に景色が変わり、櫓が立つ下の街角で母親が立っていた。
「母さん、迎えにきたわよ」
喜びの声を上げ、駆け寄ろうとした時、B二十九が飛んできた。
「母さん、逃げて!」
叫ぶと同時に、青白い閃光と物凄い爆発音により、雪は夢から覚めた。
「母さんごめんね、私が迎えに行くのが遅れたせいで、母さんを死なせてしまった」
雪は泣きながら自分を責めた。
昨夜の雪は、有明海で老夫婦が悲惨な殺され方をしたのが脳裏からはなれず、悲しくてなかなか眠れなかった。