原爆と竹槍78話
「なんとお礼を言ったらいいか分かりません」
「いいんだよ、それより、一刻も早く、ご主人の所へ帰りなさい」
暖かい言葉に雪は嬉し泣きした。
「それでは、失礼します」
去って行く哀れな親子の姿を見送りながら、老夫が悲しげに呟いた。
「私にお金があり、元気だったら、長崎まで送って行き、病院で火傷を治して上げられたのに」
「本当ね」
「じゃあ、綾の供養に行こうか」
老夫婦は、有明の海に通ずる小道を下りて行った。
帰りを急ぐ母娘。
その道を雪は、老夫婦に感謝しながら歩いていると、鈴子が辛そうに言った。
「母さん、まだまだ歩くの?」
鈴子に原爆症が現れたのか、歩くのが辛い。
「そうね」
雪は地理や地名に詳しくないが、一度通った道なので、自分達がどの辺りと通っているかは、おおよそ、自転車なら、一日もかからないほどの距離だと分かった。
「三日ぐらいかしら」
確かに、今、雪が通っている所は、太良町のほぼ中間に位置する所だった。
だが、自転車のない雪、原爆症が現れ、歩くことが辛くなった鈴子の足では、どのくらいで帰れるか予想がつかないのが実情である。
「まだ、そんなに歩くの」
「歩けなくなったら言いなさい。母さんがおんぶして上げるから」
「うん、分かったわ」
その時、多良岳方面から、有明海へ向かって飛んでくる戦闘機の轟音が聞こえてきた。
有明海に面した山裾の道を歩く雪と鈴子には、戦闘機の攻撃を受ける危険はほとんどないが、雪と鈴子は反射的に、木陰の下に身を伏せた。
やがて、戦闘機は有明海上空で旋回した。
「危ない!」
雪は、直感的に、戦闘機が何をするかを感じて叫んだ。
そして、有明海を見たが大きな木々に邪魔されて、遠くの有明海しか見えない。
鈴子の手を引いた、綾が撃ち殺された所が見える場所を探し、やっと見えるところへ来てみると、海岸で老夫婦が手を取り合い逃げ回っていた。
「やめて!」
雪はありったけの声を張り上げて言ったが、戦闘機の轟音に消された。




