原爆と竹槍70話
やがて、夜が明けた。
「お水を探しにいくわよ。鈴子は歩ける?」
「うん、歩ける」
広島へ向うときに記憶した川が雪の脳裏に映った。
「もう少し行くと、小さい川が流れているのよ。あそこまで行ったら、幾らでも水が飲めるから、頑張って歩いてね」
母娘の足は、空腹と水不足により、病人のように遅い。
やっと、川に辿り着き、水を腹いっぱい飲み、喉の渇きと空腹感が薄れた。
しかし、一キロも歩かないうちに、二人は激しい空腹感に襲われる。
だが、その空腹を満たすものは何もない。
鈴子が立ち止まって言った。
「お腹がすいた」
「ごめんね、今は何も食べる物がないから、お水を飲んで我慢してね」
泣きたい気持ちを抑え、雪は水筒を鈴子に渡した。
小さな口で、水筒の水を飲む鈴子を見ていると、胸が潰れるほど悲しくなる。
しかし、いくら悲しんでも、鈴子の空腹が満たされる訳でなく。前へ進しかないのだ。
雪は、必死になって、道の両側に生えている草の中から食べられる草を探すが、食べられるような草は一つも無かった。
尚も探していると、家の庭に美味しそうに熟れたマクワウリが一個だけ実っていた。
(マクワウリを鈴子に食べさせたい)
だが、下さい、などとは絶対に思わない雪だった。
何故なら、食物が無くて飢え死にするのは私事、決して他人様の所為ではないと常日頃から自分に言い聞かせていたからだ。
また、今はマクワウリ一個が人の生死を握るほど食料不足が続いているのだ。
下さいと言ったら、どうぞとくれる人は自分が飢え死にすると分かっていながらくれる人なのだ。
そんな優しい人を死なせてまで自分が生き残ろうなどと考える日本人は少ない。
まして、盗んだり、勝手に一時拝借など、人間としての誇りを失う行為をしてまでも生き残りたいとは思わない。
この誇りが日本人の心の美と逞しさを生み、恥が日本人の愛らしさと奥ゆかしさを創る、これが日本人の美徳なのだ。
自分を捨て、他人を思いやる考えを証明する事件は数え切れない程あるが、その中で代表的なものは、関東大震災によって証明されている。
もし、あの大震災の被災者に日本人の美徳が無かったら、数十万人の被災者たちが、被災しなかった家や田畑に押し寄せ、全てを強奪したり、強姦殺人を犯し、社会に不安と混乱に陥れたのは確実である。