原爆と竹槍61話
「はい、通ったこともありますが、山陰道の曲がりくねった道の遠回りを避けるために、脇道を通ったことが多々ありましたから、必ずしも、通ったとは言えません」
「そうですか」
老人は肩を落とした。
「山陰道がどうかしました?」
「昨夜、米軍に焼き出された娘から、数日中に帰ると連絡があったのです。連絡してくれた人は、近所の家の娘さんで、私の娘と同じように徳山市の人と結婚し、二人とも同じ町内に住み、娘同様、焼け出されたのです。その娘さんは、あなたのように自転車を持っていたので、昨夜の帰り、娘からの伝言を私に伝えてくれたのです」
「娘さんが、山陰道を通ると伝えられたのですね」
「そうです」
「自転車で走っていると、多くの被災者に会います。もしかしたら、私が知っている人かもしれませんが、娘さんの年格好を教えてください」
「娘の年は、三十二、三人の子供がいます」
「子供さんの年と性別は?」
「十歳の女と八歳の男、六歳の女です」
聞いた雪の顔が悲しみで引きつったが、雪の顔は醜いほど焼け爛れていたので、老人には分からなかった。
雪が答えないので、老人が失望したように言った。
「見かけなかったんですね」
雪は何度も真実を話そうと思ったが、老人の悲しみを思うと言えなかった。
だが、放置していたら、あの親子が焼却され、老人は娘親子に会えなくなるのだ。
「もしかしたら、あの家族かもしれません」
「それらしい者が居ましたか?居たのなら教えてください」
雪は、親子が殺された場所より、広島よりの小郡で、それらしき人に会ったと教えた。
「そうですか、よく教えてくださいました」
「もし、自転車があれば、迎えに行ってあげてください」
「家に自転車はないが、近所の人に借りて、すぐ、迎えに行きます。あなたも大変な負傷しているのに、ご面倒をお掛けして申し訳ありませんでした」
「いえ、どういたしまして、じゃあ、先を急ぎますので」
雪が自転車に乗ろうとすると。
「お待ちください。あなたは、何処にいかれるのですか。もし、行く所がなかったら、此処で暮らしてください」
「有り難いことですが、長崎で夫が私の帰りを待っていますので、お受けすることができません」
「それは残念。もし、居てくれたら、その火傷を治してあげられるのに、でも、待っている人が居るなら仕方がない。そうだ、娘と孫が帰ってきたら食べさせようと作っていたおはぎがあります。どうか、食べてください。今夜には腐るから、今すぐ食べてください」