原爆と竹槍58話
鈴子の痛みを無くし、夫を安全な場所へ避難さすためには、一刻も早く帰らなければならないのだ。
心は急くが、夜が明けなければ自転車を走らすことが出来ないため。何時でも出発する用意だけはしておこうとした。
「鈴子、起きなさい」
「まだ、暗いのに、起きるの」
鈴子も、火傷の痛さで熟睡できていなかったのか、すぐ、目を覚ました。
「間もなく、夜が明けるから、これを食べなさい」
雪は鈴子に、水筒と生のさつま芋を渡した。
「母さんは食べないの?」
「今朝はなんだか食べたくないのよ」
食べない理由は、食料が残り少なかったからだ。
長崎へ帰り着くには、今日と明日の夜までの食料が必要になるが、残っている食料は、麦が一食と、小さなさつま芋が6本である。
この量は、鈴子が毎食、さつま芋一本、食べられるだけの量しかない。
二日なら、水を飲んでも飢え死にすることはないと考えた雪は、今朝から食べないと決め、もし堪えられなくなったら、道端の草でも食べたら良いと考えていた。
だが、それ以上の日数がかかれば、安全とはいえないと思い。
明日の夕方までには、何が何でも小長井まで戻りたかった。
小長井まで戻れば、夜道を通って我が家へ帰る自信があった。
だが、小長井夕方までに到着するには、今日中に福岡県の八幡市より向こうへ行っていなければならない。
やがて、待っていた東の空が微かに白くなり、景色の輪郭がぼんやりと見え出した。
「さあ、父さんや、お婆ちゃんの待っている家に帰るわよ」
雪は、鈴子を背負うと、川原から堤防の上へ駆け上がり、停めていた自転車の荷台に鈴子を乗せるを、自転車を力一杯漕いで走りだした。
「身体が痛くない?」
「痛いけど我慢するわ」
「家に帰ったら、お医者さんに治して頂こうね」
「うん、早く帰りたい」
雪は山陽道を走る。
やがて、小郡を過ぎたとき、大人の女性と三人の子供の集団に出会った。
雪が、その人たちを見た瞬間、衣服が破れて居なくても、被災者だと分かった。
だが、先を急ぐ雪に慰める時間はないので、目礼して通り過ぎようとした。
「待ってください」
中年の女性に呼び止められた。