原爆と竹槍55話
「お金がないから、電報も打てないし、お医者さんへも行けなくなったわ」
雪が悲痛な声で呟いた。
「早く行こうよ」
鈴子が急かす。
「それが、火事で行けなくなったのよ」
雪が指差すと、鈴子が恐そうに見ていた。
病院へ行き鈴子の怪我を治すことも、夫を助けることも出来なくなった雪に出来ることは、ただ一つ、それは、一刻も早く、長崎へ戻ることだった。
「さあ、父さんとお婆ちゃんの所へ帰るわよ」
鈴子が期待をこめて聞いた。
「お父さんやお婆ちゃんの所へ、いつ帰れるの?」
「明後日の朝には帰れるわ」
「良かった」
すぐに帰りたい思いを堪える鈴子が可哀相になり、雪は懇親の力を込めて、自転車を漕いだが、胸が張り裂けそうになる。
鈴子と夫のこと、そして母の死を思いやりながら、自転車を漕ぐ雪の目から涙が溢れ、後方へ飛び散る。
しかし、その辛さや悲しみにとらわれていたら。話す言葉も無くなる。
沈黙は鈴子に痛みを蘇らせるのは確実である。
今、雪に出来ることは、鈴子の心に安らぎを与える事しかない。
雪は鈴子に話掛けた。
「鈴子」
「なに、母さん」
「今朝、ここを通った時に約束したでしょう、鈴子が大きくなったら、父さんと母さんと鈴子が広島県の彼方此方を見物するとね」
「覚えているわ」
「その時は、お婆ちゃんも一緒よ」
「うん、鈴子、早く大人になりたいわ」
話している時は、鈴子も少しは痛みが取れているようだ。
帰り道を覚えていてことと、夫を救いたいとの強い想いが、雪に強い力を与えたのか、火傷の痛さも忘れて走った。
その強い想いが自転車を漕ぐ足に強い力を与えたのか、夕暮れ時には、はや、下松市を通り過ぎていた。
その間、雪は道を歩く人を見れば、被災者かどうか確かめ。橋を渡るときには、橋の下を見て被災者の姿を探していた。
大竹市、光市、下末市も空襲をうけたため、渡った橋の下には、焼け出された人たちがいた。