原爆と竹槍52話
「あなた、長崎市も危険です。今すぐ、どこか山の中へ逃げてください!私もすぐ帰ります。そうだ、電報を打ちます」
雪は急いで、鈴子を自転車に乗せた。
「お婆ちゃんを探さないの?」
鈴子が心配げに尋ねた。
「お父さんの所へ帰るのよ」
「どうして?」
今、身体の痛みに堪えられているのは、祖母に会えるという希望があるからだ。
それなのに、探さないと言ったら、鈴子の我慢の糸が切れるかもしれない。
「お婆ちゃんの家がないでしょう。きっと、お婆ちゃんは、私たちの迎えが遅くなったから、待ちきれずに長崎へ引っ越したのよ。今頃、お婆ちゃんとお父さんは、鈴子が早く帰ってこないかなあと、首を長くして待っているわ」
真実が言えずに、雪は嘘を付いた。
「本当、それなら早く帰りたい」
雪は母親の生死を何が何でも確かめたいと思っていた。
万が一、見附けだせなくても、今日一日は、母と近所に住む母の姉、そして、幼友達、親しくしていた近所の人たちの冥福を祈り、明日、長崎へ出立しようと先程まで考えていた。
しかし、夫の危機が迫っている思うと、それが出来なくなった。
雪は、黙祷をしてから、自転車に乗った。
だが、母が眠るこの焦土と化した場所を離れるのは死ぬほど辛い。
雪の目から大粒の涙が流れ、焦土を濡らした。
だが、何時までも悲しみに浸っているわけには行かない。
「鈴子、また、目を閉じていなさい、開けてもいいというまで」
はい、と鈴子は素直に目を閉じたが、その顔にはいたいたしい程の水泡ができていた。
雪は鈴子の我慢している顔を見ると、可哀相で堪らない。
しかし、今の雪にはどうする事も出来ないのだ。
雪は、その辛さを必死に抑え、瓦礫と化した道なき道を通ると、来た時と同じように、無惨な遺体が次から次へと現れた。
その人々の無惨な姿を見た雪は、泣けるものなら大声で泣きたかった。
やがて、雪が、自転車がパンクした所へ戻ってきたが、道の両側に立ち並んでいた家が焼けて通れなくなっていた。
仕方なく、雪はパンクを修理した広場に戻り、どの道を通ったら、火事を避けて帰れるかを探した。
だが、その目に映ったのは、櫓が跡形のなく消えた生家の方だった。
(母さんの生死も確かめずに帰る私を許してください。戦争が終わったら、必ず、親子三人で参りますから、淋しいでしょうが、その時まで待っていてください)