原爆と竹槍42話
「それなら、遅れると大変だ。私たちに構わず、出立してください」
老婆と母親はそれほど年の差がない。
とても、見捨てて行く気にならない雪だった。
「食事をするぐらいの時間はありますからお気を使わないでください」
食事が終わったとき、老女が恐縮して言った。
「広島へ行く貴女に、こんなお願いをして良い物かと何度も思案したのですが、どうしても他の方法が思い付かないので、貴女に相談をしたいと思ってます」
「どんな事でしょうか」
老女は、七歳ぐらいの少年を指差して言った。
「この子は私の孫の友達です」
老女は、自分の孫の頭を撫でながら言った。
「昨日、この子は、私の家に遊びに来ていたので命は助かったのです」
「助かったとは?」
「この子は、下関から、母親の実家である八幡市の祖父母の家に遊びに来ていたのですが、祖父母が昨夜の空襲で亡くなりました」
「見たんですか?」
「はい、この子の祖父母の家は、私の家と空き地を隔てた所に有ったので見たのです。家に爆弾が落ち、家は跡形もなく破壊されました」
「そうでしたの」
「相談とは、できれば、この子を両親の所へ連れていって頂きたいと思ったのです」
「下関なら、私の通り道ですから、お連れしましょう」
「それを聞いて、肩の荷が下りました。あっ、そうだ、その子の家は、関門海峡を船で渡す運搬業をしているから、門司港へ行ったらすぐ分かります」
雪は、鈴子を前の椅子に乗せ、少年を後の荷台に乗せると、門司に向かって走った。
門司に着くと、少年は、祖父が運転する運搬船へ雪を案内した。
祖父は、大変な喜びようで、すぐ、下関へ渡してくれた。
そして、祖父は、雪の事情を知ると、帰って来るときは、いつでも下関へ渡すから、絶対に来てくれと、何度も念を押していた。
暖かい応援を背に受け雪は故郷へ走るが、何時も目に付くのは戦災被害者の姿だった。
山口県の小郡に着いた雪は、橋の下で一泊し、広島県の大竹市に到着していた。
下関から大竹間、雪自身に起きたことといえば、一度、自転車のチューブがパンクしたことぐらいだった。
しかし、大竹市へ来るまでの佐賀、鳥栖、八幡、下関、小野田、宇部、山口、徳山、岩国の各市が米軍機に攻撃された空爆跡を見たり、聞いたりした雪は、空爆跡が、勝者が打ち続けた死の鞭のように思えてならなかった。
「無抵抗な人間に、死の鞭を打ち続けるのは、とても、人間のすることではないわ」
雪は、空を仰いで泣いた。