原爆と竹槍18話
「ありがとうございます」
雪が出掛けようとして自転車に乗ろうとすると、老人が尋ねた。
「お子さんを背負って佐賀市まではたいへんだね。佐賀市の何処へ行くのかね」
「佐賀市は途中の町で、最終地は広島市です」
「なに、広島市!」
老人は、目が飛び出すように驚いた。
「はい、そうです」
「本当ですか」
「はい」
「なぜ、そんな遠い所へ、それも自転車で」
雪は広島へ行く経緯を話した。
「お気の毒に、そんなことがあったのですか、それなのに、景色を楽しんでくださいなどと言ってすまなかった」
「いえ、私を励まして頂いたと感謝しています」
「若い母娘の旅、大丈夫でしょうか」
老婆が不安げに尋ねた。
「人は無愛想だが、他人の物を盗んだり、この母娘に危害など絶対に加えない。ただ、医師が何処にでも居ないので、猪や犬に怪我させられたり、病気にならないように気を付けることが大切だよ」
「ご忠告ありがとうございます」
「一刻も早く、無事に広島へ着くことを祈っている。さあ、行きなさい」
雪は、老夫婦に見送られ出発した。
長崎街道に出た雪は走る。だが、予定していた速度の半分しかだせなかった。
それには複数の訳があった。
長崎県は坂の町と言われるほど、どこを走っても坂道があり、何度も自転車を押して歩かなければならない。
また、嬉嬉津から広島までの間、一度も通ったことがない道であるため、人に道を尋ねないと、前に進めないのだ。最も重用視しているのは、母親を安全に我が家まで連れて帰ることだ。
だが母親の怪我が悪化した場合や、病気になった時は、医者の治療が必要になるため、医者が何処にあるか知る必要がある。
また、通る道に病院がない場合には、一刻も早く、長崎へ連れて帰らないと、命の危険があるため、道に迷うことは厳禁なのだ。
道に迷わずに帰るには、道に標識を立てないと不可能であるため、雪は、記憶の中に標識を立てることにした。