原爆と竹槍11話
そして、自転車にパンク修理用器具と食料、飯盒、水筒、マッチや火打ち石など、旅の必需品を荷台や前籠に乗せ、全ての用意が終了した。
親子三人の夕食を終えた時、雪が不安そうに言った。
「私、広島まで行く道を知らないのよ、どう行けばいいの」
長崎街道を通れば門司に着けるのだが、長崎街道と言う言葉さえ知らない明が教えるのは漠然としたものだった。
「行き道は沢山あるが、僕が行くとしたら、嬉嬉津から諫早。諫早からは、有明海を右手に見ながらの道を通り、佐賀市へ行くんだろうね。何故なら、何時も有明海が見ながら行けるから、道に迷う心配が少ないんだ」
明と雪は知らないが、有明海に沿った道は、長崎街道である。
「でも、嬉嬉津や諫早は、一度も行ったことがないのよ」
雪が不安げに言った。
「嬉嬉津へは行っただろう」
「ききつ?私は行ったことがないわ」
「我が家が自転車を修理する機材が不足し、自転車修理の看板を降ろそうと考えていたとき、雪がパンクをした自転車を押している老人に出会い、パンクを直して上げると言ってお連れしたご老人がいたね」
「ええ、あの岡本五郎さんは、亡くなった自分の息子が勉強していた長崎大学をもう一度、見たいを思って、自転車で来たと言っていたわ」
「岡本さんは、雪がパンクを直していると、自分も自転車の修理を行っているが、年のせいで眼が不自由になったから、廃業したと言った後、もし、自転車修理用機材が必要なら、無料であげるから取りにこいと言ったね」
「ええ、その日、喜んで付いて行ったわ。その翌日も自転車で行ったわ。でも修理機材はあまりにも多いので、数日後、荷車で行ったけど日が暮れるのが早くて、家に帰ってきたら、夜中になっていたわ」
「あれは大変だったね」
「ええ、でも、なぜ私は、一度でも通った道なら、絶対に忘れられないの。だから、暗闇でも帰ってこれたのよ」
「あの岡本さんの住所が嬉嬉津なんだよ」
「そうだったの」
雪が驚いたように言った。
「そうだよ、あのご親切な岡本さんのおかげで、今の私たちがあるんだ」
「そうね。岡本さんのことを忘れた日はないけど。住所は知らなかったわ」
「諫早は嬉嬉津の向こうだから。岡本さんの家に行った時、道を尋ねたらいいよ」
「分かったわ」
そして、こころ細そうに尋ねる。
「往復するためには、幾らぐらいの日数?」