<3・お嬢様、後先考えなさすぎです。>
聞いてしまったらもう、知らぬ存ぜぬというわけにはいかない。
僕は直接マーガレットお嬢様と問い質すことにした。彼女のイジワル行為が全部〝悪役令嬢になりきるため〟の演技だと分かれば、十分話は通じると思ったからだ。
案の定、お相手であるアルヴィン・スターキーの名前を出せばマーガレットはあっさり折れた。
「……エリオット様には、言わないで。それから、お父様やお母様にも」
マーガレットの部屋にて。彼女はベッドに腰掛けたまま、明らかに憔悴しきった様子で言ったのだった。
「あなたには、本当に申し訳ないことをしたと思っています。ごめんなさい、嫌な思いをさせて。それから……信頼を、裏切ってしまって」
「僕のことはどうでもいいのです。お嬢様が元々心優しい方であると知っていますから……豹変されたことで、少し心配しただけですよ」
「豹変したように、見えるわよね。でも、わたくしはどうしても、貴方にだけは本当のことを言えなかったの……」
彼女の声は明らかにやつれている。秘密を隠し続けるのは、相当にきついことであったらしい。マーガレットの立場を鑑みるならそれも仕方ないことではあるが。
「エリオット様は、素晴らしい殿方ですわ。わたくし、あの方に不満があったことは一度もありません。聡明で快活で男らしいですし……勉学にも武道にも優れていらっしゃる。一緒に話していて楽しいし、次男坊ではあるけれど本来あの方こそヘイズ家の家督を継ぐに相応しい逸材だと考えています」
それは、まったくもってその通りである。
僕は幼いころから彼女の遊び相手であると同時に、エリオットとも関わることが少なくなかった。三人でピクニックに行ったことも多いし、マーガレットが大好きな〝本を読んでの議論〟を三人でやったことも多い。
エリオットは、マーガレットと同じ趣味を共有できる人間だった。そして、ガサツに見えて女性を大事にできる、実に紳士的な人物であるのも知っている。今回の〝婚約破棄されたい〟の話だって、マーガレットが自分と別れた方が幸せだと思ったからこそ出た提案であろう。
だからこそ、不思議なのだ。
マーガレットの浮気相手、スターキー伯爵家の次男もけして悪い人物ではない。しかし、誰が見てもイケメンなエリオットと比べると地味な顔立ちで見劣りするし、何より病弱で運動もろくにできない人物だと聞いている。性格的には紳士だと聞くが、はっきり言ってエリオットと比べるべくもない人間だと感じるのだ。
一体どうしてマーガレットは、そんな理想的な婚約者よりアルヴィンを選んだのだろうか。
「それでも、何か不満があったから、エリオット様に愛想を尽かしたのでは?」
僕が尋ねるとマーガレットは、違うわ、と首を横に振った。
「いえ、完全に違わなくもないかしら。……わたくしは、あの方を完璧だと思っていた。それが唯一、あの方に対して不満なことであったかもしれませんわね」
「というと?」
「エリオット様は、完璧すぎるのですわ。誰かの手など借りずとも、一人で立っていられるお方。……わたくしが一緒にいる必要はないと、そう思ってしまったのです。同時に……」
ぎゅっと膝の上で拳を握りしめるマーガレット。
「わたくしは時々……あの方と一緒にいるのが、とても辛いと感じてしまっていました。何故って?あの方が、わたくしより何でもできるからです。勉学も、スポーツも、品性も、何もかもあの方の方が上でしたわ。あの方といると、わたくしはどこまでも劣った人間のように思えてしまう。どんなに努力しても叶わない完璧な人間がすぐ隣にいる。それが、わたくしはとても辛いことでしたの」
わからないこと、ではなかった。
エリオットは男としても人間としても完璧すぎる。しかも、それを鼻にかけることもなく、僕のような下々の人間にも優しく接してくれるし、会話はユーモアがあって話していてとても楽しい気分にさせてくれるのだ。
一人で完璧な人間に、相棒は要らない。むしろ、嫌でも比べてしまう自分が嫌になる。
本人に一切非はないからこそ、この理由ではどうしようもないことだろう。
「それに比べてアルヴィンは、まったく完璧じゃないのです。できないことがたくさんあって……特にそう、体が丈夫じゃないからこそ、誰かの助けが必要な人なのですわ。それでいて、助けてくれる人への感謝や愛情はけして忘れない」
うっとりと、マーガレットは目を閉じる。
それはまさに、恋をする乙女の顔そのものだった。
「あの方には、わたくしが必要。そしてわたくしも、あの方が必要。アルヴィン様にはそう思えたのですわ。……そしてそれこそが、真の愛だと、わたくしはそう思うのです。それがどれほど道理を外れたものであっても、目覚めてしまえばどうしようもありませんでした」
「お嬢様……」
「ええ、わかっていますわ。どんなに理由をつけても、わたくしがしていることは不貞行為。けして許されることではありません。何の罪もないエリオット様にも、婚約をセッティングしてくれた父上と母上、エリオット様のご両親にも申し訳なくて仕方ありません。しかも、相手は身分が一つ低い、子爵の家のご子息なのです。エリオット様も、ヘイズ家の皆さんも、さぞ屈辱に思うことでしょう」
ゆえに、自分から婚約解消を言い出すことがでいないのです、とマーガレットは沈んだ声で言った。
納得できてしまって、僕はなんと言えばいいのかわからなくなってしまう。婚約者が不倫をしていた――自分達より階級の低い男と。それがどれほどの恥であるかは言うまでもないことだろう。エリオットは既に知ってしまっていそうだからともかくとして、エリオットの両親が怒髪天をつくのは想像に難くないことだ。
同時に、バレたら最後マーガレットには相当厳しい処遇が下るであろうことは目に見えている。確実に、浮気相手のアルヴィンにも類が及ぶだろう。そうなったらもう泥沼で、誰も幸せにはなれない。目も当てられない結果になる、とはまさにこのことだ。
「アルヴィン様と別れろ、と言うのでしたらそうします。ですが、わたくしの浮気がバレることで、アルヴィン様にまで類が及ぶのは耐えられませんわ。だってあの方、わたくしに婚約者がいるなんて知らずにお付き合いしてくださってるんですもの……」
「黙ってたわけですか」
「ええ。婚約者はいたけど、既に死別したから問題ないと言っていたんです。アルヴィン様も病弱なお体と次男であるせいで婚約者が見つからずにいた、とのことでしたしね。わたくしが全ていけないのはわかっていますが、それでも……他に方法が思いつきませんでしたの」
「それで、悪役令嬢を演じて、別の理由でエリオットから婚約破棄されるように仕向けようとした、と」
「ええ。それなら、わたくしが悪いことにはなっても本当の理由は明かされずに済みますから」
おおよそ、状況は理解してしまった。なんともややこしいことになったものである、と僕は天を仰ぐしかない。
はっきり言って、マーガレットが言ったこともやっていることも滅茶苦茶だ。しかも、こんなに焦っている様子からして、もしや。
「既に妊娠してたりしませんよね?お嬢様」
いやな予感がして、尋ねる。するとマーガレットは慌てたように「それはありませんわ!」と首を横に振った。
「ただ、その……何度か深い関係にはなっているので、そのうち……」
「お嬢様ァァァ!」
「だって本当に好きなんですもの!気持ちいいんですものー!」
「爛れすぎですってば!!」
頼むからそれ以上語らないでくれ、と僕は沈没する他なかった。なるほど、そのうち妊娠して嫌でもバレることになりかねない(エリオットとは未だ清い関係だと聞いているからバレないはずがない)から焦っていたというわけだ。本当に、後先考えてなさすぎである。
「自分がひっどいこと言っているのは、わかってるんですよね!?」
くわっと僕は目を見開いて告げる。
「なんでそういうことをする前に、なんか理由つけて婚約解消しなかったんですか!馬鹿なんですか!?まだ妊娠してなくても、既にそこまでやることやってるってバレたら大スキャンダルどころじゃないですよ!?」
「ごめんなさい!本当にごめんなさああああああああああい!!」
「しかもそれを伏せておきたいって、自己保身もあるでしょうが!……さすがの僕も、ちょっとそこは怒ってますよ、わかってますね?」
「……ハイ」
いつも気の強いお嬢様が、完全に萎れている状態である。そして、ここまで彼女が赤裸々に全てを話したのには当然理由があるだろう。
つまり。
「……とにかく、カレン!エリオット様に、わたくしに酷い虐めを受けていることを伝えてほしいのですわ!あたくしが酷い悪役令嬢だと!あなたに値する女ではないと!!」
心から反省しているのは確かなのだろう。マーガレットが涙目になって言う。
「そうして、是非わたくしを婚約破棄して欲しいとお伝えしてほしいのです。そうすればエリオット様からの婚約破棄に正当性も出ますし、わたくしが悪いことになるから咎めを受けるのもわたくし一人で住むでしょう!?アルヴィン様をお守りすることもできるはずですから……ね?どうか、どうかお願いしますわ!」
「あーもう……」
まったく、無茶を言ってくれる。アルヴィンを巻き込みたくないと思うなら何で最初から、正々堂々付き合えるような状態にしておかなかったのか。こっそり会って、しかもベッドインまでする前に何故もうちょっと冷静になれなかったのか。
だが、これではっきりしたことがある。
――婚約解消、もしくは婚約破棄をしない限り、お嬢様の幸せはない……のか。
それはエリオットの望みでもあるが、一つだけ疑問がある。
エリオット自身は実際、マーガレットお嬢様のことをどう思っていたのだろうか?