<2・正直者は階段から落ちる。>
このセレスト王国は、わかりやすい貴族社会となっている。身分による差別意識が強く、同時に貴族は横の繋がりや血の繋がりを非常に重んじる傾向にある。
庶民たちは華やかな生活をする貴族たちを羨むし、実際僕も今まではそうだった。しかし、こうして執事見習い(このアップルトン伯爵家では、二十歳になるまで基本的に見習い扱いなのだ)になってからは、色々と見えてくることもある。貴族も貴族で大変なこともあるし、特に子供達は窮屈な思いを強いられることが少なくないのだ、と。
その最たるところが、結婚ではないだろうか。
基本的に家は、より良い血筋を繋ぐことを重視して婚姻関係を結ぶ。相手の身分が高いとか、仲良くしておくことで商売のメリットがあるとか、まあそんな感じだと言っていい。つまり、基本的には政略結婚ありきで、恋愛結婚できるケースは非常に稀なのだ。しかも、婚約相手は十代前半で決められてしまうことが多い。家によっては、もっと早く話をつけてしまうだろう。
もちろん、最初は政略結婚だったのが段々本気で相手を好きになる、なんてケースもある。それならそれで別にいい。実際、マーガレットお嬢様のご両親は、見ていて恥ずかしくなるほどラブラブだ。元々は政略結婚だったのが、一緒にいるうちに本気で好きになったというパターンだという。
だからこそ。マーガレットお嬢様が、恋愛結婚に憧れてしまうのもわからないではないのである。旦那様と過ごす時の奥様と、奥様と過ごす時の旦那様は、心の底から幸せそうに見えるからだ。
『お前だって、お嬢様のことが友達として好きなんだろ?だからこそ最近急にイジワルになった理由も知りたいし、幸せになってほしいと思ってるはずだぜ』
エリオットは、至極真面目な顔で僕に言った。
『だからよ、カレン。まずは、俺が言ったことのウラを取るところから始めるってのはどうだ?お嬢様がなんで最近豹変したのか、そして好きな人が出来たってのがマジなのかどうか。……それを知ってから、俺の話に乗るのか決めてくれてもいいからよ。な?』
『はあ……』
そう言われてしまえば、僕とてNOとは言えない。実際、彼に言われなくても気になっていることではあったのだから。
というわけでエリオットと話した翌日から、それとなく僕は聞き込みを開始しようと考えているわけだった。
「ジム、手摺に気を付けてくださいね」
現在、僕は二つ年下のジムに掃除の指示を出しているところだ。彼もまた執事見習いである。
「奥様は特に、手摺にゴミが溜まっているのを気にされますから。雑巾はこまめに洗って絞るように。水分が多すぎるのも良くありませんよ」
「りょ、了解です、カレンさん!」
入った当初はひよっこだった僕も、なんだかんだで十年ここにいるわけで。いつの間にかすっかり、見習いたちに指示を出すポジションになってしまった。一応まだ見習い、がついているにも関わらずだ。
こういうのは、やっぱり入ってから何年仕事を経験したか、どれくらい技量があるかが大きいと思うのである。何で大人になるまで見習い扱いなんだろう、とカレンはいつも不思議で仕方ない。大人だって、入って一年目は仕事もわからず右往左往するしかないはずだというのに。
「ところで、ジム」
僕自身は魔導掃除である。チビ箒で窓枠の埃を取ってから、雑巾で窓ガラスの水拭きと空拭きである。拭き痕が残るとかなり目立ってしまうので、慎重に行わなければいけない。しかも、屋敷は広いので窓は何か所もあるのだ。
「マーガレットお嬢様について、ちょっとお尋ねしたいことが」
「うっ」
その名前を出した途端、ジムは階段から足を踏み外しそうになっていた。そんなに動揺するほどだろうか。
「あわわわっ……なななな、なんですか、急に!」
「わかりやすい反応どうも。動揺しすぎです」
「どどどどどどど、動揺なんか、し、してませんよお!」
いや、語るに落ちているわけだが。足をがくがくさせて、手摺をしっかり握りしめているあたりどう見ても動揺している。なんとわかりやすい、と僕は苦笑するしかなかった。
話ができる執事見習いやメイドは何人もいるが、その中からジムを選んだのには一応訳がある。彼が一番、腹芸ができないタイプだからだ。
「なんでそんなにびっくりされてるんです?」
僕は雑巾をバケツにいれて、そーっと彼のところに近づく。
「僕は、最近お嬢様が冷たくなってしまって悲しい、意地悪されているみたいで辛い……と言いたかっただけなんですけどね。ほら、僕ってお嬢様の遊び相手も仕事みたいなものでしたから」
「そ、そうですね、はい」
「お嬢様、僕のこと嫌いになってしまったんでしょうか。僕はこんなにもお嬢様の幸せを願っているというのに……」
マーガレットが虐める相手はメイド・執事全般に及ぶ。大人相手もあるが、見習いの子供相手がほとんどだ。全員、それなりに迷惑をしているはずなのである。理由を知りたい、と思うことはないのだろうか?
「あれではまるで……本で読んだ悪役令嬢さんみたいじゃないですか」
はあ、と僕は大袈裟にため息をついてみせる。
「僕はマーガレットお嬢様に何かがあったっていうなら、それを知りたいんです。問題があるなら……恐れ多くも友人を自負している身としては力になりたい。ジム、何かご存知ではありませんか?」
こういうのは、威圧したり、無理矢理訊きだそうとするべきではないのだ。ジムのようなタイプには、罪悪感で揺さぶりをかけるに限るのである。
案の定、露骨にジムの目が泳ぎ始める。もう一押しだ。
「やっぱり、婚約者のエリオット様以外に好きな人ができてしまったという噂は本当なんでしょうか……」
「そおおおおおおおおおおんんあことはありませんってえええええええええええええ!」
途端、大絶叫。
落ち着け、と僕は素で思った。今、屋敷には家族の大半がいないと知っている。お嬢様の祖父母、大旦那様と奥様は在宅しているが、どちらも年のせいで耳が遠くなっているし、部屋が遠いので聞こえることはないはずだ。
が、使用人たちは普通にいるわけで。まったく聞こえないとも言えないわけで。そんな聞かれて困る話なら大騒ぎにしてはいけないだろうに。
「ままままま、マーレットお嬢様に限ってしょんんあことおおおおお!だ、だだだだって、お、お嬢様にはエリオット様という婚約者がおりますし!な、なにを血迷って、スターキー子爵家の次男であるアルヴィン様とこっそり密会されているとか結構行くところまで行ってるとかそういうことは断じてありませんから!ええ、断じて!」
「……ジム」
やっぱり、としか思わない。
彼はとことん隠し事に向いていない。
「なるほどなるほど、お相手はアルヴィン・スターキー様でらっしゃいましたか。……そのあたり、ぜひ詳しく?」
「ノオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
ジムは悲鳴を上げ、ごろんごろんと階段を転がり落ちていったのだった。
***
流石に、今は仕事の時間。長々と仕事と関係ない話をするわけにはいかない。
というわけで、休憩時間に自分の部屋に彼を呼び出し、床に正座させることにしたのだった。ちなみにこの正座という座り方、東の島国から伝わったものであるようだが結構キツいらしい。段々と足が痺れてきて立てなくなるんだとか。ゆえに、昨今は簡易的な拷問に使われることもあるとか、ないとか。
「うう、す、すみませんマーガレットお嬢様……このジムに、隠し事は無理でございましたぁ……」
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、お嬢様への謝罪を口にしているジム。なんだかちょっと気の毒ではある。その涙の理由の半分くらいは、既に足が痺れてきてキツくなっているからだと知っているから尚更に。
「ていうか、お嬢様もちょっとアホですよね。なんで一番隠し事ができないアナタにバラしちゃったんですかね」
「……庭のお手入れをしていたら、屋敷の裏手でちゅーしているお二人を偶然目撃しちゃいまして」
「……迂闊すぎません?」
「ジムもそう思いますう……」
本当に隠す気あるんか、アンタ。僕は頭痛を覚えるしかない。
つまりこの屋敷で、彼女は堂々と男を連れ込んで浮気をしていたわけだ。むしろよく今まで公にならなかったものである。
多分使用人の殆どを抱き込んで、全員と口裏を合わせて隠していたのだろう。頑張って隠そうとしてきたのは、本人ではなく使用人たちなのだと思われる。なんとも気の毒な話だ。
だがそれはそれとして納得がいかないのは、なんで僕だけ彼女の浮気を知らなかったのか?ということである。ジムが知っているくらいなのだから、多分他の使用人はほどんど知っているのだろうに。
「……カレンさんにだけはバラすなと、お嬢様に厳命されていまして」
すると、僕の疑問を察したのかジムが言う。
「何故ならカレンさんは……お嬢様の大事なお友達でもありますから」
「と、いうと?」
「カレンさんが、お嬢様に幸せになってほしいと願っていたことはみんな知ってます。お嬢様の婚約者が、気さくで優しく文武両道に長けたエリオット様になったと知って、一番安心していたのがカレンさんであることも。……きっとがっかりさせたくなかったんだと思います。せっかくの良縁を、お嬢様の不倫で蹴ることになるなんて……万が一そうなったら、誰が一番悲しむかといったら、きっとカレンさんだと思って」
「……否定は、しませんけど」
なるほど、そう言われてしまうとこちらとしても反論のしようがない。
実際、僕はエリオットとマーガレットの仲はうまくいっていると思っていたし、そう信じたかったのは事実だ。最近マーガレットは異様に冷たくなったが、それでも彼女がエリオットと幸せになってくれるなら多少傷つけられても構わないと考えていたほどだったのに。
そしてそこまでの話を聞けば、やはり疑問に思うのは何故マーガレットが使用人たちに冷たくしていたのか、ということである。この様子だと、それらはなんらかの演技ということになる。その理由とは、もしや。
「お嬢様は、使用人たちを虐める悪い女、という噂を率先して流されておりました。それを、エリオット様のお耳に入れるために」
足の痺れに顔を青ざめながら、ジムは続けた。
「悪評が耳に入れば、誇り高いエリオット様はそちらから婚約破棄を申し入れて下さる。だから、いわゆる悪役令嬢を演じようとした、と。そういうことであるようです」