妹が来た日
春の柔らかな日差しが窓から差し込む朝、俺は目覚めた。新学期の始まりだ。高校三年生。人生の中で最後の学生生活が始まる。
「灰光兄さん!起きて!遅刻するよ!」
妹の声が階下から聞こえてきた。詩羅だ。今日から同じ高校に通うことになる、俺の可愛い妹。
「はいはい、起きてるよ」
俺は重い体を引きずるようにしてベッドから這い出す。制服を着て、鏡の前に立つ。そこには、やや長めの黒髪と切れ長の目を持つ18歳の少年が映っていた。鎌戸灰光。それが俺の名前だ。
階下に降りると、詩羅が朝食の準備をしていた。両親は海外出張が多いから、朝食は俺たち兄妹だけだ。
「おはよう、詩羅」
「おはよう、兄さん。ほら、朝ごはん」
詩羅は笑顔で朝食を差し出す。制服姿の彼女は、まるでマンガから飛び出してきたような可愛らしさだった。銀色の長髪が朝日に輝いている。
「ふふ、詩羅は制服が似合うね」
「もう、変なこと言わないでよ」
詩羅は頬を膨らませる。可愛い。本当に可愛い。
「そうだ、詩羅。今日から同じ学校だけど、あんまり俺に話しかけないでね」
「え?どうして?」
「いや、その...兄妹で仲良くしてるのを見られるのは恥ずかしいし...」
詩羅は不満そうな顔をする。
「もう、兄さんったら。私だってそんなに兄さんと一緒にいたくないわよ」
「そ、そうか...」
なぜか胸が痛む。詩羅に嫌われているわけじゃないと分かっているのに。
朝食を終え、俺たちは家を出た。桜並木の下を歩く。ピンク色の花びらが風に舞い、まるで俺たちを祝福しているかのようだ。
「ねえ、兄さん」
「ん?」
「私、緊張してるの」
詩羅の声が少し震えている。俺は思わず立ち止まり、詩羅の頭を優しく撫でた。
「大丈夫だよ。詩羅なら、すぐに友達もできるし、みんなに好かれるさ」
「...ありがとう」
詩羅は少し赤くなって俯いた。可愛い。本当に可愛い。
学校に着くと、俺たちは別れた。詩羅は新入生の集合場所へ、俺は自分の教室へ向かう。
教室に入ると、親友の愚楽がニヤニヤしながら声をかけてきた。
「よう、灰光!久しぶり!」
「おう、愚楽。元気だったか?」
「あぁ。それより、聞いたぜ。お前の妹が入学してきたんだって?」
「あぁ...まあな」
「どんな子なんだ?可愛いのか?」
愚楽の目が輝いている。俺は少し不快になる。
「まあ...普通だよ」
「へぇ〜。妹なのに普通か。お前、シスコンじゃなかったっけ?」
「うるっせーよ」
俺は苦笑いを浮かべる。愚楽の言う通り、俺は妹のことが大好きだ。でも、それを人に知られるのは恥ずかしい。
授業が始まり、新学期の緊張感が教室を包む。しかし、俺の頭の中は詩羅のことでいっぱいだった。今頃何をしているだろう。友達はできただろうか。いじめられてないだろうか。
昼休み、俺は教室を抜け出し、一年生の教室をのぞきに行った。そこで、驚きの光景を目にする。
詩羅の周りに、大勢のクラスメイトが集まっていた。男子も女子も、みんな詩羅に釘付けだ。詩羅は笑顔で話している。その中に、茶色の短髪の少女が目立った。
(やっぱり、詩羅は人気者になるんだな...)
安心すると同時に、何か複雑な感情が胸に広がる。
その時、詩羅と目が合った。
「あ、兄さん!」
詩羅が手を振る。周りの生徒たちが一斉に俺の方を見た。
「え?あれが鎌戸さんのお兄さん?」
「かっこいい!」
「お兄さんもイケメンじゃん!」
周りがざわつく。俺は顔が真っ赤になるのを感じた。
「ちょっと、詩羅!人前で兄さんって呼ぶなって言っただろ!」
俺は慌てて言い、その場から逃げ出した。後ろから詩羅の「ごめんなさい!」という声が聞こえる。
教室に戻ると、愚楽がニヤニヤしながら待っていた。
「どうだった?妹の様子は?」
「う、うるっせーよ」
「ありぇ?顔真っ赤じゃん。何かあったの?」
「別に…何もない」
俺は席に着き、深いため息をついた。これから毎日、詩羅と同じ学校で過ごすことになる。嬉しいような、不安なような、複雑な気持ちだ。
午後の授業が始まる。しかし、俺の頭の中は詩羅のことでいっぱいだった。さっきの出来事を思い出し、顔が熱くなる。
(なんで俺はこんなに動揺してるんだ...)
授業が終わり、下校時間。俺は詩羅を待っていた。
「兄さん!待ってくれてたの?」
詩羅が嬉しそうに駆け寄ってくる。その後ろには美堂の姿があった。
「当たり前だろ。初日だし、一緒に帰ろうと思って」
「えへへ、ありがとう。あ、兄さん、これは美堂さん。美堂さん、こいつは私の兄さんだよ」
美堂が俺に会釈する。「初めまして、間敷美堂です。詩羅さんとはクラスメイトになりました」
「あ、ああ。鎌戸灰光です。よろしく」
詩羅の笑顔に、俺の心臓が高鳴る。
帰り道、詩羅は楽しそうに学校での出来事を話してくれた。新しい友達のこと、面白い先生のこと、部活のこと。俺はただ黙って聞いていた。
「ねえ、兄さん。聞いてる?」
「あ、ああ...聞いてるよ」
「もう、聞いてないじゃん。何考えてたの?」
「べ、別に...」
俺は顔を背けた。詩羅の笑顔を見ていると、変な気持ちになる。これって...まさか...
(いや、違う。そんなはずない)
俺は頭を振って、変な考えを払拭しようとした。
「兄さん、私ね、これからもっと頑張るよ。兄さんみたいになりたいの」
「え?」
「兄さんは、勉強も運動も得意で、みんなに好かれてて...私も、兄さんみたいになりたいな」
詩羅の言葉に、俺は驚いた。まさか、詩羅にそんな風に思われていたなんて。
「詩羅...」
「だから、これからもよろしくね、兄さん!」
詩羅は満面の笑みで言った。その笑顔に、俺の心は溶けそうになる。
(やばい...これは、やばいぞ...)
俺は自分の心の中で警鐘を鳴らした。妹なのに、こんな気持ちになるなんて。これは絶対におかしい。でも、詩羅の笑顔を見ていると、そんな理性も吹き飛びそうだ。
家に着くと、詩羅は「ただいま〜」と元気に玄関を開けた。俺はため息をつきながら、彼女の後に続く。
これから始まる学校生活。詩羅と同じ空間で過ごす日々。それは俺にとって、喜びであり、試練でもあるのだろう。
この気持ちをどう扱えばいいのか。詩羅とどう接すればいいのか。答えは見つからない。
ただ一つ分かっているのは、これからの日々が、今までとは全く違うものになるということだ。
俺の、最後の学生生活が始まった。そして、詩羅、俺の可愛い妹との新しい関係も、ここから始まるのだ。




