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壱の三 妖怪屋敷

 そして、数日後。私は一人、帝都のはずれにある厳かな洋館を訪れていた。


 片手で軽々と持てる程度のちっぽけな荷物と共に、ボロ切れよりは幾許かマシな着物を身に纏い、私は戦々恐々たる気持ちを抑えながら洋館の門をくぐった。


 妖怪の暮らす館、という未知にして未曾有の地。しかも、そこに私は嫁ぐことになっている。勿論、縁談が成功すればだが……。まったくもって、これからの人生がどうなるのかわかりやしない。


 暗闇の洞穴に身を投げるかのような覚悟を決めた私の前に現れたのは、穏やかな笑顔を携えた着物姿のおばあさんだった。


「ようこそ、おいでくださいました。私は使用人の(さか)()と申します」


「あ、え、えと……その……こ、此度は縁談の――」


 極度の緊張で舌が引きつってまともに喋れない私に対し、坂田さんはゆったりとした所作で頷き、「照山色葉さん、ですね。そんな緊張なさらずに」と館の中に招き入れてくれた。


「さぁさぁ、こちらへ」


 館に足を踏み入れた瞬間、私は思わず息を呑んだ。御伽噺のお城のように煌びやかで、美しいものに溢れていたのだ。


 遙か高い天井から屋敷全体を照らす豪奢な電灯。夜の海を思わせる濃い藍色の絨毯。異国の天女が描かれた絵画。学のない私では理解できないほど奇妙奇天烈な彫刻。更に、長い廊下を抜けて通された洋室を目の当たりにして、私は再び息を呑んだ。ごくり、と。


 部屋の中央にはちゃぶ台とは比べ物にならないほど背が高い洋風の机――テーブル。


 テーブルの周りには二、四、六、八……八つもある大きな椅子。


 更に更に、美しい絵画や置物が無数に並べ奉られ、どこを見ても華やか極まりない。そんじょそこらの華族のお屋敷を凌駕する冗談のような光景に圧倒されつつ、坂田さんの指示に従って椅子に腰を下ろした。


「紅茶とクッキーはお好きですか?」


 坂田さんが運んできた紅茶の入ったティーカップとクッキーという洋菓子を見つめて、私はあたふたと会釈を返した。とてつもなく美味しそうな甘い香りがしているが、緊張と不安で喉を通りそうではない。


「ふふっ、可愛らしいですねぇ」


 私を見つめる坂田さんの眼差しには慈愛がこもっているように感じ、心の奥底がほんのりと温かくなった。それはまるで、十年以上前お父様が生きていた頃の優しかったお母様がくれた眼差しに似ていた。


(かい)(おう)様は支度をしているので、ちょっと待っていてくださいね」


 怪王様? 随分いぶかしげな呼称だが、それこそが私の縁談相手となる妖怪の王様を示す敬称なのだろう、と納得した。と同時に、自分が妖怪の王様と縁談をすることを改めて痛感し、全身がぞわぞわと震え上がった。


「大丈夫ですよ、色葉さん」


 震える私に気を遣ってくれたのか、坂田さんは和菓子のように優しい声色で言った。


「妖怪はそんなに怖いものではありませんよ。それに、人間と妖怪の結婚なんて珍しくも何ともありません。人と妖怪はかつて共存し、仲良くしていたんですから。だから、安心して大丈夫ですよ」


「は、はい……」


 坂田さんの優しい言葉のおかげか少し心が楽になった気がした。けれど、妖怪という存在がどのようなものなのか、まったくわからない私は未だに警戒を解けずにいた。


「お客さんだーっ!」


「お客さんだーッ!」


 突然、扉が勢いよく開いたかと思うと、元気な声と共に二つの小さな影が洋室に入ってきた。


「こら! お前達!」


 先程までの優しいおばあさんとは思えないほど、坂田さんは目を鬼のように釣り上げて怒声を響かせた。恐る恐る、坂田さんが睨みつけている方向を目で追ってみると、そこには奇妙な物体が二つ、ドタバタと走り回っていた。


 一つは、真っ赤な(から)(かさ)


 一つは、橙の提灯(ちようちん)


 そう。ごくありふれた唐傘と提灯。しかし、それらは大きな目と口を持ち、生命力溢れる躍動感を持ってして洋室内を跳びはねていた。比喩表現でも何でもなく、事実として、彼らは生きているのだ。


 唐傘と提灯が無邪気にはしゃぐ様子をポカーンと眺めていると、ようやく思考が追いついてきて、彼らが妖怪であることに気がついた。


 朧さんがくれた雑誌に、古い道具に魂が宿った存在を付喪神、と呼ぶと書かれていたことを思い出した。


「お客さんに失礼だよ! これ以上、暴れるとどうなるか……わかっているんだろうねぇ?」


 凄みのある太ましい声色を放つ坂田さんを一瞥し、二つの――いや、二人の付喪神は「ひえー!」と子供じみた鳴き声を上げて立ち止まった。


「ほれ。この方とは末永くご一緒するかもしれないんだから、しっかりとご挨拶をしなさい」


 末永く、か。


 坂田さんが何気なく口にした言葉にビクリとして、付喪神達と同じように私も居住まいを正した。


 こんな私に縁談なんて上手くいくはずがない、という申し訳なさと悲しさが喉元まで込み上げる。そんなメソメソする私とは対照的に、二人の付喪神はあっけらかんと笑った。


「ぼくは唐傘!」


「おれは提灯!」


「よろしくね!」


 二人揃って元気いっぱいの挨拶をされ、私はたじたじになりながらも何とか会釈だけを返すことに成功した。


「それにしても怪王様ったら、遅いですねぇ」


 立派な柱時計をチラリと見て、坂田さんは鼻息を荒くしながら袖まくりをした。


「部屋から引っ張り出して、無理矢理にでも連れて参りますね」


「え……。え?」


 使用人が主人に向ける言葉とは思えない乱暴さに面食らいつつ、坂田さんは「大丈夫ですよ」と大らかに笑って洋室を去って行った。


「ねー! お姉さんは怪王様と結婚するのー?」


「ねー! お姉さんは怪王様のどこが好きなのー?」


 坂田さんがいなくなってから、唐傘さんと提灯さんは大きな目をキラキラと輝かせて私の前に近寄ってきた。


「え、えっと……」


 返答に困っている私をじーっと見つめて、唐傘さんはぴょーんと跳びはねた。


「怪王様はすごいんだよ! 何てったって、百鬼夜行を統べる最強の妖怪王なんだから!」


「まぁ、百年前はおれ達生まれてないから、実際には見たことないんだけどねー! でも、坂田さんにいーっぱい伝説を聞いたんだ!」


 それからしばらくの間、唐傘さんと提灯さんから百鬼夜行の伝説を聞かせてもらった。


 怪王様が従えていた妖怪は、変幻自在の妖術を駆使する(きゆう)()の狐と(ぎよう)()の狸、怪力で大地を叩き割る鬼の集団、神通力を使いこなす龍神、城よりも巨大な大きさで暴れ回るがしゃどくろ、全てを凍てつかせる雪女、などなど……。


 聞けば聞くほど、知れば知るほど、私の心は震え上がるばかりだった。


   ▼   ▼   ▼


 語り疲れたのか、椅子の上ですやすやと眠り始めた唐傘さんと提灯さんを眺めていると扉の外から会話が聞こえてきた。聞き耳をたてるのははしたない、と思いつつ会話の内容がどうしても気になった私はほんの少し身を乗り出した。


「おい、坂田」


 凜とした男性の声だ。


「縁談はこれで何度目だ」


「千度目でございますよ、旦那様」


「お前の戯れにそれだけ付き合った寛大なオレを褒めてくれ。先に言っておくが……千一回目はないからな」


「ほほほ。それでは、此度のお方でお決めするということですね」


「揚げ足を取るな」


 笑う坂田さんに対し男性の声は機嫌が悪そうで、私はひたすらに縮こまることしかできなかった。


「四の五の言わず、一目見てくださいな。折角、来てくださったんですから。ほらほら」


 坂田さんの明るい声と共に扉が開け放たれた。


「…………!」


 そして、姿を現した怪王様を見て、私は言葉を失った。


 名だたる百鬼夜行を束ねる妖怪の王様、その姿はとんでもなく醜く恐ろしい異形だと勝手に思い込んでしまっていた。だが、しかし。私の前に現れた怪王様の姿はまったくの真逆だった。そう、とんでもなく美しく煌びやかな美形の殿方だったのだ。


 色も恋も知らぬ、おぼこな私ですら思わず見蕩れてしまうほどに。


 心の奥底の深く深くまで、感情がざわざわと騒ぎ立てるほどに。


 人ならざる妖怪といえど、人間と何ら変わらない容姿に私は驚愕した。……いや、人との違いがあるとするならば、人間のどんな男性よりも凜々しくて、どんな女性よりもたおやかな美貌を誇っているということだろう。


 圧巻の美男子。


 怪訝そうに私を見つめる眼差しも、すんと高い鼻筋も、への字に歪む唇も、雪のように清らかな白銀の長髪も、紅色の着流しを纏った長身も……ありとあらゆる、何もかもが、どうしようもないほどに美しい。


「…………お前が、此度の縁談相手か?」


 それは、色気というのはこういうものだ、と無知な私に教えてくれるような声色だった。


「ひゃっ……は、はいっ」


 対する私が返したのは、情けなさの極みの如く今にも消え入りそうな声色だった。


「そうか」


 そう頷いた怪王様からは、廊下で坂田さんと言い合いをしていた時の不機嫌さを何故か感じなかった。

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