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伍の三 晴れやかな夜に

 つい先刻まで妖怪達が戦っていたとは思えないほど、温泉街の夜は穏やかな雰囲気に溢れていた。


 居酒屋では酔っ払いの男女と化け狸が談笑し、川のほとりでは河童の夫婦と夜ふかし中の子供が無邪気に水遊びを愉しんでいる。そんな夢と現が入り交じったかのような不思議な光景を眺めながら、私は橋の上で佇む旦那様の元に近寄った。


 旦那様は澄み渡る夜空を見上げたまま、背後の私に声をかけた。


「色葉」


 私の名を口にした旦那様の声色はどこか切なく、今にも散ってしまいそうなほど儚げだった。


「気を病む必要はない」


 まるで自分自身に言い聞かせるかのように、旦那様は仰った。


 朧さんは旦那様の一太刀により両断され、水の飛沫となって弾け散った。死体はどこにも見当たらなかったが、きっと、あれが龍神としての死の形なのだろう。


 龍神の朧さん。


 私の人生を利用して空亡を復活させようとした、あまりにおぞましい怪物。


 だけれど、この十年間、私の前で見せた全てが嘘偽りだとは思えなかった。外に出ることを禁じられていた私に本を与えて世界を教えてくれたこと。お母様にぶたれて、彩花ちゃんに罵られて、めそめそと泣いていた私を慰めてくれたこと。あの爽やかな笑顔のどこかに朧さん本来の優しさが存在していたはずだ。


 ……なんて。


 何もかも私に憎悪を抱かせるための下準備だったとわかっているはずなのに、酷く甘ったるい妄想を繰り広げてしまう自分が妙におかしくて、どうしようもなく哀しかった。


「そんな浮かない顔をするな」


 私の方を振り向いて、旦那様は月明かりに照らされた冷たい表情をほんのりと緩めた。


「ですが、旦那様にとって朧さんは大切な――」


「大切な友だからこそ斬った。それまでだ」


 それ以上、朧さんのことは語らない。いや……語りたくない、といった様相で旦那様は静かに首を振った。


「今宵、オレは独りよがりだと痛感した」


「え……?」


「オレはこの百年、隠居をしている間ひたすらに鍛錬を続けていた。空亡のような大妖怪が再び世を襲った際、今度こそ誰も犠牲を出さずに圧倒するために。……しかし、オレ一人では朧の攻撃から街一つ守ることすらできなかった」


 憂いを帯びた笑みを浮かべ、旦那様は温泉街の至る所で遊んでいる妖怪の皆さんを一瞥した。


「あいつらが来てくれたからこそ、オレは存分に戦うことができた。そして、その百鬼夜行が集ったのは他でもないお前のおかげだ、色葉」


「わ、私はそんな……!」


「感謝する」


 深々と頭を下げた旦那様に恐れ戦き、私は更に深く深く頭を下げ返した。


「だ、旦那様! 私の方が感謝の気持ちでいっぱいですから! なので、頭を! どうか、頭を上げてくださいまし……!」


「はっはっは! すまぬ、すまぬ」


 慌てふためく私を旦那様はご満悦な表情で眺め、快活に笑った。


「それにしても……新婚旅行に水を差されてしまったな」


 旦那様は顎に指を添えて少しの間、物思いに耽った後、何やら妙案を思いついた様子で目を薄く細めて頷いた。


「旦那様?」


 私の呼びかけに旦那様はニヤリと笑い、「そうか。このまま続ければいいのだ」と妙ちくりんなことを仰った。


「ど、どういうことです……?」


「百鬼夜行を引き連れて新婚旅行を再開する、ということだ」


「え……? え? え?」


 とんでもない発案に私は驚き戸惑い、びっくり仰天てんてこ舞いだった。しかし、旦那様の愉悦に溢れた顔を見ていると愉しさが伝播するように私の心も弾み、動揺は鎮まっていった。


「旅館で、しっぽり。というのも乙なものだが……それでは出歯亀共が黙っておらんだろう」


 そう仰って涼やかな眼差しで旦那様が見つめる方に視線を向けて見ると、物陰に隠れて此方を覗き見ている妖怪の皆さんを発見した。


「折角の新婚旅行だ。百年ぶりに集まった百鬼夜行諸共に愉しもうではないか」


「は、はいっ」


「今宵は長いぞ、色葉」


 私が頷いたのを確認すると、旦那様はインバネスコートを颯爽と翻して大きな声で百鬼夜行の皆さんに声をかけた。ちなみに、雷撃でボロボロになってしまったインバネスコートは坂田さんが修復してくれたおかげで、今ではすっかり綺麗になっていた。


「がしゃどくろ! オレと色葉を乗せてくれ」


 続々と集まる百鬼夜行の皆さんを大きく跨ぎ、旦那様と私の前に現れたは巨大な骸骨だった。老舗旅館よりも遙かに大きく、下手をすれば帝都の百貨店をも上回る巨体が目の前に迫り、私は跳び上がった。


「はいよー!」


 巨大な骸骨の発した明快な声色に驚愕し、私は再び跳び上がった。そして、旦那様が口にした巨大な骸骨の名前により、その正体に気づいた私は三度(みたび)、跳び上がった。


「が、がしゃどくろさん……っ!」


「やあやあ、お嫁ちゃん。相変わらずべっぴんさんだこと!」


 そう、巨大な骸骨の正体は帝都の呉服店の女主人・がしゃどくろさんだったのだ。オムライスのように膨よかな人間の姿とは随分、対照的な姿に私は驚きを隠せなかった。そんな私を面白そうに見下ろし、からからと骨を鳴らしてがしゃどくろさんは朗らかに笑った。


「さて、行こう」


 旦那様に手を引かれ、私は恐る恐るがしゃどくろさんの手のひらに身を委ねた。がしゃどくろさんの骨はひんやりと冷たく、絶妙な硬さが大らかな頼もしさを感じさせてくれた。


 旦那様と私が手のひらに腰を下ろしたことを確認すると、がしゃどくろさんはゆっくりと腕を持ち上げた。ぞわわわわっ、と五臓六腑が浮き上がる感覚に度肝を抜かれつつも、視界がどんどん高くなっていく高揚感に心が躍った。


「ふあぁ……!」


 賑やかな灯りに溢れた温泉街の全てを見渡せる高さまで来て、私は感動のあまり素っ頓狂な声を漏らしていた。とんでもない高さに思わず足がすくみそうになったけれど、旦那様がすぐ傍で微笑んでくれているおかげで恐怖は一瞬にして引っ込んでしまっていた。


「さあ! 百鬼夜行の新婚旅行の始まりだ!」


 旦那様の号令を受け、四方八方から百鬼夜行の皆さんの歓喜の叫びが響き渡った。

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