伍の二 万物流転
「ふふっ」
百年ぶりに集まった同胞達の顔を順々に眺めて、旦那様は口元を押さえて笑みを零した。
「な、何故……今更、百鬼夜行が集まるんですか! 我が王は百年間ひきこもっていただけなのにッ!」
「ひきこもろうが何だろうが、オレが百鬼夜行の王であることに変わりはない。百年経っても此奴らはオレを慕って集まってくれた、というわけだ」
「ちゃうで」
凜々しい表情で言い放った旦那様に向けて、九尾さんは酷く冷めた声色で否定した。驚きのツッコミを受けて愕然と項垂れた旦那様に対し、九尾さんを筆頭に百鬼夜行の妖怪達は皆それぞれ愉しそうに笑い声を上げた。
「思い上がってはいけませんよ、怪王様。皆々様が集まったのは他でもない、色葉さんのためなんですから」
「え! わ、私ですか……?」
坂田さんのびっくり仰天の発言に私は腰を抜かしそうになった。……もしかして、空亡の転生体ということが要因だろうか、と思ったのだが、そんな私の疑念を一撃で吹き飛ばすかのように刑部さんが開口した。
「全員、ワシと同じ考えですよ。ただ、新婚旅行を愉しむお嫁様の可憐な姿をひと目見たいがために各地から集まったんです」
「ウチら全員お姫様のこと大好きやからね~」
あっけらかんと言った九尾さんをジロリと睨み、旦那様は「出歯亀共め……」と低く唸った。
「屋敷を訪れた皆々様の悩みを解決し、絶品の手料理を振る舞い、穏やかな癒やしを与えてくれる心優しい色葉さんだからこそ、百鬼夜行は集結したんですよ。ここまでくると怪王様の百鬼夜行というよりも、もはや、色葉さんの百鬼夜行と呼んでも差し支えないのかもしれませんね」
「な、何だと!」
しれっと言ってのけた坂田さんに噛みつくように旦那様は声を荒げた。
「ほほほ。半分冗談ですよ」
「つまり、半分本気ということではないか」
肩をすくめた旦那様に柔和な微笑みを返し、坂田さんは不意に目を細めて、真剣な表情で頭を下げた。
「塵塚怪王様。今宵集まりし百鬼夜行にご指示を」
先程までの砕けた雰囲気とは打って変わり、明確な忠誠心を露わにして傅いた坂田さんを――そして、同じく一斉に傅いた百鬼夜行の皆さんを見渡して、旦那様は静かに頷いた。
「この街を守ってくれ」
「かしこまりました」
「朧には手を出さなくていい。ヤツはオレが殺す」
一瞬にして空気が冷たく張り詰めたのを感じ、私は両手を握りしめて身構えた。
「すまぬ」
突然、旦那様は腰を折り曲げて深く頭を下げていた。謝罪した相手は他でもない、朧さんだった。
「い、今更、何を謝るというのです!」
虚を突かれた朧さんは鱗に包まれた顔を困惑に歪めた。
「オレが隠居をしたせいで、お前は世を憂い、このような暴挙に出たのだろう? ならば、それら全てはオレの責任だ」
「はは、ははは……何ですか、それ。謝って済む問題じゃないでしょう! だったら、今すぐに百鬼夜行の王として世界を一つに束ねてくださいよ!」
「それはできぬ」
憤慨する朧さんは大声で喚き散らしながら、無数の稲妻を温泉街の至る所に撃ち放った。が、居酒屋を狙った雷撃は坂田さんが出刃包丁で斬り裂き、民家に降り注いだ雷の矢は鬼の集団が身を挺して受け止め、更に、雪女が作った氷雪の砦に付喪神達が人々を避難させたことにより、朧さんの攻撃は全て無駄に終わった。
「我が王!」
突如、青い閃光が瞬き、龍神の姿から人間の姿に戻った朧さんは旦那様の前に舞い降りた。そして、旦那様越しに私の顔を凝視して朧さんは開口した。
「……僕は軍人として、日本の外の世界を見てきました」
乱れた前髪を直そうともせず、朧さんは鬼気迫る表情で言葉を続けた。
「だからこそ、思い知ったのです。我々妖怪が思うよりも人間は遙かに賢く、遙かに愚かであると! 欲望のままに憎しみ合い、共食いをし続ける……その果てに待っているのは破滅のみ。ゆえに! 人間を正すための圧倒的な力が必要なのですッ!」
「オレはひきこもりだ」
一切の揺らぎのない堂々とした声で旦那様は言い放った。
「この百年間、伝聞でしか世を知らぬ。人のことも大してわからぬ。朧よ、お前が語る人間の性質は間違っていないのだろう。……しかし、だからといって、お前の暴挙を肯定することはできぬ」
「何故です!」
「お前の行いは、ただの傲慢だ」
真っ向から否定された朧さんは目を大きく見開き、腰に携えていた軍刀を勢いよく抜刀した。そして、雄叫びと共に旦那様に斬りかかった。
しかし、刃が旦那様に触れる寸前で――ぱりん――と小さな音をたてて粉々に砕け散った。
「ちぃッ……!」
朧さんは刀身を失った軍刀を放り捨て、一歩後退りながら舌打ちした。
「蒸気機関車を知っているか」
「は?」
戦闘の最中とは思えない旦那様の珍妙な問いかけに朧さんは目を丸くした。
「あれほど大きく厳めしい鉄の塊を組み立て、あの速さで走らせるなんて、まさしく人の強さの結実だとは思わぬか?」
今朝乗った蒸気機関車を思い浮かべているのか、旦那様はうっとりとした表情で嬉しそうに声を弾ませていた。
「それに、食事の美味さは人の最たる才能の一つだろう。慣れ親しんだ和食も、ハイカラな洋食も、ありとあらゆる創意工夫で発展させていくのだ。食うことも、食わせることも、愉しさを追求し続ければ果てはない」
「さっきから何を言っているんですか!」
朧さんは憤怒の形相で懐から自動式拳銃を取り出し、旦那様に向けて発砲した。だが、弾丸が旦那様に触れる寸前で――くしゃっ――と、またしても小さな音をたてて粉々に砕け散ってしまった。
「人の可能性は無限にある、ということだ」
「そんなものは綺麗事です!」
「かもしれんな。だが、綺麗なものに憧れるのは世の常だろう?」
そう仰った旦那様は穏やかな笑顔で私の顔をチラリと覗き込んだ。
「オレは人の可能性を信じている。ゆえに、これからの世に妖怪の力は必要ない。人知を超えた強大な力は人の可能性を捻じ曲げてしまうかもしれないからな」
旦那様が喋っている最中に再び青い閃光が瞬き、朧さんは人の姿を捨て去った。
そして、龍神と成った朧さんは暗澹たる空を荒れ狂うように舞い踊り、次々と雷撃を放っていった。世界の終わりかと見紛うほどの尋常ならざる量の雷がほとばしり、篠突く雨に混じって怒濤の勢いで旦那様に向けて降り注いだ。
旦那様は臆することなく、美貌を綻ばせて呵々と笑っていた。
「もし妖怪の力が必要な時が来るのだとしたら、それは空亡の如く、人に徒なす大妖怪が世に現れた時だ。――まさに、今宵のように」
朧さんを見上げて、旦那様は颯爽とインバネスコートを翻した。
凜。
と、静寂が辺り一帯を包み込んだ瞬間、気づいた時には雷が全て消え去っていった。いや、雷だけではない。ずっと降り続いていた雨も、吹き荒んでいた風も、朧さんが巻き起こしていた嵐のあらゆる全てが消滅していた。
そして、雲一つない夜空の下、まん丸の月に照らされて旦那様は右手を掲げた。
「万物を塵芥に変え――塵芥を万物に流転させる、それが我が力」
旦那様の右手の先に、弾け散った雷と雨と風が集束した。小さく小さく凝縮された嵐が右手の中で轟々とうねり、やがて、一本の刀剣の姿を象っていった。
龍にも似た波打つ刃文が泳ぐ刀身を鈍く煌めかせ、旦那様は刀剣を力強く握りしめた。
百鬼夜行の王・塵塚怪王の名に相応しい、万物の破壊と創造を司る超常的な力を目の当たりにし、私は震え上がった。
とっても恐ろしい力。だけど、とっても美しい力。
「さらばだ。我が盟友よ」
おぞましい咆哮を放つ龍神に向かって旦那様は跳躍し、刀剣を振り下ろした。
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