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壱の二 優しい人

 ざあざあ、ざあざあ。


 ざあざあ、ざあざあ。


 壁にもたれかかったまま、私は額に浮かんだ油汗を拭い取った。


 お父様が落雷に撃たれて死んでから、お母様と彩花ちゃんは私を責め続けた。そうして、私も自分を責めるようになった。お父様が死んだのは私が呪われているせいだ、と。そう考えないとみんな生きていけないほど辛かったから。


 それが十年間続いた。


「酷い雨だね」


 川のせせらぎのような声が聞こえて、私はハッと我に返った。


「やあ、色葉ちゃん。こんにちは」


 振り向くと、そこには軍服を着た爽やかな男性が立っていた。理知的なセルロイドの丸眼鏡をかけ、艶やかな黒髪をおでこの真ん中で分け、柔和な笑顔をいつも浮かべている軍人さん。


 この方は(おぼろ)さん。


 朧達臣(おぼろたつおみ)さん。


 今の私の唯一の心の拠り所であり、様々なことを教えてくれる恩人だ。


「勝手に部屋に入ってごめんね。何度かノックをしたんだけど、返事がなかったから心配で……」


「い、いえ、全然大丈夫です……むしろ、心配をかけてごめんなさい」


 お父様の死後、十年間ずっと朧さんは私達を懇意にしてくれ、精神的な面でも金銭的な面でも援助をしてくれた。今の暮らしが維持できているのはお父様の遺産と、朧さんの存在が全てだと言っても過言ではないほどに。


 お母様も彩花ちゃんも朧さんのことはとても慕っている。勿論、私も。


 朧さんはどことなく雰囲気がお父様に似ている。だからか、ついつい頼ってしまうのかもしれない。


「朧さん、ごめんなさい。いただいた本と雑誌を……その……手違いで、処分してしまいました」


 彩花ちゃんが捨てた、という事実を口にすることをグッと堪えて、私は深々と頭を下げた。しかし、朧さんは私を責め立てることはなく、「そっか、そっか」と安らかな声で頷いてくれた。


 きっと、朧さんは何もかも見透かしているのだろう。


「大丈夫だよ、気にしないで。また新しい本を持ってくるからさ」


「……ありがとうございます、朧さん」


 お父様が死んでから十年間、私はお母様と彩花ちゃんから呪われたガラクタ娘だと罵られて生きてきた。一族の恥だ、と。父親殺しだ、と。だから、私は学校に通うことができず、家の外に出ることも禁じられ、召使いのように家事全般に勤しんで生きていた。


 そんな私を気の毒に思った朧さんは内緒で本や雑誌をくれるようになった。「もう読み終わったものだからさ」と優しい言葉と共に。


 読書をすることで私は多くのことを知り、沢山のことを学んでいった。文字の読み書き、美味しい料理の作り方、日本の歴史のこと、そして、世界のあらゆる物事を。外に出られない私にとって、読書だけが世界を知る唯一の楽しみだった。


 朧さんにはどれだけ感謝をしてもしきれない。こんな私にここまで優しくしてくれるなんて……。何も返せないことが酷く申し訳なくて、己の無力さを呪ってしまうこともあるけれど。


「そうだ。今日は時間があるから、帝都の話をしてあげようか」


 そう言って、朧さんが朗らかな声で語り始めた、その瞬間。


「お姉様!」


 部屋の外から彩花ちゃんの大声が轟いた。


「……彩花ちゃん?」


 いつもの怒声や罵り声とは異なる、妙に上ずった声色に私は首を傾げながら立ち上がった。


「お母様が大事な用があるとお呼びです! すぐに来てくださいましっ!」


 彩花ちゃんが廊下をドタバタ走って行く音を聞いて、朧さんは耳心地の良い低音の笑い声を上げた。


「ははは。彩花ちゃん、随分急いでいるみたいだったね。ほらほら、僕のことはいいから早く行っておあげ」


「す、すみません……。帝都のお話はまた後ほど、是非」


 朧さんに頭を下げて、後ろ髪をひかれる思いで私はお母様の待つ部屋に向かった。


   ▼   ▼   ▼


「縁談……?」


 ささくれた畳の上で膝を揃えた私は驚きのあまり、素っ頓狂な声を漏らしてお母様の言葉を繰り返してしまった。


「ええ、そうよ。色葉、あんたなんかには勿体ない殿方が縁談を持ち込んでくださったのよ。おほほ」


 上機嫌なお母様は派手な座布団の上に座り直し、ニコニコと笑った。


 縁談。つまり、結婚の話だ。


 こんな私をお嫁に欲しい、と申し出る人がいるだなんて……。何の取り得もなくて、学もなくて、習い事もやっていなくて、無知な私なんかに。一つ他の人と違うことがあるとすれば、呪われているということだけなのに。


「お姉様に縁談を持ち込むなんて……余程の数寄者なのかしら」


 私の心の声を代弁するように彩花ちゃんは楽しそうに頬を歪めた。


「おほほ。実はね、その殿方は人間ではなくて妖怪なのよ」


「え!」


 お母様の言葉に彩花ちゃんはわざとらしく驚いたフリをしてみせた。


「妖怪だなんて、今どき珍しいわね! 百年前はわんさかいた、って学校で習ったけれど」


 妖怪。


 人ならざる者。


 本で読み囓った程度なので、私もあまり詳しくは知らないけれど……。妖怪とは、人とは異なる姿をしており、人知を超えた力や妖術を使いこなし、あらゆるモノから恐れられる怪物であるという。


 本に載っていたおどろおどろしい妖怪の絵を思い出し、私は背筋が寒くなった。


 ……が、ちんちくりんの私が妖怪であろうと人様の容姿を怯えるなど、あってはならないことだ、とすぐに反省して恐怖の感情をギュッと呑み込んだ。


「何でも、百年前に百鬼夜行を束ねていた妖怪の王様なんですって!」


「百鬼夜行?」


「おびただしい数の妖怪の群れのことよ」


 お母様の説明を聞き、彩花ちゃんはふむふむと頷いた。


「そんな由緒正しき妖怪の王様と結婚できるなんて、流石はお姉様ね! ほほっ」


「本当、妖怪の王様と呪われたガラクタ娘はぴったりな夫婦だわ!」


「どうせ、見た目はとんでもなく恐ろしく醜い異形なんでしょうけど! きゃはは!」


 そう言って二人は耳をつんざくような金切り声で大笑いした。


「それにね、結納金もたんまりくれるらしいのよ! お父様の遺産もなくなってきたし、朧さんがくれるお金も少なくなってきたし、大助かりだわ~」


「汚らわしいお姉様が家からいなくなるのもスッキリ爽快だものね!」


 ケタケタと笑い続けるお母様と彩花ちゃんの姿が私には妖怪以上の怪物に見えて仕方がなかった。けど、今更私が抵抗する理由もなく、文句を言える価値もなく、少しでも二人が喜んでくれるのなら……と縁談を快く受け入れることにした。


 せめて朧さんに相談をしたかったけれど、急な仕事が入ったとのことで会うことは叶わず、最後の挨拶もできないまま私はこの家を出ることになった。

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