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肆の五 愛憎まみれて乱れ舞う

「だんなさま……!」


 雷撃を受けて黒焦げになっていたはずの旦那様はゆらり、と立ち上がった。


 そして、足がすくんで動けない私の元に近寄り、煤けた顔に満面の笑みを浮かべた。お気に入りのインバネスコートはボロボロになり、浴衣も所々ほつれてはいるが、旦那様の身体はほとんど無傷だった。


 絶望も憎悪も全て弾き飛ばすほどの圧巻の美貌が燦然と輝いていた。


「待たせたな、すまぬ。回復の術式はどうも苦手なもんでな」


 旦那様は私の肩を優しく抱き寄せ、「大丈夫だ」と耳元で甘く囁いた。


「旦那様……!」


「心配するな。この通り、傷一つないぞ」


 懐から取り出した墨絵の扇子を勢いよく広げて見せて、旦那様は誇らしげに頷いた。


「だ、旦那様! そんなものより、旦那様のお身体の方が――」


「馬鹿を申すな。そんなものではない。これは大切なお前からもらった大切な宝物なのだからな。だからこそ身を挺して守ったのだ」


 旦那様と会話をしているといつの間にか、私の中のドス黒く煮え滾る感情は見当たらなくなっていた。


 ほんの数瞬前までは今にも爆発しそうなほどに膨張していた憎悪も、朧さんに突きつけられた絶望も、呪われた命に対する嘆きさえも。旦那様の存在が温かく包み込んでくれて、私の後ろ暗い感情を全て優しく溶かしてくれたのだ。


「我が王……!」


 突如として大声を上げた朧さんに視線をやると、その表情には生々しい感情が浮かび上がっていた。先程までの爽やかな仮面のような笑顔とは違う。旦那様が立ち上がった喜びと、底知れない怒りがない交ぜになった怪物の如き形相だった。


「朧」


 怜悧な眼差しで朧さんを睨みつけ、旦那様は一歩前に出た。


「何故、オレ達がここにいることがわかった?」


「常に監視していましたから」


 けろっとした態度で答えた朧さんに対し、旦那様は「やれやれ」とため息を吐いた。


「厄介だな、お前」


「それだけ僕は本気だということです」


「はぁ……。昔はそんな面倒臭いヤツではなかったはずだが」


「貴方のせいですよ、我が王」


 低く唸るように言った朧さんの丸眼鏡の奥の瞳には愛憎の炎が燃えている気がした。ただ欲望のままに力を求めているわけではない執念を――いや、もはや、情念の如き思いをひしひしと感じた。


「百年前、空亡を成敗した後に隠居した貴方に僕は心の底より失望したんです。……確かに、大勢の同胞が殺されたのは悲しいことでした。だが、しかし! それでも貴方は空亡を殺し、勝利なされたのですッ! なればこそ、その栄誉を大いに誇るべきでした!」


「数え切れないほどの人と妖怪を守れなかったことの何が栄誉だ」


 そう答えた旦那様の表情には深い悲しみの色が刻まれていた。


「僕の神通力で元に戻したのだから何も問題はないでしょう……!」


 冷静さを欠いた朧さんの叫びに呼応するように雨風がどんどん勢いを増し、夜の温泉街を荒らしていった。


「あの時、貴方は百鬼夜行の王として威光を誇示するべきだった! 妖怪だけでなく、人間にも向けて! 圧倒的な貴方の力があれば、世界は一つになったはずだ!」


「妖怪の力は人の世にはあまりに強すぎる」


「だからこそ、その力で人を導くべきなのです!」


「力による支配では何の意味もない」


「力こそが全てです!」


 朧さんは握りしめた拳で虚空を殴りつけて、これまで抑え込んでいた感情を全て吐き出すように怒声を張り上げた。


「なのに! 臆病風に吹かれて隠居するだなんて! 貴方に影響された他の妖怪達も人間社会から姿を消し……今や、うどんとそばで喧嘩をする始末なんですよ!」


「平和で良いではないか」


「平和ボケなど堕落の極みですッ!」


 旦那様の言葉を悉く跳ね返し、朧さんは怒りの形相で吠え叫んだ。すると、青い閃光が夜の闇を切り裂くように瞬いた。更に、暗雲立ちこめる空に無数の稲妻が轟き、春とは思えない冷たい風が吹き荒んだ。


 そして、青い閃光が掻き消えると共に、朧さんの姿が変化していた。


 丸眼鏡をかけた好青年だった朧さんとは似ても似つかぬ雄々しい巨体が闇夜にうねり、轟々と鳴る雷を纏って温泉街の空に君臨する。


 龍神。


 その姿は、朧さんからいただいた本に載っていた龍そのものだった。


「我が王! 隠居して落ちぶれた貴方に変わり、この僕が百鬼夜行を束ねてあげましょう!」


「成程……そのために、空亡の強大な力を利用しようというわけか。ふん。オレに成り代わろうとは大した志だ。それだけは褒めてやる」


 龍神と成った朧さんを見上げて旦那様は臆することなく頷き、インバネスコートを華麗に翻した。


「だが、色葉を苦しめたことは断じて許さぬ!」

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