肆の二 愉しい時間
「……よし」
土産物屋で一人、私は気合いの言葉を小さく呟いた。
旦那様への土産選び。
つまるところ、贈り物だ。
圧倒的な美貌を誇る殿方であり、千年以上生きる妖怪の王様であり、優しくて時々子供っぽさが垣間見える素敵なお方。そんな旦那様がもらって喜ぶものは一体全体、何だろう?
と、悶々と考えながら私は店内を練り歩いていった。
まず目についたのは、上品な色合いの綺麗な髪紐だった。旦那様の麗しい白銀の髪を結うのに相応しい……けれど、旦那様が普段使っている髪紐の方が似合っているんじゃないか、と躊躇してしまった。
次は打って変わって、奇妙な柄物のがま口財布を手に取ってみた。凜とした旦那様が懐から取り出したら微笑ましい気がしたのだ。旦那様の表の印象とは異なる可愛らしさがたまらない。……が、それはそれで旦那様をおちょくっているようにも思えてしまい、そっと棚に戻すことにした。
ああ、悩ましい。どれもこれも旦那様に相応しいように思えると同時に、何もかもが不釣り合いに思えてしまうのだ。ああ、難しい。されど、愉しい。
この土産を渡したら旦那様はどんな顔をするだろう? そうやって旦那様のことだけを考えることがたまらなく幸せなのだ。頭の中が旦那様のことだけで埋め尽くされる、とても甘くて贅沢な時間だ。
それから私はしばらく大いに悩み続け、ああでもないこうでもない、と考えた末に一つの答えに辿り着いた。
そして、会計を済ますと同時に旦那様が戻ってきたことに気づき、私は駆け寄った。
「お待たせしました、旦那様」
頭を下げた私の顔を旦那様は腰を屈めて覗き込み、朗らかに笑った。
「随分とろけた顔をしておるな」
「……はい。旦那様のことだけを考える時間はあまりに愉しかったもので」
再び頬を朱に染めた旦那様に対し、私は際限なく高鳴り続ける左胸の辺りを押さえながら、先程買ったばかりの贈り物を差し出した。
「こちら、受け取っていただけますか……?」
その贈り物に私は絶対的な自負があった。この土産物屋の中で旦那様に一番似合うものだという自信があった。それでも、旦那様を前にすると不安と緊張で胸が張り裂けそうで、まともに顔を見ることができなくなり、俯くしかなかった。
「おおっ」
旦那様の上ずった吐息が聞こえ、私は恐る恐る顔を上げた。すると、歓喜に満ち溢れた表情の旦那様が視界に映り、緊張の糸がほぐれる感覚と共に私は安堵の息を吐き出した。
安心。
それ以上に、旦那様が喜んでくれたことが何よりも嬉しかった。
「素晴らしい……」
五臓六腑に染み渡るような艶やかな声色で唸り、旦那様は嬉々とした表情で私からの贈り物をバッと広げて見せた。
それは、雪が降り積もる山々の墨絵が描かれた扇子だった。たおやかな白地に映え渡る、くっきりとした墨。まるで、旦那様の白銀の髪と漆黒のインバネスコートの如く対照的で、凜とした美しさを誇っていた。
「美しくも儚く、切なくも力強い……実に良い墨絵だ。眺めているだけで心が洗われるようだ。それに扇子の作りも丁寧で、これからの季節は特に重宝しそうだ」
これほどまで喜んでくれるとは……! 天にも昇る心地とはまさにこのことだ、と私は確信した。
「そして何と言っても、お前が心を込めて選んでくれたことが嬉しい。何ものにも代えがたい宝物ができた。感謝するぞ、色葉」
そう仰って扇子を扇ぐ旦那様の優雅な姿を見て、私は幸せすぎて身も心もとろとろに溶けてしまいそうだった。
▼ ▼ ▼
しばらく旦那様と共に観光を愉しみ尽くした後、心地よい疲労感と共に目当ての旅館に向かった。そこは温泉街の中でも特に老舗の由緒正しい旅館のようで、旦那様も百年以上も前に何度か訪れたことがあるとのことだった。
旦那様は懐かしさに浸りながら、私は初めての宿泊に驚き惑いながら、旅館での快適な時間をゆったりと過ごした。
案内してもらった部屋はとても綺麗な和室で、旅先であることを忘れてしまいそうになるほどの落ち着いた雰囲気に満ちていた。
ただ、旦那様と相部屋であることには最初おっかなびっくりだったが、「夫婦なのだから構わないだろう」と仰った旦那様の顔色を見て、すんなりと受け入れることができた。……だって、旦那様の顔は赤茄子なんて比べ物にならないくらい真っ赤だったのだから。
気丈に振る舞っていても、きっと私とおんなじなのだ。と、妙に嬉しくなった。
ここ最近、四六時中、左胸の辺りが高鳴り続けているのは未だに慣れないけれど。
「良い湯だったな」
「はい……極楽というものを初めて味わいました」
名物の温泉を堪能し、骨の髄までぽかぽかと温まった私は夢心地で頷いた。そんな私に柔らかい笑みを返し、旦那様は墨絵の扇子を使って涼んでいた。
ちなみに、「一緒に湯浴みをするか」と冗談交じりの声で誘われたのだが……一糸まとわぬ旦那様の姿を拝むことも、ちんちくりんの裸体を旦那様に晒すことも、どちらも想像するだけで頭が爆発してどうにかなってしまいそうだったため、丁重にお断りした。そんな私の返答に旦那様はガッカリするわけではなく、むしろ、ホッと安堵の息を吐いていた。
「お待ちかねの夕餉が来たぞ」
浴衣姿でくつろいでいた旦那様はニヤリと頬を緩め、お膳を運んできた仲居さんを快く迎え入れた。そうして、あれよあれよという内に豪華絢爛たる夕食が並べられていった。
「ほぉあッ」
老舗旅館ならではの贅と粋を極めた夕食の数々に圧倒され、私はあられもないヘンテコな声を漏らしてしまった。
艶々と色っぽい光を放つ炊きたての白米。芳しい香りを纏う鮎の塩焼き。一目見ただけでサクサクと歯応え抜群だとわかる山菜の天ぷら。旬の野菜をたっぷり使った煮物。食欲をそそらせる黄金色の茶碗蒸し。気品漂う鴨肉の吸い物。……と、一品一品が主役級のとてつもない大舞台が目の前に広がっていた。
更に、旅館の女将さんが最近凝っているという洋食も特別に振る舞ってもらい、オムライス、ライスカレー、カツレツ、コロッケ、サンドウィッチまでもが加わって、和と洋が一堂に会する饗宴が繰り広げられていた。
「すごい、ですね……!」
ごにゅり、と勢いよく生唾を呑み込んだ私を一瞥し、旦那様は朗らかな笑い声を上げた。
「ふふっ。今更、遠慮などいらんぞ? たんまりと、食うがいい」
「は、はいっ」




