肆の一 幸せな新婚旅行
がたたん、ごととん。
「どうだ、落ち着いてきたか」
がたたん、ごととん。
「……はい。もう、大丈夫です」
隣に座って脚を組んでいる旦那様に頷き返し、私は頬をふわりと緩めた。少し前まで汽車の揺れに酔って参ってしまっていたのだが、旦那様と穏やかな会話を重ねていく内に気が優れていき、今はすっかり落ち着いている。
旦那様、様々だ。
「蒸気機関車は良いな。人の強さの結実を感じる」
私越しに窓の外を眺めながら旦那様はうっとりと微笑んだ。男女問わず羨む美貌を無邪気に綻ばせる旦那様の姿に吸い寄せられ、私は思わず全てを忘れて見蕩れてしまいそうになった。が、寸前のところで理性を繋ぎ止め、視線を外して乱れた息を整えた。
がたたん、ごととん。
蒸気機関車に揺られて、旦那様と二人きり。
そう。今日は新婚旅行ということで坂田さんも、唐傘さんと提灯さんも同行していない。正真正銘、旦那様と二人きりの旅だ。行き先は、汽車で帝都から数時間ほどの静かな温泉街。旦那様曰く、妖怪達に新婚旅行がバレると騒ぎになって面倒臭いのでなるべく静かな場所を選んだとのこと。
温泉街での二人きりのお泊まり旅行。……想像するだけで幸せが溢れてどうにかなってしまいそうだ。と、私は贅沢な悩みでいっぱいいっぱいだった。
「新婚旅行は異国の言葉でハネムーン、と言うらしい」
「はね、むーん」
旦那様の言葉をこっそり繰り返し、その不思議な響きに心がふわふわと舞い上がった。
「蜂蜜のように甘い旅だ」
▼ ▼ ▼
汽車を降りて、駅からは人力車に乗り、澄み切った空気の清々しさを旦那様と共に愉しんでいると、あっという間に目的地の温泉街に辿り着いていた。
「旅疲れはしていないか?」
旦那様に手をひかれて人力車から降り、私は「はい、おかげさまで」と健やかに頷いた。
「では、ゆるりと参るか」
そう仰って、旦那様はブーツの底で石畳をコツコツと鳴らして歩き始めた。
山間部にひっそりとある静かな温泉街。……とはいえ観光客は多く、穏やかな活気に溢れて賑わっていた。道行く浴衣姿の人々は皆、ぽかぽかと幸せそうな笑みを浮かべている。まるで、時間の流れがゆったりとしているかのように。
帝都の華やかな賑わいとはまた異なる、牧歌的な光景だ。
そんな温泉街をゆるりと闊歩する旦那様の姿は誠に絵になる美しさだった。
束ねた白銀の長髪がそよ風に揺れ、凜々しさとたおやかさを兼ね備えた美貌は朗らかな笑みを浮かべ、お気に入りのインバネスコートと気品のある紅色の着物が圧巻の存在を更に強調していた。
改めて。
何度見ても。
とても美しいお方だ、と私はぼぅと見蕩れて息を飲んだ。
「やはり、良いな」
ふと、私と目が合った旦那様は静かに仰った。そうして、私の姿をまじまじと見つめながら、顎に指を艶めかしく添えて満足げに頷いた。
数瞬して、旦那様が格好を褒めてくださったことに気づき、私は熱を帯びた頭を深々と下げた。
「あ、えと……その、えっと……あ、ありがとうございます……」
今日の私の格好は、旦那様の御髪と揃いの白地に七宝つなぎが施された着物姿。それは、初めてのデェトの際に買っていただいた大切な宝物だ。そして、ボロ切れしか知らなかった私に着飾る楽しさを教えてくれた思い出の象徴だ。
この着物を纏って旦那様の傍にいると、今までの後ろ暗い私から生まれ変われるような気がして、無性に心が弾んだ。
「……おや?」
旅館に向かう道すがら旦那様は何かに気づいた様子で、立ち止まった。と、その傍らを浴衣姿の子供が一人、はしゃぎながら横切っていった。少し遅れて、幸せに満ち溢れた表情の男性と女性が後を追いかけた。……きっと、その男女は夫婦で、親子三人で温泉街を堪能しているのだろう、と見てとれた。
その親子が出てきたのが大きな土産物屋であることを確認すると、旦那様は柔和な笑みと共に私の肩に優しく触れた。
「宿に行く前に少し寄ってみるか」
「は、はい!」
そして、土産物屋に足を踏み入れると、そこには観光地の店ならではの圧倒的な世界が広がっていた。
「うわぁ……!」
檜の香りが広がる店内に所狭しと溢れかえる多種多様の土産物達。木棚にぎゅうぎゅうと並ぶ木彫りの群れ、神秘的な寄木細工、色鮮やかな湯飲みやお茶碗、更には見たことも聞いたこともない奇妙奇天烈な品の数々。
どこを見ても興味深い土産物ばかりで、ついつい目移りしてしまう。
まるで、祭りの愉しさを凝縮したような世界観だ。
「あ。これ、坂田さん好きそうですね」
黒胡麻の煎餅がパンパンに詰まった袋を手に取り、坂田さんのことを思い浮かべると自然と笑みがこぼれた。
「となると……この湯飲みも!」
閃きと共に私は木棚にあった山吹色の湯飲みを手に取り、力強く頷いた。この湯飲みにお茶を煎れ、黒胡麻の煎餅を食べるのは至福に違いない、と。
「提灯さんは金平糖がお好きですし、これを。唐傘さんは洋菓子派だからクッキーにしましょう。……ん? こ、これは!」
無邪気にはしゃぐ二人のことを想像しながら店内を歩いていると、可愛らしい色合いの喧嘩独楽を発見して、私は大きな声を上げてしまった。
「丁度二種類ありますし、お二人にぴったりですね!」
「ふふっ」
背後から旦那様の穏やかな笑い声が聞こえ、私はビクリと身を震わせて振り返った。
「あ。も、申し訳ございませんっ。私ったら、また我を忘れて気分が上がってしまって……」
「いや、構わんさ。ただ、土産を選ぶお前の姿が愛おしくてな」
賑やかな店内において、私の鼓膜だけに響かせるような低く甘い声色で旦那様は仰った。
「愉しいか、色葉」
「は、はい。大切な人のことを考えながら、お土産を選ぶのはとても愉しゅうございます」
「ほう」
私の返答に旦那様はゆったりと頷いた後、口元を緩めた魔性の笑みを輝かせた。
「そいつは、ちと焼けるな」
「…………え?」
思いがけもしない旦那様の言葉に私は呆けた声を漏らしてしまった。
「オレにも選んでくれないか」
「え」
続け様に意表を突かれ、私は言葉を失った。
「だ、旦那様……?」
見上げると、旦那様の頬は薄らと朱に染まっていた。
「柄にもなく、すまぬ……」
旦那様は私に焼ける、と仰った。それはつまり、羨ましい、という意味だろう。ならば、選んでくれ、と仰ったのは即ち、自分にも土産を選んで欲しい、ということではないだろうか。……と、私は思考を張り巡らせた。
私が坂田さん達のことを愉しそうに考えていることを羨ましく思い、自分のことも考えて土産を選んで欲しい。……そう、旦那様は訴えたのだ。
ほんのりと、子供のような嫉妬を滲ませて。
いつもは堂々とした物言いをする旦那様の可愛らしい一面を目の当たりにし、私は左胸の辺りが大きく高鳴るのを感じた。
「はい! 旦那様へのお土産を選ばせていただきますね」
恥ずかしさのせいか、旦那様は私と目を合わせようとはせず、おずおずと頷いた。
「で、では、お前が見繕ってくれている間、オレは別のところで時間を潰しておくとしよう」
そう仰るや否や、旦那様は逃げるように去っていった。その姿がまた可愛くて、いじらしくて、私は頬が緩んで仕方がなかった。




