参の五 来訪者
あの後、九尾さんと刑部さんは出前のたぬきそばときつねうどんをたんまりと食べ、大いに語り合い、互いを認め合い、すっかり意気投合して帰っていった。数日後には、二人の尽力によって妖狐と化け狐の長きに渡る抗争は無事に丸く収まった、との知らせがあった。
一緒に美味しいものを食べ、仲良く話し合う。それが二人の長年のわだかまりを解決したのだ。
……が、何故か、その手柄は私のものとなっていた。
怪王様のお嫁様は人の身でありながら、大物妖怪のいざこざを諫める力を持っている。和やかな雰囲気で話を聞いてくれて、心温まる絶品の手料理を振る舞ってくれて、情熱的な言葉の数々で喝を入れてくれる……と。
そんな過大評価にもほどがある噂を九尾さんと刑部さん、そして沢山の妖狐と化け狸が全国各地の妖怪達に広めてしまい――
――その結果、連日連夜、全国津々浦々の妖怪達が屋敷を訪ねるようになっていた。旦那様ではなく、私に会うためだけに。あろうことか、私は今や『百鬼夜行のお姫様』として敬われてしまっているのだ。
「……うぅ、何でこんなことに」
今日の客人が帰った後、畳の間で私はぐったりと項垂れた。
頼ってくれるのはとても嬉しいことだけれど、それにしても、畏敬の念があまりにも重すぎる。私は特別なことなんて何もしていないのに、本当に大丈夫なのだろうかと不安になってしまう。
「あらあら、ご謙遜を。皆さんは色葉さんだからこそ慕ってくれているんですよ。怪王様のお嫁さんということは関係なしに、です。なので何も心配はいりませんからね」
私の前のちゃぶ台にお茶を置いて、坂田さんは優しく微笑んだ。
「……あ、ありがとうございます」
坂田さんの言葉とお茶の温かさが心身共にじんわりと染み渡り、私はホッと息を吐いた。
今日は河童さんの夫婦喧嘩の相談に乗り、雪女さんの旦那様に対する愚痴を聞き、各地から集まった鬼の皆さんに手料理をたっぷりと振る舞った。確かに、誰しもが笑顔になって満足そうに帰っていったが、それを自分一人の手柄だと受け入れることができるほど私は私という存在に自信がなかった。
「あっぱれだぞ、色葉」
畳の間にやってきた旦那様は開口一番、そう仰って私に笑みを向けた。
「だ、旦那様……!」
「流石は我が嫁……いや、百鬼夜行のお姫様、といったところだな! はっはっは!」
旦那様に褒められて嬉しいやら恥ずかしいやら面はゆいやら、で私はあたふたした。
「もっと自信を持っていいぞ、色葉。お前には才能がある」
「……才能だなんて、そんな」
「もっとも、自信がなくておどおどしてしまう可愛らしさもお前の魅力ではあるがな」
そう仰ってくれた旦那様から少し目を逸らし、私は虚空を見つめた。
ただ、ただただ、嬉しい。
お父様の死後、十年間、私には何もなかった。呪われたガラクタ娘としてお母様にぶたれて、彩花ちゃんに罵られるだけの日々だった。唯一の救いの朧さんの存在も、お母様と彩花ちゃんの責め苦によって塗り潰され続けていた。
だから、私は無能のクズだった。学も礼儀も何も持っていない、ボロボロのちんちくりん。
そんな私を旦那様は見初めてくれた。
こんな私に坂田さんは優しくしてくれて、唐傘さんと提灯さんは一緒に遊んでくれて、そして、沢山の妖怪の皆さんが慕ってくれた。
今でも不安と焦燥感に駆られてばかりだけれど、それでも、だとしても、私の心は幸せに満ち溢れていた。
――幸せであることが怖い、という感情さえも忘れるほどに。
▼ ▼ ▼
燦々と照る太陽の下、私は屋敷の庭にしゃがみ込んで草をむしっていた。
今日は坂田さんと唐傘さんと提灯さんは帝都に買い出しに行っている。旦那様はいつものように書斎でひきこもり。加えて、私を訪ねてくる妖怪は珍しくいない。ということで、手持ち無沙汰な私は一人、庭の草むしりをしようと思ったのだ。
爽やかな春風が心地よく、まったりとした時間が穏やかに過ぎていく。
今日も今日とて良い一日だ。
と、思っていた矢先、幸せな日常を蝕む来客が現れた。
「ふぅん、随分立派なお屋敷だこと」
背後から聞こえた声に私は耳を疑った。鼓膜をギチギチと軋ませる甲高い声を聞いた瞬間、背中に嫌な汗がどろりと流れたのを感じた。更に、雑草をむしっていた指先が震え、力が入らなくなっていった。
聞き間違いであってほしい、と切に願った。
悪夢だったらいいのに、と祈りを捧げた。
しかし、振り向いた先に立っていた二人の姿を見て、私は現実を突きつけられた。
「お母様、彩花ちゃん……」
実家にいた頃には見たこともなかった豪奢な洋服に身を包み、少し膨よかになったお母様と彩花ちゃんは私の顔と着物と屋敷を順々に睨みつけていった。
二人の視線に欲深い禍々しさを感じ、私は胸が痛くなった。




