参の四 うどんとそば
台所にて、出来上がった料理をお盆に並べながら私は冷や汗をかいていた。
坂田さんの提案で九尾さんと刑部さんのための食事を私が全て作ることになったのだ。ただでさえ、二人の怒りを和らげることをできなかった自分にガッカリしていたところなのに、料理まで振る舞うことになろうとは……と、戦々恐々だった。
「そんなに怯えなくて大丈夫ですよ。色葉さんのお料理は天下一品ですもの」
そう言ってくれた坂田さんに対し、不安でいっぱいいっぱいな私は俯いて首を振った。
「で、ですが……お二人の舌に合うかどうか。私の作った料理はどれもこれも派手さのない家庭的なものばかりですし……。洋食の一つも作れませんし……」
「ああいう殿方は案外、家庭料理が大好きなものですよ」
自信満々な坂田さんに言いくるめられ、私はのそのそと重い足取りで大広間に向かった。
「おおっ、何と良い香りだ!」
私達が運んできた料理を一目見るや否や、刑部さんは今にもヨダレを垂れ流しそうな勢いで跳び上がった。九尾さんは一見すると冷静に振る舞っていたが、肩が微かに震えて料理に興味津々なのが明らかだった。
「怪王様のお嫁様に手料理を振る舞ってもらえるやなんて……畏れ多くも、ありがたい限りですわ」
そうして、二人は揃って行儀良く手を合わせた後、綺麗な箸捌きで黙々と食べ始めた。初めは煮豆、続いて薬味をかけた冷や奴、更に続いてきんぴら、そして味噌汁、炊きたての白米……。と、次々に食べ進めていった。
「なんやこれ」
空っぽになった小鉢を見つめ、九尾さんはキラキラと輝く表情で呟いた。
「こんな美味しいきんぴら、京の高級料亭でも出てこぉへんで」
「ああ、美味い。きんぴらも、煮豆も、この薬味の効いた冷や奴も。どれもこれも白米に合いすぎる……! そして何と言っても」
二人揃って「味噌汁!」と声を上げた。
「濃すぎることもなく、薄すぎることもなく、絶妙な塩梅の美味しさや」
「胃袋にカッと染み渡る心地良さたるや……! 筆舌に尽くしがたし!」
あっという間に食べ終えた二人は再び揃って行儀良く手を合わせ、私に向かって深々と頭を下げた。
「ご馳走様でした」
満足げに頷く坂田さんを一瞥し、私は「お、お粗末様でした」と言葉を返して、美味しく食べてもらえた嬉しさを噛み締めた。
食事をする前までは口喧嘩が絶えなく、ギスギスといがみ合っていた二人はすっかり穏やかな表情を浮かべていた。今や、食後のお茶を飲みながら、旅の最中で買ったという神社のお守りや御朱印を見せ合って談笑をしているほどだった。
和やかな空気にほっこりしていると、突如、刑部さんが大きなおなかをポコン! と叩いて開口した。
「思い出したぞ! 最初の喧嘩は、うどんとそばだった」
刑部さんの言葉を聞き、九尾さんはハッとした表情で顔を上げた。
「せや! きつねとたぬきや。ウチとキミで江戸のごはん屋さんに行った時のことやろ」
「ああ。そこできつねうどんとたぬきそば、どっちが美味いかで言い合いになったのだ」
昔を懐かしんでいるのだろう二人は目を閉じて、静かに頷き合っていた。
「きつねうどん、一択や」
「たぬきそば以外ありえない」
互いの主張を口にして、二人の瞳に闘志がグツグツと煮え滾っていった。このままではまたしても喧嘩に逆戻り、折角の和やかな雰囲気が台無しだ、と私は必死に思考を張り巡らせた。
そして、きつねうどんとたぬきそばに思いを馳せた。
実家に住んでいた十年間、うどんもそばも……そんな上等なものは食べさせてもらえなかった。が、記憶を手繰っていく内に、十年以上前にうどんとそばを食べた思い出が沸々と蘇ってきた。
まだ私が幼い頃、お父様に定食屋に連れていってもらった朧気な記憶。
お品書きと睨めっこをして、きつねうどんとたぬきそばのどちらを注文するかを大いに悩んでいたのが酷く懐かしい。ひたすら悩み抜いた結果、お父様の厚意できつねうどんとたぬきそば、そのどちらもを小盛りで頼むことにしたのだ。
当時の記憶を反芻し、口の中にあの時の幸せな思い出を蘇らせて、私は静かに――それでいて力強く頷いた。
「あ、あの!」
刮目した私は注目を集めるため、勢いよく挙手をした。
「私はきつねうどんも、たぬきそばも、両方とっても美味しいと思います!」
私らしからぬ大きな声に九尾さんも刑部さんも、坂田さんまでもが目を大きく開いて驚いていた。
「こ、これは決して日和見をしているわけではなく、本当に、心の底から、どちらも好きなんです! だって、お汁を吸ってむっちりとした油揚げをちょっぴりずつ食べていくのも、サクサクの天かすとふやけた天かすを食べ比べるのも、どちらも最高に幸せですから! 言うまでもなく、うどんとそばも負けず劣らず、どちらも最強です! まるで九尾さんと刑部さんの如く!」
息継ぎすることなく矢継ぎ早に言ってのけて、私は更にトドメの言葉を吐き出した。
「なので私なら二つに一つ、ではなく、二つ両方食べちゃいますっ!」
言い終えて、しん、と大広間が静まりかえっていることに気がついた。あまりに勢い任せに言ってしまって完全に空気をぶち壊してしまったのだ……と、私は全身から汗という汗を噴き出させながら、やらかしてしまったことを後悔した。
「へ、変なことを言って申し訳ご――」
しかし、私の謝罪は凄まじい音によってかき消されてしまった。
ぐぐぐうぅ~っ。
きゅるるる~っ。
と、二人のおなかの音が先程よりも大きな音で大広間に響き渡り、和やかな空気が一変して復活したのだ。
「し、失敬……お嫁様の白熱の思いを聞いたら、ついつい、腹が減ってしまいまして」
「たらふく食べたばかりだというのにお恥ずかしい……」
九尾さんと刑部さんは互いに見つめ合って恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべた。
「サクサクの天かすとふやけた天かすの食べ比べかぁ……たぬきそばもええなぁ」
「むっちり油揚げをちょっぴりずつ囓って食べるきつねうどんはたまらんだろうなぁ」
私が掲げた魅力をうっとりと繰り返して、二人は再びおなかを鳴らした。「今から帝都の麺処に行くか?」と九尾さんと刑部さんが真剣な表情で相談し始めたところ、坂田さんが穏やかな笑顔で開口した。
「出前を取るのはいかがでしょう?」
坂田さんの提案に九尾さんと刑部さんは二つ返事で飛びついた。
「是非!」
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