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参の二 狐と狸

「ふぅ~」


 台所の掃除をしながら私は深く息を吐き出した。それは決して、ため息ではない。疲労しているわけでも、悲観しているわけでも断じてない。ただ、昨日の出来事を不意に思い出して、顔がとろけてしまいそうになるのを何とか整えるための深呼吸だ。


 日を跨いで影響を及ぼすほど、昨日の旦那様は凄かった。


 述べ三時間、私は褒め殺しにされて身も心もとろとろにふやけてしまったのだ。嬉しさと恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。いや、もしかしたら、どうにかなってしまっていたのかもしれない。……ところどころ記憶がボヤけているところがあるし。


「って、ダメダメ……しっかりしなきゃ」


 油断すると昨日の幸せな記憶に溺れてしまいそうになり、私は自分の頬を自らぺちぺちと叩いて活を入れた。


「色葉ちゃーん!」


 と、そんな最中、唐傘さんと提灯さんが嬉しそうな笑顔で私の足下に走り寄ってきた。


「あら、どうされました?」


「坂田さんにおつかいを頼まれたんだー! へへっ」


「おつかい?」


 私の問いかけに二人は無邪気にはしゃぎながら跳び上がった。


「うん! 怪王様にお客さんだってー!」


「でも怪王様はひきこもりだから、代わりに色葉ちゃんを連れてきてだってー!」


 そう言うや否や唐傘さんと提灯さんは私の手を引っ張った。そうして、二人と共に向かった先は、屋敷の大広間だった。縁談の際に使用したとても大きな洋室だ。


「色葉ちゃん連れてきたよー!」


「し、失礼しますっ」


 洋室に入ると、客人に紅茶を出していた坂田さんが私に気づき、素早い身のこなしで走ってきた。


「いきなり呼び寄せてごめんなさいね、色葉さん」


「い、いえ。むしろ私なんかが旦那様の代わりで大丈夫でしょうか……」


「色葉さんだからこそ良いんですよ。それにお客様は二人とも気さくな方ですから」


 にっこりと笑い、坂田さんは穏やかな声色で唐傘さんと提灯さんに話しかけた。


「ありがとね、唐傘と提灯。さあ、おやつをあげるから畳の間で遊んでおいで」


「わーい、おやつだー!」


「わーい、クッキーだー!」


 クッキーを大事そうに抱えて駆けていった二人を見送った後、坂田さんは柔和な笑みを携えながら私を客人の向かいの席に座らせた。おっかなびっくりの私はキョロキョロ、もじもじしつつ、旦那様を訪ねにきた客人に失礼にならないよう気を引き締めた。


「お待たせしてごめんなさいね。こちら、怪王様のお嫁様の色葉さんです」


「は、はじめましてっ……色葉、と申します。以後お見知りおきを……!」


 二人の客人を一瞥し、私は深々と頭を下げた。礼儀も行儀も学んでいない身ではあるけれど、旦那様の嫁として恥ずかしくないよう精一杯の気持ちをこめて挨拶を口にした。


「いやぁ~、これはこれは! ご丁寧にどうもぉ」


 客人の一人、着流し姿の艶やかな男性はわざとらしいほどの平身低頭だった。そして、もう一人、作務衣姿の大柄な男性はテーブルに頬杖をついたまま、私の顔をまばたきすることなく見つめ続けていた。


 二人は両極端だったが、目的は同じであることが窺えた。


 そう。怪王様の嫁として私が相応しいか見定めようとしているのだ。


(ぎよう)()。レディーをそんなにジロジロ見たら失礼やで」


「お前の胡散臭い挨拶の方が失礼だろ、(きゆう)()


 二人は互いにチクチクとした言葉で責め合い、不機嫌そうに息を吐き出した。


「お二方。喧嘩は一時中断して、ご挨拶をしてくださいまし」


 坂田さんにぴしゃりと言われ、二人の客人は居住まいを正して立ち上がった。


「堪忍やで、坂田さん」


 そう言って、着流し姿の男性は私を見つめて、先程までのわざとらしさを取っ払った紳士的な態度でしっかりと頭を下げた。


「ウチは九尾。京都の妖狐達を束ねる大首領をやっとります。怪王様とは、そら長い付き合いでしてねぇ。あれは確か九百年前の――」


「おい、長話は後にしろ。次はワシの番だ」


 荒々しい声色で言って、作務衣姿の男性は「先程は不躾な態度で大変失礼しました、お嫁様」と柔らかな笑みと共にゆっくりと頭を下げた。


「ワシは刑部。愛媛の化け狸共を従える総大将です。ちなみに愛媛というとみかんが美味しくてですね。土産にたんまり持ってきたんで、後で食べてやってくだせぇ」


「キミも話、長いんやない?」


 ぴしゃり、とツッコミを入れた九尾さんに対し、刑部さんは大きく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


 九尾の狐さんと刑部の狸さん。


 百年前の百鬼夜行の話を聞いた時に伺った大物妖怪の方々と対面し、私は戦慄した。京都の九尾と愛媛の刑部といえば、朧さんからいただいた本にも大々的に載っていた妖怪の中の大スターなのだ。


「それにしても可愛らしいお嫁様やねぇ。ひきこもっている間に結婚するやなんて、怪王様もムッツリやわぁ。ハッキリ言って、羨ましいわ~」


「ふぅむ。初々しいところが実に良い。ついつい見蕩れてしまうほどに」


 二人の歯に衣着せない褒め言葉に私はたじたじになった。流石に昨日の旦那様の褒め殺しに比べれば全然大丈夫だけれど、それでも初対面の方達に褒められるのは面はゆいものがあった。


「刑部。そないな下品な目で見たらアカンで。ほんと、品がないわぁ」


「お前こそ軽薄極まりない目でお嫁様を汚すんじゃない、九尾」


 睨み合って口喧嘩を繰り広げる二人に対し、坂田さんは肩をすくめてため息を吐き出した。そんな坂田さんの様子に気がついた二人は一瞬、ピクリと身を震わせて喧嘩を中断した。


「坂田さん、ほんま堪忍やで」


「おい、しっかりしろ九尾。坂田さんを怒らせたら、どうなるかわかってるだろ!」


「わかっとるって。山の一つや二つ、木っ端微塵やもんなぁ。お~、こわっ」


 山の一つや二つ、木っ端微塵? 衝撃の言葉に私は思わず生唾を飲み込んだ。旦那様と出会う大昔は暴れ回っていたと坂田さんは言っていたが、それにしても、妖狐の大首領と化け狸の総大将をも怯えさせるほどとは……。

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