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参の一 夫婦円満

「ほわわわわわわわわわわわわ……」


 その日、私は屋敷の自分の部屋で素っ頓狂な声を上げ続けていた。


 隣に立つ坂田さんは一瞬びっくりした様子で目を開いたが、すぐに心底嬉しそうにニマニマと頬を緩めた。


 がしゃどくろさんの呉服屋から仕上がった着物が届き、たった今、坂田さんに着付けを手伝ってもらっていたのだ。そして、着物のあまりの美しさに思わず素っ頓狂な声を上げてしまった、というわけだ。


 はしたなくて、恥ずかしい……けれど、こればかりはどうしようもない。


 だって、こんなにも美しくて素敵な着物を私のようなちんちくりんが着ることになるだなんて! 夢にも見たことがない夢心地なのだ……!


 と舞い上がりながらも私は改めて着物を見回した。


 畏れ多くも旦那様の御髪と瓜二つな白銀の地に、紅や黒などの華やかな七宝つなぎが施されている。派手すぎず、かといって地味すぎず、丁度良い塩梅の華やかさ。更に、濃紺の帯が全体の印象をバチッと纏め上げている。


 それに、これまで着ていたボロ切れの着物と違って非常に着心地が良い。纏っている身だけでなく心まで華やぐような感覚だ。


「七宝つなぎは調和や円満の意味が込められていて、大変縁起が良いものなんですよ」


 私自身も少しは縁起が良くなるだろうか、と自分らしくない前向きな考えができてしまうのも素敵な着物のおかげだろう。


「え、えと……坂田さん。……ど、どうでしょうか?」


「あらあら、それに答えるべきは私ではありませんよ」


「え……?」


 今にも顔がとろけてしまいそうなほどニヤニヤ笑いの坂田さんに手を引かれ、私は畳の間に連れていかれた。


「あ」


 畳の上であぐらをかいて新聞を読んでいた着流し姿の旦那様と目が合い、私は声を漏らした。対する旦那様は何も発することなく、私の姿を見つめたまま、ぱさりと新聞紙を畳の上に落としてしまった。


「だ、旦那様……!」


 慌てて新聞紙を拾いに向かった私を制するように、旦那様は右手を突き出して勢いよく立ち上がった。


「ま、待て! 色葉! それ以上、オレに近づくんじゃないっ」


 そう仰って、旦那様は私の着物姿をつま先から頭のてっぺんまでじっくりと眺めた。


「や、やはり、私なんかにこんな素敵な着物が似合うわけないですよね……」


 旦那様の芳しくない反応に私は情けなくも、しゅん、と肩を落としてしまった。素敵な着物を纏ったことで自分まで良くなった、と調子に乗ってしまったのだ。と、反省をしかけた瞬間、旦那様は大慌てで声を荒げた。


「そんなことはないッ!」


 いつもは堂々としている旦那様らしくない乱心っぷりに私は驚き、坂田さんはひたすらニヤニヤしていた。


「す、すまん。オレが近づくな、と言ったのは……お前の見慣れぬ姿にドギマギしてしまったからだ」


 ドギマギ? 不可思議な擬音に私は首を傾げた。


「ふ、ふむ……ふむ。ふむ、ふむ、ふむ」


 何度も首肯してばかりの旦那様に業を煮やしたのか、坂田さんは私の背中をちょんちょんと突っついた。そして、坂田さんの訴える意図に気がついた私は意を決して開口した。


「あ、あの旦那様。……ど、どうでしょうか?」


 先程、坂田さんが答えてくれなかった質問を今度は旦那様に向けて、恐る恐る、恥ずかしさを必死に抑えながら私は口にした。


 対する旦那様は顔を紅色に染め上げ、低い唸り声を上げた。


「……い、良い」


 ぼそり、と聞こえるか聞こえないか絶妙な声の小ささで旦那様は仰った。


「怪王様、耳の悪い婆にはまったく聞こえませんでしたぞ」


「ぬぐっ! お前に言ったわけではないわ」


「では、色葉さん。先程の怪王様の声は聞こえましたか?」


 意地悪く笑う坂田さんに乗せられて、私は思わず「い、いいえ」と首を振ってしまった。


「ぐぬぬ」


 子供じみた悔しそうな声を上げて旦那様は白銀の髪をわしゃわしゃと掻き毟った。


「い、良い、と言ったのだ!」


 今度はハッキリと鼓膜に響く大きな声で、旦那様は仰った。


 良いという言葉を反芻し、数瞬してからやっと、旦那様が面と向かって褒めてくれたことを理解した私は感動に震え上がった。


「良い、とだけ言われましても……ねぇ、色葉さん?」


 更にいっそう意地悪く顔を歪めた坂田さんに同意を求められ、旦那様に褒められた嬉しさに気が動転していた私はあたふたと頷いてしまった。……それにしても、ニタニタと笑う坂田さんは山姥らしさ満天だった。


「百鬼夜行を束ねる伝説の妖怪、塵塚怪王ともあろうお方が何を戸惑っているんです? ほれほれ、もっとちゃんと申してくださいよ」


「ぐぎぎっ」


 またしても旦那様は悔しそうに唸り、歯軋りした。怒りのせいか、屈辱のせいか、旦那様の顔は赤茄子よりも遙かに真っ赤になっていた。


「だ、旦那様、落ち着いてくださ――」


「ええい!」


 旦那様は大きな声を上げて私の言葉を弾き飛ばした。


「ならば、全て包み込むことなくハッキリ言ってやろう!」


「え、え、え!」


 追い詰められて自棄っぱちになった旦那様は理性でせき止めていた感情を一気に爆発させた。


「良い、というのはつまり、可愛らしくて、麗しくて、美しい……などの褒め称える意味を総括した言葉である! 無論、それは容姿のことだけでなく、着飾った自分に自信がない健気さ、あたふたしている初々しさ、といった内面も含めてだ!」


 焦点が定まらない目をぐるぐると回して、旦那様は追撃の言葉を並べ連ねていった。


「色葉は何を着ていても可愛らしい……だが、がしゃどくろのヤツめ、よもやよもや、可愛さの限界を突破させる着物を仕立て上げてくるとは。流石は老舗の呉服屋女将といったところか。小柄で愛らしい色葉に七宝つなぎの晴れやかさが良う似合っておるわ! それに、オレの髪とそっくりな色合いが心をくすぐってくれる! たまらぬ!」


 嘘も世辞もなく真っ向から褒め尽くす旦那様に対し、私は嬉しさと恥ずかしさでてんてこ舞いだった。頭どころか全身のありとあらゆる部位が熱を帯びて、心の随まで火照ってしまうほどに。


 朦朧とする意識の中、ふと坂田さんを一瞥すると……ニヤけすぎて顔がほぼ溶けていた。


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