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弐の三 髑髏ノ呉服店

「実に素晴らしい食いっぷりだったぞ。天晴れだ」


 洋食屋を出て、目抜き通りを闊歩しながら旦那様は高らかな笑い声を上げた。隣を歩く私はそれはもう身体をちんまりと縮めて、ぺこぺこと頭を下げ続けていた。


「コックも嬉しそうに笑っておったわ。はっはっっは!」


「あぅ……」


 火照る顔を押さえて俯く私の頭を旦那様は優しく撫でてくれた。


「さて、次は買い物でも愉しむとするか」


 大きな建物の前で立ち止まり、旦那様は顎に手を当てて「む」と小さな声を漏らした。旦那様の視線の先を追っていくと、そこには帝都随一の巨大な百貨店がそびえ立っていた。更に、その入り口は数え切れないほど大勢の人々で混雑していた。


「……まるで砂糖に群がる蟻のようだな」


 皮肉めいた口調で仰った旦那様は肩をすくめて踵を返した。


「流石にこの中に入るのは骨が折れる。別の店に向かうか」


「は、はい」


 立ち去る際に袴姿の女学生が視界にチラリと映り、一瞬、彩花ちゃんの姿と重なって息が詰まりかけた。が、すぐにまったくの別人であることを悟り、ホッと息を吐いた。


 ……もし彩花ちゃんと再会したら、今の私は何と言われるだろう。


「色葉。あれはどうだ?」


「え」


 百貨店から遠ざかり、人の通りがまばらな通りに辿り着いた頃、旦那様は雑貨屋のガラス張りのショーウィンドウを指差した。そこに並べられていたのは可愛らしい容器に入った化粧品だった。


「坂田が言っていたが、顔に塗るクリームとやらが流行っているらしいぞ。どうだ? お前も塗ってみるか?」


 真っ白なクリームまみれでお多福みたいになった自分の顔面を想像し、私は首を横に振った。


「わ、私なんかには似合いませぬ――」


「ふむ。確かに、お前はそのままの顔が一番だな」


 何と返せばいいかわからず、ジタバタする私を傍目に旦那様は今度は洋服屋を指差した。素敵な洋服が飾られたショーウィンドウの前では、モダンな女性達がキャッキャと瞳を煌めかせていた。


「では、洋服はどうだ? お前もモダンガール……モガとやらに憧れたりはせぬか?」


「私なんぞがモガだなんて! もががががが……! ですっ」


「はっはっは! 何だそれは」


 慌てふためく私を見て、旦那様は心の底から嬉しそうな声色で大いに笑った。


「ハイカラなワンピースなぞも似合うとは思うが……。ちと、脚を出し過ぎているか。お前の柔肌を衆目に晒すのは勿体ないな」


 悪戯っぽい笑みを浮かべながら呟き、旦那様は商店街の遙か先に目を向けた。


「しょうがない。百年ぶりにヤツの店に行くとしよう」


「百年ぶり、ですか?」


「ああ、妖怪が営む老舗だからな」


 しばらく歩いた後に到着したのは、老舗の名に相応しい大きく厳めしい呉服屋だった。看板には仰々しい筆文字で『髑髏ノ呉服店』と書かれている。


「邪魔するぞ」


 旦那様の後を追って、のれんをくぐった瞬間――華やかな西洋文化とはまた異なる、日本文化ならではの澄み切った荘厳な空気に私は息を呑んだ。静謐、とでもいうべき雰囲気はどことなく神社仏閣のような神聖さを感じた。


 そんな店内には色鮮やかな着物が所狭しと飾られ、多種多様な色と柄を網羅した見目麗しい反物の数々が並べ連ねられていた。


「いらっしゃいませ。……んんんん? な、何と!」


 奥の方からのそのそと現れた女主人は旦那様の姿に気づくと目を大きく見開き、オムライスのように膨よかな身体を勢いよく弾ませた。


「怪王様!」


「久しいな、がしゃどくろ」


「久しいどころの騒ぎじゃありゃしませんよ! 百年ですよ、百年! 屋敷を訪ねてもお会いになってくれないで! まったくもう!」


 女主人――がしゃどくろさんはぷりぷりと怒りながらも旦那様との再会がとても嬉しいのか、ほっぺたが緩々になっていた。百年ぶりの再会にも関わらず、これほど慕われているのは旦那様の信頼あってこそだろう、と私まで嬉しくなった。


「すまん、すまん。ちょっとひきこもっておってな」


「はぁ~、ご隠居さんはようござんすね。うちは人間社会に溶け込むため、必死に変化の術式を維持してるってのに」


 がしゃどくろさんは自らのおなかを太鼓のように叩いてぱちーんと綺麗な音を響かせて、豪快に笑った。


「……ところで、怪王様。そちらの娘さんは?」


 がしゃどくろさんにジロリと見つめられ、私は身を震わせて縮こまった。


「ああ、こいつは色葉。オレの、アレだ」


「アレ、とは?」


「……嫁、だ」


 ぼそっと呟いた旦那様にがしゃどくろさんは目玉が飛び出さんばかりに驚愕した。


「Y・O・M・E!」


 先程まで静謐に感じていた店内はがしゃどくろさんの大声により、今や大祭りの会場さながらの熱気に包まれていた。他に店員もお客さんもいないというのに、たった一人で雰囲気を作り替えるとは……。


「お嫁さん! ほぉ~、こいつはびっくり仰天だよ。あの怪王様のお嫁さんとは~! ほうほう、ふむふむ……成程ねぇ」


 がしゃどくろさんは素早い動きで私の身体を四方八方から、全身くまなく見回した。


「べっぴんさんだねぇ」


「え、えっと……そんな、私べっぴんさんなんかじゃ全然――」


 もじもじと否定する私を一瞥し、がしゃどくろさんは再び自らのおなかを叩いて音を響かせた。


「かぁー! 良いねぇ! 恥じらう乙女ほど良いもんはないからねぇ!」


 快活に笑いながらがしゃどくろさんは私の背中を優しく叩いた。


「自信を持つんですよ、お嫁ちゃん! あの堅物の面倒臭い怪王様に見初められたんですからね! 怪王様ときたら、これまで女っ気がなくてねぇ。大国の姫君やら、絶世の雪女やらに求婚されてもまったく相手にしなくて、百鬼夜行の間では怪王様は色恋に興味がないんじゃないかと噂されていたくらいで――」


「ええい、五月蠅いぞ! いらんことまでペラペラと喋るんじゃない!」


 旦那様は珍しく余裕がない様子でインバネスコートを乱れさせて地団駄を踏んだ。そんな子供っぽい旦那様の可愛らしさもまた素敵で、私はひっそりと胸を高鳴らせていた。


「あっはっはっは! 天下の怪王様が照れちゃってまぁ」


 ぐぬぬと赤面する旦那様の姿にがしゃどくろさんはひとしきり笑った後、「はてさて」と咳払いをして表情を改めた。


「それで此度は何の用ですかね。ただ、お嫁ちゃんを自慢しに来たわけではないでしょう?」


「当たり前だ」


 力強く頷いた旦那様は私の背をそっと押して、がしゃどくろさんの前に一歩近づけさせた。私は迫力の巨体を見上げて、だらだらと汗を流すことしかできなかった。

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