弐の一 華やかなり帝都の煌めき
「それじゃあ、怪王様と色葉ちゃん! たっぷり愉しんできてねー」
自動車の運転席に座っている真っ赤な洋服を着た少年は元気溌剌に手を振って、旦那様と私に目配せした。
「おれ達も適当に遊んでくるからさー。へっへー! 坂田さんにお小遣いもらっちゃったもんねー!」
悪戯っぽい声色で言ったのは後部座席に座っていた橙の洋服を着た少年だ。
彼らの正体は旦那様に仕える付喪神の唐傘さんと提灯さん。変化の術式とやらで人間の姿に化けているのだ。二人ともどこからどう見てもおませな男の子にしか見えないほど、変化の術式は完璧なものだった。
そんな二人の運転する自動車に乗って、此度、旦那様と私が訪れた場所こそ――
――華やかな建物が並び連なり、ハイカラでモダンな人々が行き交う大都会・帝都!
「あわわわわわわわわ」
右を見ても、左を見ても、前に進んでも、後ろに退いても、どこもかしこも華やかな街並み。パリッと凜々しい洋服を纏った紳士が通り過ぎたかと思えば、キラッと美しい洋服を着こなした淑女が横を闊歩する。
ああ、モダンボーイ。
おお、モダンガール。
なんと華やかなり、帝都の煌めき!
……と、おのぼりさん丸出しで舞い上がる私を横目に、唐傘さんと提灯さんは旦那様に声をかけていた。
「ねぇねぇ、怪王様ー。ずっとひきこもってたけど、久方ぶりの外出は大丈夫~?」
「緊張してゲボ吐かない? 迷子にならない? 大丈夫~?」
ここぞとばかりにケラケラと笑う唐傘さんと提灯さんを睨みつけて、旦那様は悠然とした態度で鼻を鳴らした。
「ふん。そこまで筋金入りのひきこもりではないわ。時折こっそり、坂田にバレぬように屋敷を抜け出して散歩をしていたからな」
旦那様の言葉を聞いて唐傘さんと提灯さんは残念そうに笑うと、蜘蛛の子を散らすように走り去って行った。そんな二人を見送り、私は改めて自分の置かれた立場と向き合った。
実家では外に出ることを禁じられ、朧さんからいただいた本と雑誌の知識でしか世界を知らなかった私が今、日本の華やかさの中心である帝都を訪れているのだ。しかも、旦那様と二人きりで。
発端は坂田さんの「新婚旅行の予行演習ということで、デェトをしてはいかがでしょう!」という提案によるものだった。最初、旦那様はぶつくさと文句を垂れていたが、坂田さんに乗せられてあれよあれよという内に……今日に至る、というわけだ。
「色葉。行きたい場所はあるか?」
「え、えっと……」
旦那様の優しい言葉に感謝しつつ、私はキョロキョロと周りを見渡した。私にとって帝都は異界の地。行きたい場所と言われても畏れ多くて何も考えることはできやしないのだ。と、そんな私の挙動不審さに感づいてくれた旦那様は穏やかな笑みを浮かべていた。
「急く必要はないぞ。時間はたっぷりある」
「で、ですが、その……旦那様にご迷惑を……もごもご」
「気にするな」
優しい声色でキッパリと仰って旦那様は私の手を引いた。手首に触れた旦那様の温もりに私の情緒はどうにかなってしまいそうだった。
「では、適当にブラブラと散歩でもしてみるか。歩いていれば行きたい場所も見つけるかもしれんしな」
「は、はいっ」
何とか意識を繋ぎ止めながら私は懸命に返事を口にした。
そうして、旦那様と私は帝都を歩き始めた。
賑わう帝都を颯爽と進む旦那様の姿は非常に美しく、幻想的な色気をぷんぷんと振りまいていた。油断すると見蕩れて足をもつれさせてしまうほどに。無論、それは私だけではなく道行く人々のほとんど男女も問わず、だった。
凜々しさとたおやかさを併せ持つ圧倒的な美貌。月に照らされる雪原の如き輝きを放つ白銀の髪。上品な朱色の着物の上に羽織られた漆黒のインバネスコート。華やかな帝都に相応しい――いや、もはや帝都をも凌駕する華やかさを誇っていた。
軍人さんのように仰々しいブーツを履いているので、足のつま先まで格好良いという完璧さ。
……比べて私はどうだ。
お母様のお古のくたびれた着物に、色気のいの字もないちんちくりんの身体、おのぼりさん丸出しの挙動。てんで、旦那様とは釣り合うものが一つもない。むしろ、旦那様の美しさと対になっているみすぼらしさを体現している、とでも言うべきか。
可憐な彩花ちゃんなら旦那様とお似合いなのかな、と後ろ暗い考えが浮かんで私は慌てて首を振った。
それでも、心にジクジクと滲んだ黒ずむ感情は払拭できなかった。
旦那様が私と歩幅を合わせて歩いていることも、とても申し訳がない。もし、私がいなければ旦那様はもっと速く、自由気ままに帝都を遊び回れるのに、と。
「どうした、疲れたか?」
問いかけてくれた旦那様が私の顔を見上げていることに気づき、思わずビクリと身を震わせた。
長身の旦那様が私を見上げている。つまり、私の目線に合わせるように腰を屈めてくれているのだ。その紳士極まりない振る舞いに私の左胸の内側は妙な高鳴りを轟かせた。と、同時に得体の知れない後ろめたさがぐにゃぐにゃと渦巻くのを感じた。
幸せが私を満たしている。
それが恐ろしいのだ。
「い、いえ……大丈夫です」
これ以上旦那様を心配させて迷惑をかけるわけにはいかない、と私は心の内側にこびりついた恐怖を押し殺した。
「お前は隠し事が下手だな、色葉」
「え?」
大きな手のひらで私の頭を優しく撫でて、旦那様は和やかに笑った。
「帝都は人が多い。気疲れしてしまうのはしょうのないことだ。どれ、どこか適当な店に入って涼むとしよう」
「あ、あの! 大丈夫、ですから……私のことなど、お気になさらず……! 旦那様の、用事の邪魔をするわけには――」
「阿呆を抜かせ」
旦那様は私の言葉を途中で優しく遮った。
「オレの用事はお前と一日、遊び戯れることだ。それこそがデェトというものなのだからな」
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