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 私は幸せであることが怖い。


 それはもう、どうしようもないほどに。


 ……。


 焦げ臭いような、香ばしいような、何とも奇妙な珈琲の香りが漂う喫茶店。蓄音機から流れる歌謡曲を背景にして、ハイカラな服装の男女達が談笑をしている。そんな喫茶店内の片隅の席に私は縮こまるようにして座り、目の前のテーブルに置かれた皿をじーっと見つめていた。


 皿の上にはホットケーキなる菓子が数枚、折り重なるように置かれている。しかも、蜂蜜がたっぷりとかけられて、ぬらぬらと魔性の光沢を煌めかせながら。


 不安と緊張でぐちゃぐちゃになった心情とは裏腹に、私の喉はごくりと物々しい音を鳴らした。


「……よし」


 このまま睨み続けても如何ともしがたい、と私は意を決してフォークとナイフを手に取った。そして、本で読んだ知識を元にぎこちない所作でホットケーキを切り分け、その一切れを恐る恐る口に運んだ。


 ふわり。


 そう形容する以外ない、この世のものとは思えない柔らかさに私は目を見開いた。更に、和菓子の甘さとは異なるとろけるような甘さに思わず、テーブルの下で脚をパタパタと揺らしてしまった。


 なんて美味しいの……!


「あ」


 ふと、悶絶する自分のはしたなさに気づき、私は慌てて顔を伏せた。


「ふふっ」


 テーブルを挟んで向かいに座る旦那様は静かな笑みを漏らした。


「そんなに美味いか、色葉」


 木漏れ日のような温かな声色で名前を呼ばれ、私は更にいっそう縮こまりながら「……はい、とっても」と小さく小さく頷いた。


 大変だ。恥ずかしさでいっぱいいっぱいで顔が凄まじく熱い。どうしよう。


「相変わらず、お前は愉快なヤツだ。ふふっ。コロコロと表情が変わって、見ていて飽きることがない」


 そう仰って微笑む旦那様の顔を私はチラリと見上げた。


 (ひやつ)()()(こう)の王とは思えない涼しげな目つき、整った鼻筋、薄い唇。どんな男性よりも凜々しくて、どんな女性よりもたおやかな美貌。雪のように清らかな白銀の髪は首筋で束ねられ、漆黒のインバネスコートの上に垂らされている。


 ちんちくりんの私とは比べ物にならない、圧倒的な存在感。にも関わらず、このお方は私の……旦那様。呪われたガラクタ娘と蔑まれた私なんぞと結婚してくださった、とても、とっても素敵な殿方。


 人ならざる妖怪。


 百鬼夜行の王。


 (ちり)(づか)(せつ)(れい)様。


「折角のデェトだ。たんと愉しむと良い」


 ああ、旦那様。私は幸せでございます。


 身も心もとろけるような蜂蜜の甘さを噛み締めながら、私は同時に恐怖の感情が心の奥深くで煮え滾るのを感じていた。それは漠然とした焦燥感でもあり、茫漠たる罪悪感でもあった。


 私は幸せであることが怖い。


 それはもう、どうしようもないほどに。


 だって、私なんかが幸せになっていいはずがないのだから。


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