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悪魔の初恋  作者: 栗須帳(くりす・とばり)
第5章 動き出す運命
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035 命の灯

 


「メイは何してる。留守番か?」


「私もいるぞ」


 背後から聞こえるメイの声。


「珍しいな、お前がここに来るなんて」


 雅司が苦笑し、振り返る。

 しかしすぐに表情を引き締め、メイを見上げた。


 ――彼女の手には、死の鎌が握られていた。


「お前がそれを持ってるってことは……そういうことなのか」


「ああ。すまんな雅司、これが私の仕事なのだ」


「そうか……本当に、山本さんとはお別れなんだな」


「ああ」


 雅司は立ち上がり、メイの頭に手をやった。


「な、何をする」


「悪いな、気を使わせちまって」


「気など使っておらんわ! 私はただ、己の仕事をしに来ただけだ!」


「分かってる、分かってるよ。でもな、そんな顔をされたら、こうして頭のひとつも撫でたくなるってもんだ」


「や、やめろと言うに……」


「これからお前がすることに、どうこう言うつもりはない。それがお前の仕事であり、世の(ことわり)だ。だから大丈夫、気にしないでくれ」


「……」


「ただ……少しでいい。時間、くれないか」


「……分かった。だが少しだぞ。いいな」


「ああ、分かってる。これ以上苦しませるのも、可哀想だしな」


「分かってるならいい。あと3時間、お前にやろう」


「午前2時……丑三つ時ってやつだな」


「ああ。魂が通るのに、一番無理のない時間だ」


「ありがとう、メイ」





 山本の手を握り、雅司が見つめる。

 呼吸が弱くなっている。命の灯が消えようとしていた。


 出勤した時から、フロアー中に立ち込めていた匂い。それは死の匂いだった。

 死を迎えようとしている人間から発せられる、独特の匂い。それをこれまで、何度となく感じていた。

 この匂いがした人間は、数日以内に確実に死ぬ。

 だから雅司自身、救急車を呼ぶことの無意味さを知っていた。


 医者に診せたところでもう、助からない。


 上司が言う様に、住み慣れたこの場所で、静かに旅立つのも悪くない。そう思った。

 ただ人として。介護者として。

 諦め、受け入れることを是としたくなかっただけなのだ。

 自分はここまで手を尽くしました、そんな免罪符が欲しかっただけなのかもしれない。

 そしてそれは、偽善以外の何物でもない。

 そう思い、自嘲気味に笑った。





「……」


 山本が、力なく目を開ける。


「山本さん。具合はどうですか」


 耳元で囁く。


「あかん……なんか……よぉ聞こえへん……」


「もうすぐ2時ですよ、山本さん」


「……ほんだら、そろそろおやつやな」


「山本さん、今は夜中の2時ですよ」


「こんなに明るいのにか?」


 部屋の照明は弱モードになっている。


「なんか……まぶしいわ」


「ごめんなさいね、山本さん。今日は月明かりが強いから」


「そうなんか……お月さん……綺麗やな……」


「満月ですからね」


 カーテンの閉まった窓を見つめ、ノゾミが複雑な表情を浮かべる。


「何かほしい物はありますか? 飲み物とかどうですか」


「飲み物……」


「飲みます? 何がいいです?」


「ビール……キンキンに冷えたビール、飲みたいわ……」


「ごめんなさい山本さん。ビールは切らしてて」


「なんやそれ……使えん子やな、ほんま……みんなはどこや?」


「みんな?」


「さっきまで一緒に飲んでたやんか」


「もうみんな、帰りましたよ」


「何や、もう帰ったんか……みんな、ちゃんとタクシー乗れたんかな……」


「大丈夫、ちゃんと乗れましたよ」


「そうか……ほんだら私も、そろそろ帰るわ」


「そうですね。帰りますか」


「ああ……あんたもちゃんと帰るんやで……タクシー代、出したるからな……」


「ありがとうございます。山本さん、本当に優しいですね」


「ははっ、どうなんやろな……よぉ分からんわ……」


 そう言って微笑み、瞼を閉じた。


「……そろそろだ、雅司」


 メイの言葉にうなずき、雅司が手を離す。


「……!」


 大鎌を振り下ろすと、一閃の光が部屋を包んだ。

 山本の魂、最後の輝きだった。





「……」


 呼吸と脈を確認する。

 そして大きく息を吐くと、山本の両手を合わせ、そっと布団をかけた。


「山本さん……お疲れ様でした」


 一礼して部屋から出ると、静かに扉を閉めた。


「帰るから! 今すぐ帰るから!」


 耳に入る怒声。

 雅司は振り返り、笑顔を佐藤に向けた。


「佐藤さん佐藤さん、こんな時間にどうしたんですか。怖い夢でも見ました?」


「何言ってるのよ! 今から帰るって言ってるのよ!」


「佐藤さん、帰るのは明日ですよ。息子さん、朝一番に迎えに来ますから」


「……そうなの? ならいいんだけど」


「ははっ。だからね、今日はゆっくり休んで下さい」


 佐藤の手を握り、部屋に誘導する。

 雅司の声掛けに、佐藤が嬉しそうに笑う。

 そんな彼を見つめ、ノゾミもメイも複雑な表情を浮かべた。


「……たった今、死に立ち会った人間とは思えないな」


「無理してるだけよ。雅司の背中、泣いてるわ」


「分かるのか」


「それくらい分かるわよ。でも、それでも……雅司は自分の役割を全うしようとしている。本当、すごい人ね」


「明日帰ってきたら、いつもよりサービスしてやるとするか」


「何よそれ、ふふっ」


 力なく笑い、ノゾミが目を伏せる。

 そんなノゾミを見て、メイは小さく息を吐いた。


「お前のそれ……もう契約は達成してるだろうが……」




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