ご褒美
子供の頃、なんだかんだ言って私は甘やかされていたと思う。特に父が私に甘いのをわかっていたので、たまに二人で公園に遊びに行った帰りなどは欠かさずジュースやお菓子をおねだりした。
「ねえねえ、ジュース買ってジュース」
「この前も買ったろう、帰ったらご飯だから」
「ご褒美だよご褒美」
「何の?」
「ほら、この間のテスト100点だったでしょ、そのご褒美」
父が呆れていう。
「何言ってんだ、それはお前が欲しいって言ってたゲーム買ってやったじゃないか」
「じゃあその前の小テスト、90点だったから」
「えー?その時もちょうどラムネとお菓子買ってやったはずだぞ」
しかし私は決してめげないのだ。
「じゃあさ、じゃあさ、そのもっと前の理科の発表で賞をもらったでしょ、その時のご褒美だよ」
「はっはっは」
と、しまいには父が笑いだすことを知っているから。
「その発表は2年生のときじゃないか。そんなに前のご褒美ねだられちゃ、困っちゃうな」
「いいじゃない、ご褒美なんだから、ねえ」
「このままじゃどんどん遡って幼稚園のことまでいいだすんじゃないか?」
「だってもらってないよ、発表会のご褒美は」
「しかたないなあ」
「やったあ」
もしかしたら、そう言ってまんまと駄菓子屋に父を連れこむまでが本当は一番楽しかったのかもしれない。母には決してもらえたことのない『ご褒美』をねだって、私のやったことを父に認めてもらうことが。
そんなことを思い出したのは、10年以上ぶりに帰る実家への電車を待つホームで、自動販売機の前で若いお父さんの足を引っ張りながらおねだりをする子供を見たからだ。いつの時代も父親というのは子供からご褒美をねだられる存在らしい。
駅について、家までの迎えに車を出してくれたのは父だった。
「おお、よく帰ってきたな」
「ただいま」
久しびりに見る父だが、対して変わっていなかった。10年くらいじゃそんなにか。
思春期にはすっかり父を避けるようになっていた私は、こうしてしばらくぶりに会っても交わす言葉が見つからず、荷物を後部座席に放り込んで助手席に黙って座った。
「どうなんだ、ちゃんと食べてたのか」
車を出してしばらくたった信号待ちの時に、そう父が言った。
「え?うん」
「そうか。しばらくいるんだろ?」
「そうする」
「そうしろ。母さんも喜ぶ」
「そう?」
私は高校卒業とともに親の反対を押し切って家を出て、東京で夢を追いかけていたのだ。夢といえば聞こえはいいが、今となってはただその世界に、表の華やかさに憧れていただけだとわかっている。
裏にある無数の失敗や責任や汚さやハラスメントに、私は耐えられなかった。それでも諦めるまでに心と体を壊すくらいには未練があって、全てを自分の才能と努力の足りないせいだと追い込んで、本当に生きてゆくのが困難になって、私をめちゃくちゃになるまで利用していた会社から放り出されて、そこでようやく、その世界に居場所と執着を失って、こうして帰ってきたのだった。
情けない。
申し訳ない。
だが死ぬことを選べずに、親に泣きついて帰ってきたのだ。
きっと母は笑うだろう。私のいう通りだったじゃない、というだろう。でも仕方ない。今はただ、体を休める必要があった。
父は私の様子を横目でチラチラと伺っていた。
そして「ちょっとトイレ」と言って途中のコンビニに車を止めた。
こんなところにコンビニできたんだ、とぼんやりと記憶のかなたにある昔の景色を思い出していると父が戻ってきた。
そして手に下げていたビニール袋を私の膝に置く。
「何?」
「プリン」
中を見ると確かにプリンだった。車を出しながら、私の顔も見ずに父が、ぶっきらぼうを装って言った。
「ほら、ご褒美だよ」
「え?」
「ほら、お前頑張ったから」
「やめてよ、こういうの」
父は私を慰めようとしているのだろうか。でも下手くそだ。
「くさい芝居だよ。それに私、頑張ってないし」
苦い思いが胸に広がる。
「頑張ってなかったからこうやって帰ってきたんじゃん」
「そうか」
それでも父は私の反応を気にした様子もなく続ける。
「じゃああれだ、高校の発表会でがんばったろ。みんなの前で作文読んでさ。あの時のご褒美だ」
「なにそれ。あれだって頑張ってないし。ただ他にやる人がいなかっただけだし」
「じゃああれ、テストでよかったんだろ?志望校の判定。それだ」
「偶然だし。そもそも大学いかなかったから、意味ないでしょ」
「じゃあ、高校1年の時の合唱のさ、校内3位だっけ?あれだよ」
「聞きにきてないでしょ?私がこないでっていったんだけど」
「じゃあ」
父はそれからいろいろと私のやったことを挙げ連ね、私は否定し続けた。いくら言われても、私は自分を認める気にならなかった。何を言ってもらっても今の私が失敗した存在なのは変わらない。
でも父はそれでも中学校の私から小学校の私、ついには幼稚園の話まで持ち出してきた。これじゃあ昔と逆だ。思わず笑ってしまう。いくらでも遡ってご褒美をおねだりをしていたあの頃と。
「まあ、あれだ」
しまいに父は言った。
「お前が生まれたきたご褒美だ。別に何もしなくたって、お前がいるだけで、父さんも母さんも幸せなんだから」
なんだか涙を堪えているような声になっていた。
「なにそれ」
私にもとうとう父の言ってくれていることが胸に染み込んできた。
嬉しかった。自然に涙が溢れてきて拭いていると、父も堪えきれずに涙をこぼして鼻を啜っていた。
私は笑って言った。
「生まれてきたご褒美がプリンってひどくない?」
「そうか?まあ、いいだろ?プリンで」
父も笑って言った。
帰ってきてよかった。