森の魔法使いと食べる象さん
「困ってしまいましたわ」
魔法使いの少女ルルは虚ろな目つきをして、気が付いたらそんな言葉をもらしていました。
確かに彼女はここ一か月、本当に困っていたのです。
「困ってしまいましたわ。お金もないし、お仕事の依頼も一つもないわ」
この森にやってきてはや一年。里の村人たちの依頼を受けたりして細々と暮らしてきました。
その依頼も最初はたくさんあったのですが、どんどん数も減っていき、ある時を境にぱったりとなくなってしまったのです。
まさか私のことを忘れてしまったのかしら?
ルルはまたため息をつきました。これで何回目のため息でしょうか?
家の周りにはたくさんの果物の木が生えているので、お金がなくても飢えることはありません。
だけどお金は生きていくためにとても大事なものだとルルは思うのです。
確かにルルは「この守銭奴!」と罵られたことが数回あります。だからと言ってルル自身は自分のことを守銭奴だとは思っていません。そんな体験誰しも一回は経験することでしょうし。
依頼料をふんだくったわけでもないのに、ルルの家は閑古鳥が鳴いているのです。
窓越しに見える『ルルの何でも屋 魔法使いがなんでも解決します』という看板も、もはや哀愁を漂わせています。
「まだ変なこと何もしてないのに、どうしてかしら」
ルルが初めてこの森にやってきた時は、村人たちは本当に感謝してくれたものです。
「これでうちの村にも魔法使いさまがやってきてくれた!」
村人たちは口々にそう言って喜んでくれました。
その日は朝まで宴が開かれて、ルルはまるで自分が神様になったのではと思ったほどです。
それからの日々はとても充実したものでした。
昔から里の近くに魔物が現れて村人たちは困っていました。最初の依頼は、その魔物の討伐でした。
魔物といってもその正体はスライムだったので、優秀な魔法使いであるルルにとって彼らを狩るなんて朝飯前のことでした。
長年悩まされていたスライムを退治したことで、ルルは村人の信用を勝ち取って、依頼は次々と舞い込むようになったのです。
狩りの道具を作ってあげました。
村の道を舗装して生活を便利にしてもあげました。
山菜のあくを抜く魔法や、毒草や毒キノコの毒を抜く魔法も教えてあげました。
どれもルルにとっては初歩的な魔法に過ぎなかったのですが、そのたびに「ありがとうございます!」「やっぱルルさまは偉大だ」という感謝の言葉と、少しばかりのお礼をもらって、ルルはそのころ本当に幸せだったのです。
「やりすぎたのかしら?」
狩りの道具はあまりにも優秀すぎて壊れないのでしょう。
村の生活も便利になりすぎて、これ以上頼むことがないのかもしれません。
毒草や毒キノコの毒を抜く魔法も一度覚えてしまえば十分です。
ルルの魔法があまりにも完璧すぎたので、村人たちはこれ以上頼むことがなくなったのは確かです。
ただ、手を抜いたりすることはできませんでした。
確かにルルは「よくそんな悪知恵が働くな!」と罵られたことが数回あります。いわれのない非難です。困っている村人たちに中途半端なことをして、ルルに対して依存させるなんて考えもしませんでした。
ルルはいつでも全力投球で、いつでも村人たちの問題を解決してきたのです。
「永遠に解決しない問題ってないかしら?」
しかし、解決しようのない問題を村人たちが依頼してくるとは思えません。
だとしたらもっと根源的な問題を対象にするしかないようです。
ルルはアイデアが思い浮かぶと同時に、雷に打たれたように立ち上がりました。
「それだわ。食事よ」
別に里で食料が足りてないわけではありません。
だけど人はより美味しいものを食べたくなる生き物なのです。
魔法を使った料理を出すお料理屋さんを開けば必ず繁盛するに違いありません。
ルルはすぐに計画を練り始めたのでした。
今でこそこんな森の中に暮らしているルルですが、数年前までは王都でも指折りの優れた魔法使いとしてちょっとした有名人なのでした。王立魔法学校を首席で入学、首席で卒業して王様からオリハルコンの魔法杖を賜ったこともあります。それから最先端の魔法を研究する研究所に入って、魔術の腕をさらに向上させようと努力したこともありました。
ルルは昔から誠実で困っている人を見逃せないたちでした。それなのに、嫉妬のせいでしょうか、いわれのない非難を受けることも多々ありました。
やれ金銭欲が強いやら、やれ名誉欲が異常だとか、今の王都でのルルの評価は「欲におぼれた哀れな魔法使い」といったところでしょうか。
とある失敗のせいで王都を追われたルルにはその汚名をそそぐことができないのは残念で仕方ないことです。
でも里の人たちは王都で流れている噂なんてしりません。里の村人たちはルルに感謝しています。
ルルは誓います。今度開くお料理屋さんは、村人のみんなが満足できるようなお料理屋さんになるようがんばろう!
そして二度とあのような失敗をしてたまるものか!
お料理屋さんの新しい建物ができて数日たちました。あとはお店で出すメニューを考えるだけです。
オープンは一週間後に迫っています。ルルはどんな料理を出したら喜ばれるか思案中なのでした。
コンコンコンとお店のドアがノックされました。
ルルはドアの前に立つと「どなたですか?」と聞きました。
「わしじゃ。里の村の村長じゃ」
その声は確かに村長さんのものでした。ルルはほっと溜息をつくと、ドアを開けて村長さんをお店の中に招き入れました。
お店で出す料理のアドバイスをもらうために村長さんに来てもらったのです。
村長さんはお店の開店資金を貸してくれるほど期待してくれているのです。
ルルとしてはどうしても期待に答えたいと思える人物の一人なのでした。
「あ、村長さん。どこでもすきなところに座ってくださいね」
村長さんはカウンター席に腰を下ろしました。店内の装飾を見回して「さすがルルさまの店じゃ」とお褒めの言葉をくださいました。
そこでルルは、このお店でどんな料理を出したらいいか村長さんの意見を聞いてみました。少し考えてからこんな言葉が返ってきました。
「食べやすいものがいいじゃろう。里にはわしを含めて老人がたくさんいるからのう。健康のために塩分が控えめならもっといいじゃろう」
なるほどとルルは感心しました。
食べやすくて健康にいい、ルルにはなかった着眼点です。
確かに硬い食べ物だと村長さんたちは食べれないに違いありません。
「食べやすいものって、例えばどんなものがいいのかしら?」
「うーん。麺類とかどうじゃろうか?」
麺類、それですわ!
ルルは心の中でそう叫びました。
今の今まで麺料理の存在をすっかり忘れていたのです。
よく考えてみれば麺料理ほど魔法をかけるに値する料理は他にないように思われます。
食べやすくて、つるつるしているので魔法もかけやすい。
「決めましたわ。このお店では魔法の麺料理を出すことにします」
「それは楽しみじゃ」
その瞬間の出来事です。
ドンドンドンとお店の扉が叩かれました。
そして怒鳴り声が聞こえてきました。
「おいゴラァ、ルル。いるんだろう?」
ルルは驚いて飛び上がりました。
村長さんも不安そうに扉のほうを見ています。
何かあった時のために村長さんにはクローゼットの中に入っていてもらうことにしました。
「ルルさま? これはどうゆうことじゃ?」
少し強引だったのでしょうか、クローゼットの中で村長さんが暴れています。
これではこの中に誰かいるということが外からわかってしまいます。
それに中の村長さんにも聞かれたくない話を聞かれてしまうかもしれません。
ここは魔法を使うしかないようです。
ルルはかつて王様から賜ったオリハルコンの杖をクローゼットに向けました。
「ホークスポークス、クローゼットよ。中と外とで音を通すな!」
魔術を唱え終えるとクローゼットは静かになりました。まるで中に誰も入っていないかのようです。
これでよし。
ルルは杖を握ったままドアに近づきました。
「あの、どなたですか?」
「借金取りじゃ、ゴラァ」
確かにその怒鳴り声はいつもの借金取りさんのようです。
ルルはドアの覗き穴から外の様子を確かめます。
ほかに人はいなくて、借金取りさん一人がぽつんと立っていました。
ルルはほっとして胸をなでおろすと鍵を開けてドアを開きました。
「おう、今日こそは貸してる金を返してもらおうじゃないか」
「あと一週間だけ待っていただけませんか?」
借金の言い訳はルルの得意なことの一つです。王都時代には悪友の借金の言い訳をよくしたものです。
「あと一週間?」
「はい。見てくださいこのお店を。一週間後にオープンするんです。その売り上げで必ず返しますから、今回だけは見逃してくれません?」
借金取りさんは店内を見回して、それが張りぼてではないことを確認すると一度うなづいてから条件を付け足しました。
「店を出すのは嘘じゃないらしい、わかった。ただ、利子だけは今回払ってもらおう。それはできるよな」
「わかりましたわ」
なんて運がいいのでしょうか。ちょうどお店にはまとまったお金がありました。
そのお金を借金取りさんに渡すと、店に再び平穏が訪れました。
お店のオープンまであと一週間です。
村人たちのためだけでなく、借金を返すためにも、メニューを開発しなくてはいけません。
ルルは村長のアドバイス通りの食べやすい麺料理の開発に取り掛かりました。
それから一週間がたちました。
ついにルルのお料理屋さんオープンの日です。
魔法使いのルルさまがお料理屋さんを開いたらしい。そんな評判はすぐに村中を駆け巡って、開店時間前だというのに店の前には長蛇の列ができていました。
よかったわ。
誰も来てくれないかもと心配していたルルは、この光景を見てうれしくなって、すぐにお店の扉を開きました。
「大変長らくお待たせしましたわ。ルルのお料理屋さんのオープンですわ」
村人たちが続々と店の中へ入ってきます。誰もかれもみんな見知った人たちです。
こんなに多くの村人たちがルルのもとを訪れたのは何時ぶりでしょうか?
おそらくルルが村に石畳の道路を作ってあげた、そのお礼以来でしょう。
お店のメニューは一つだけでした。
食べやすくて、スープの塩分は控えめの麺料理。
その名もルルー麺です。
「ルルー麺はたくさん用意してあるから、好きなだけ注文してくださっていいですよ」
村人たちは次々とルルー麺を注文し始めました。
注文を受けながらルルは村人たちを見回してある人物を探していました。
村長さんです。
しかし、あれほど楽しみにしていたはずなのに、どこにも見当たりません。ルルはすこしがっかりしたけれど「きっと来られない事情があるのだわ」と自らに言い聞かせました。
村人たちの注文したルルー麺が彼らのもとへ行き届きました。
ルルー麺は一見するとあまりにも貧相な食べ物に見えます。ただの水に白い麺が浮いているようにしか見えないのです。
しかし村人たちはがっかりしているわけではありません。むしろルルがこの料理にどんな魔法をかけたのか期待でわくわく、ルルの説明を待っているのです。
「それでルルさま。この料理はいったいどんな魔法がかかってるんでしょうか?」
村人の問いにルルはエッヘンと自慢そうに答えました。
「口で説明するより実際に食べてもらったほうが早くてよ。ただし麺を食べるときは、啜って音を出してくださる」
村人たちは恐る恐る麺を箸でつまみます。
一人がそれを口に運んですすり始めました。
「ずーーっ、ずーーっ、ずーーっ」
一人に続いてもう一人。
村人たちは次々とルルー麺をすすり始めたのです。
「ずーーっ、ずーーっ、ずーーっ」
「ずーーっ、ずーーっ、ずーーっ」
すでに魔法は発動したのですが、食べるのに夢中な村人たちはまだ気づいていない様子です。
初めに食べ始めた村人がルルに聞きました。
「特に変わったことは起こらないような……って、あれ?」
一人の村人が気付くと他の村人たちも次々と魔法に気づいていきました。
「床に変な動物がいるぞ」
「これはペンギンという動物ですわ。他にもこれはオウム、これはフラミンゴですわ」
ルルのお店の中はそこかしこ小動物たちであふれかえっていました。
「これはすごい。まるで動物園だ」
村人たちは一斉に拍手喝采をしてルルの魔法をほめたたえました。
「だけどこれはどんな仕組みになっているんですか?」
「皆さんが麺をすするときに『ずーーっ』という音をたてますよね。その音が出ると動物たちが現れるように麺に魔法をかけたのですわ」
魔法自体は簡単な仕組みだけど、そのバランスをとるのは意外と大変な作業でした。
ずーーーっという音が大きすぎると大きな動物や肉食獣が現れて、お客さんや店に被害が出る可能性もあります。
ちょうどいい音量になるように細心の注意を払ったのが今のルルー麺なのです。
村人たちはこれを気に入ってくれたようです。
次々と麺をすすっています。そのたびに新しい動物が現れました。
今新たに現れた一匹のアルパカがルルのもとへやってきました。
「あらアルパカさんどうしたのかしら?」
アルパカはルルが食べ物を持っていると思っているのか、ルルに体を押し付けて、ルルをどんどん押していきました。ついにウルは部屋の隅のクローゼットの前まで押しやられてしまいました。
その時初めて思い出したのです。
クローゼットの中に村長さんを入れっぱなしであることを!
「いけない!」
すぐにルルはクローゼットの扉を開きます。その瞬間、中から村長が奇声を上げながら飛び出してきました。
「メシーーーー!! ミズーーーー!!」
一週間飲まず食わずだったのに生きてるなんて、すごい生命力だわ。
ルルが村長さんの生命力に感心していると、村長さんは村人の一人からルルー麺をひったくって勢いよくすすり始めたのです。
あまりにもお腹が減っていたのでしょう、啜り音は「ずーーっ」ではありませんでした。
「ぞーーーっ、ぞーーーっ。ぞーーーっ」
ルルが気付いた時には手遅れでした。お店の天井が突き破られる音がします。直射日光が店内に差し込みました。
「パオーーーン、パオーーーン」
巨大な巨大な象さんが店の中を見下ろすように立っているのでした。
ルルは驚きのあまり何もすることができません。
象さんは大きな足を持ち上げてから、村人たちを踏みつぶします。
まるでピスタチオをハンマーで叩いたような音を立てて、村人たちは次々とつぶれていきました。
なんてことでしょう。
あまりにも空腹だった村長さんが、あまりにも大きな啜り音を立てたので、あまりにも大きな象を出現させてしまったのです。それにこの象さんかなり凶暴なご様子です。
象さんは長い鼻を器用に使って、飛び散った村人たちをパクパクと食べ始めたのです。
ルルの顔は青ざめていました。
「なんてことでしょう。私、また殺ってしまいましたわ!」
ルルは惨憺たる光景を前に、ぞーーーっとして動くことさえままなりませんでした。