解れる砂時計
世界はとある一貫性のある一種の念動力で動いている。
ルール、規則、法、秩序、だろうか。これを軽く嚙み砕いて言うなれば
「上の人」の懇願、あるいは都合の体現。
あるいは存在自体が曖昧な真髄。
この滞在の秩序たるものに逆らうものはまずいない。逆らえば己の未来の約束は断絶させられてしまうことくらい教えてもらわなくともわかるからだ。
たとえ知らなくても、闘志を燃やそうとも、あれの纏う「気」で簡単に打ちひしがれることくらい観ずしなくとも意識付けされているからだ。
現在2020年のこの世。インターネットが軌道に乗り、
ネットが意のままに操れるようになり、誰もが秘めた可能性が強調されつつあるこのセカイ。
400年周期で最善と最悪が繰り返されるこのセカイ。現在、災悪の周期をひた走るこのセカイに
好天気とも悪天気とも言い難い微量な変化が密やかに始まっていた。
強いて綴るならば人間の成長性の拡大化と突然変異化だろうか。
これは現在になって突如始まったという訳ではないがここ最近、異質な能を片手に持った赤子の数と「非」の人が突然「秀」の人へ変化する人間が増加傾向にある。
年齢にそぐわない、膨大な量の知識、口調、性格、人間性、思考回路、等々とセカイの一貫性を覆しかねない才を持って生まれ落ちる赤子と後にそれと同等の存在になる赤子が今の流行にして注目を浴びている。
しかし、そんな万能人にも無論重すぎる肩の荷というのが存在する。
天才が故の迫害、天才が故の束縛、天才が故の悲観的な世界、天才ならではの号哭。
故に天才も娯楽に夢物語、明晰夢や白昼夢、人脈、普通、そして救世主、が必要不可欠だ。
ぬ?天才有無問わず、世界を悲観的に見なければいいだけの話?
へ?そんな性格の天才いねぇし、そもそも天才って自分の生き方故に人脈なんて欲しない?
ん?もしそれが鬱病、それかそれに準ずる何かだったらただの甘え?
まぁまぁ、そう言いなさんな。天才でもできないこともあるし克服できないこともある。
鬱病なんて一種の病。環境や食生活次第では誰にだってかかる可能性のある脅威だ。風邪であって風邪よりも恐ろしい脅威。それが甘えと言うならそれは病気全てが甘えと言ってるのと一緒だ。
過去が多大な影響を与えているのならば尚更のこと。
故に天才も「非」天才も救いとなるものを欲する。
ほら、あの二人の様に。
蟲の吹奏も自動車の空気伝搬音も音という音から全て遮断したような夜の帰路を私とお姉ちゃんは二人静かにたどっていた。
真新しい家々の並ぶ住宅街が何畳にも連なるのを見る限り
ここはどうやら都会らしい。さっき居た山を下山してからずっとこんな感じだった。
弱々しい街灯が私を照り付ける。気持ちこそすごく快いものだったものの会話一つ無いのは縁に泥を塗りかねない。音を生み出してみた。
「ねぇ、お姉ちゃん。名前は何て言うの?」
「ジャ〇ティ〇ビー〇〇・・・」
即答だった。
「・・・外国の人だったの?」
「いいや冗談だよ!本気にすなっ!輝華。
千光輝華だよ。あぁ、そう言えばあんたの名前聞いてなかったね。何て言うの?」
私も名乗ろうと脳内に点在する記憶を探る。が、無かった。
まぁ、あの時は即興で思いついた名前だったから忘れるのも必然か。
また偽名創るかと画策しようにも疲労時特有の脳死が出てしまい断念する。
「・・・覚えてないです。」
「・・・家庭内環境大丈夫だったの?」
輝華の表情に驚愕の文字が霞んで見える。
少し考える仕草をした後、事情を憶測で判断したのか詳細を追求してくることはなく何か思い付いたような絵になりそうな笑顔で私に向き直る。
「じゃぁ、私があなたの名前、つけてあげる。」
「へ?」
「折角家族の一員になるんだもん。長かれ短かれ、名前くらいあった方がいいでしょ?・・・そうね・・・」
再び思考に投じる。その姿勢、考える人の如く。
「鏡神・・・。うんヨキ!あなたの名前は千光鏡神だよ!」
きらびやかな顔で命名される。命名なんて両親がつけてくれた時以来だ。
その名すら忘れてしまったのだがな。
悲しい。けど悲しくない。逆にピースの欠落部を補えて嬉しいくらいだ。
「鏡神・・・いい名前。ありがとうお姉ちゃん。」
輝華はまるでナくしたものを取り返した様な、歓喜に満ちた笑顔で
「どういたしまして。」
っと言った。
そうして新しい私、千光鏡神は誕生した。
輝華の家はというと「Height is fate」という名の19階建てのマンションの12階の319号室にあたる場所だった。氏曰く、9歳違いの姉との同居で実家ではないらしい。
輝華は319号室の扉の取っ手を掴み、私の背中に手を翳しながら身を翻す。
「ようこそ、新たな家へ。新たな世界へ。」
扉が開かれる。新たな運命の幕開けを感じる扉が今開かれた。
「ただいマンモスパゲッティー」
雰囲気を破壊する呪文が放たれる。それに応える女性が一人。
「おかえり。遅かったなぁ。」
身長167㎝くらいで茶髪のボブの女性がスリッパから音をたてながら
こちらへやってくる。きっとこの人こそが姉なのだろうと確実視の眼差しを向けていると視線に気づいたのか姉の私に目を見やる。
「・・・この子は・・・誰だ?」
当然のように言うが間違いなく警戒されている。
そして今気づいたがこの女性、かなりの筋肉質。私の腕なんて簡単に折ってしまうだろう。そんな覇気が感じられ、過剰に被害妄想が働くせいで全身に鳥肌が止まらない。
目が怖いよ・・・。
私と女性との関係が初対面にして蛙と蛇の関係になりつつあることに感づいた輝華は速攻で間に入る。
「あぁ!?輝姉ぇ待って速まらないで!決して怪しいものじゃないから!!」
その発言は少々無理があるような。
すると輝華は私を片手で抱き寄せる。
「この子は千光鏡神。私と輝姉ぇの弟です!」
輝姉ぇと呼ばれるその人はしばらく眉間に深い皺を寄せながら思考回路を彷徨っていた感じだったがやがて結論に辿り着いたのか
こめかみを押さえながらため息をつく。
「お前、昔から変なもん拾ってくる子だったけどまさか・・・
子供にまで手を出すとは思わなかったぞ。」
「人を人浚いみたいに言うのやめてもらっていい?
いやね、これには深ーい事情があるんだよぉ」
輝華が目に潤いを宿らせながらものごいをする様に話せば長くなるであろう
事情とやらを口にしようとした瞬間を輝姉ぇが口に人差し指をかざしながら待ったをかける。
「わかった、話を聞こう。しかしまず鏡神は風呂に、お前はさっさと手ぇ
洗え。」
私は完全に汚染されて黒く滲んでしまった服を見ながら輝華に浴室へ誘導されるのだった。
「とりあえず鏡神、今までよく頑張ったね。」
輝姉ぇが目全体を紅くさせ、口元を押さえながら震える声でそう言った。よほど感銘を受けたらしいが私には一切合切何も感じるものがなかった。輝華の言う事情が嘘でなけてば誠でもない変な世界観を帯びいたものだから途中から全く話に付いていけなくなったのだ。
演説中、黙々とカレーと呼ばれる料理の味を堪能していたお陰で
私のと輝華のとでは量に山と焼野原の差が生じていた。
「だからね輝姉ぇ、鏡神をしばらく此処に置かせておこうと思うのだけど。」
「そんな事情なら断る理由はないな。」
一番大切な選択をこんな口車に乗せられて簡単に了承して本当に
大丈夫なのだろうか。内心この姉妹に不安を募らせていると輝姉ぇが
私の頭を撫でる。
「私は輝全。警察の巡査部長をしてるんだ。まぁ分からないか。
とりあえずよろしく。たまには頼ってくれ。」
長女、千光輝全は微笑んだ。変に悲観さを感じるのはきっと気のせいだろう。
ただすぐに所以を確証付けるものが彼女の後ろ、電気の灯っていない暗い部屋の奥からこんにちはをしていた。
仏壇だった。祭壇には男性の写真と左手にはまだ咲いていないアツモリソウと右手には楝色の折り紙で折られた花が飾られてあった。
「あれは・・・お父・・さん?」
輝華と輝全が振り向くのはほぼ同時だった。
「あぁ、そう。そう・・・、不慮の事故でね・・・」
「・・・・・・・・・・・」
輝華に関しては沈黙を貫いた。
「ごめん。失言だったね。ホントごめん。」
今の失言は無礼万全。何で私はこう人を傷つけることしかできないのだろう。
こんな私が未来を約束されてていいのだろうか、つくづくそう思う。
今までに感じたことのない色濃い罪悪感を感じた。
「あぁ、いいんだよ。おっ、完食か、偉いな。うまかったか?」
取り繕った笑顔でそうお便り。私は以前、いやもっと、ずっと昔にこれに似た笑顔を見たことがあった。・・・かもしれない。
そのデジャヴにはいつ経っても侵食を止めない、とある固定概念があった。
それは ー
「うん!美味しかった!あのっ、輝華姉ぇ、輝姉ぇ、これから
よろしくお願いします。」
「お粗末様。おうっ!よろしくな」
「よおし!この輝華姉ぇが色々教えてあげちゃうもんねー!!」
「止めとけ、鏡神、こいつに色々教わると人生踏み外すぞ。」
「ねぇ、さっきから辛辣が過ぎるんじゃない?」
あの二輪の花のことについての言及はやめておこう。
そうして時間は過ぎていった。
夜、一人夜な夜な郊外を歩く。夜な夜なと言えどまだ夜の9時くらいだ。
私は輝華から貸してもらった腕時計を見ながら心中呟く。
法浪人も金切声も何一つない夜。
平和になったものだなそう思う。
私がまだ人里にいたときに見た惨劇極まりないあの光景がまるで嘘のようだ。
今時の子が見たらきっとその辺で吐き散らかしてしまうだろう。
一筋の光が私を照り付ける。さっき私と千光姉妹を巡り逢わせてくれた月影だった。
不思議だ。さっきあったことがもう大昔のことのようだ。
歩を止める。
「猫・・・?」
目の前の月下から私を見据える灰猫が一匹。猫はその凛々しい真紅の瞳で私を凝視していた。
一歩近づく。灰猫は以前動こうとしない。その猫特有の美しい容姿からは警戒や焦燥といった負の感情は一切見られないように感じた。
跪き、彼の顎に軽く爪を立てる。彼は気持ちよさそうに眼を瞑り体を揺るす。
やがて灰猫は身を翻し、また軽く振り向く。
そして一声。
「にゃん。」
可愛いな。幸福の表情へと緩む。
「にゃん。にゃん。にゃん。・・・?・・・!?」
しかし灰猫は突然形相を変え毛を逆立て後ろを警戒しはじめる。
「・・・!?ど、どうした!?」
その声に正気を取り戻したかのように後ろを振り向くと鈍い一声を一声。
「に"ゃん"」
そう言ってすぐ傍の裏路地の闇へと姿を消していった。
今の声を私は何を思ったのか
「ついてこい!」
と捉えた。そして私もまた月影を駆けり、裏路地の闇へと身を投じるのだった。
右へ左へ、西へ東へ、くるりくるりと灰猫の誘導は実に唯我独尊そのものだった。
それとは裏腹に疾走しながら時たま振り向き、前を向き、また振り向きをくり返すという人のいい人間らしさも伺えた。
時に換気扇に肩をぶつけ、時に排水口で足を挫いたりと、一歩間違えれば大怪我を負いかねない言わば危険地帯をひた走り、やがて灰猫は左折し、私は足を止める。
たどり着いたそこは裏路地の割には広く開けて生臭さも廃棄物も一切なく且つ綺麗でない場所。
目を凝らす。
「・・・?]
はっきりとは見えないが大柄な、変に歪な影がそこにあった。
小刻みに震えていて、唸り声にも癇癪声にも似た声が聞こえてくる。
「だ・・・大丈夫ですか?」
呼びかけてみる。しかし以前悶えるだけで返事はない。
警戒している様子だったので心理的、物理的にも距離を縮めようと一歩前進する。
すると生の籠っていない声が囁く。
「き・・・来ちゃ・・・ダメ・・・!」
死にかけの街灯が最期の光を放つ。
そこにあったのは殺人の瞬間だった。脳裏に迸る情景が一筋。
同時に二つの苦杯を見た脳が命令を下す。
「何やってんだてめぇ!!」
足の充血を糧に地を駆り、5m以上ある間合いを一瞬でつめ、全身黒いフードで身を隠した化け物を殴り飛ばす。
少女は絞首から解放され、化け物は遠く飛ばされガラクタの山に埋もれる。
「大丈夫!?」
酸素運動を蘇生するべく荒い咳をしながら少女は頷く。喋れるようになるまで少し時間がかかる様だ。
「よかった。」
「んぁぁ、邪魔が入ったか。」
音の出所を睨む。化け物がガラクタを腕で退かしながら立ち上がる。
顔は仮面で遮断されていて遠目での詳細は探りようがないが右手には日本刀が握られていた。
「運が悪かったなぁ少年。そいつは処刑に値する大犯罪者だ。貴様はそんなやつを庇っている。この意味がわかるよなぁ。」
160㎝級の化け物が歩み寄ってくる。
「走れるようになったらすぐに逃げて。」
私はそう囁き、少女の前に立ち、身構える。
「ほぉ、勇敢な奴だな。」
「君は・・・、何故こんなことを・・・」
「知る必要はない。こっちの都合だ。」
「っ!」
自分の都合だけで簡単に未来を奪ってしまうという意見に憤怒に身を任せるも
体が金縛りにかかったかのように動けない。
今までに一度も経験したこともない不可解な現象に怒りが完全に恐怖と困惑に染まる。
「なっ・・・。」
「魂胆が丸見えだよ。」
力任せに無理矢理首を上へ動かす。正面に焦点が会う頃にはもう化け物の顔が零距離にまで迫っていた。化け物は日本刀の私の首筋に軽く当てる。
「いい表情だ。憤怒、恐怖、困惑、焦燥・・・全てが混ざった表情だ。
実に快い。」
口が動かせなくて声すら出ない。
化け物は仮面から覗かせる深紅に光る瞳を軽く細める。
「よく見りゃお前、小娘と顔似てるな。ん?ちょっとまて、あいつは確か男・・・、まさかお前・・・。」
何やら小言を呟いている。どうやら私に心当たりがあるようだ。しかし私はこいつを知らないはずだ。そもそも私は少なくとも150年以上は人と接してない。変な焦りを憶えていると化け物は化け物の名に相応しい笑いを高鳴らせながら整った動作で日本刀を納刀し、立ち上がる。
「ククク、そうかそうか。お前がか!おい女ッ!」
後ろで首を押さえながら跪いている少女に視線を向ける。
少女は大きく身震いをする。
「命拾いしたな。お前にとっての英雄を大切にしろ。」
化け物は影へと消えて行く。身体の3分の2が影の保護色に染まると一度立ち止まり
「次は殺す。正々堂々と。」
と告げ、消えていった。それと同時に金縛りが解け、その場で崩れ落ちる。
「くっ・・・、はぁ・・・。何だ今のは・・・」
大きな息を吐く。実は硬直時、終始呼吸が出来なかったのだ。少しでも力を緩めればそのまま地面に押し潰されていたかもしれない程の圧力がかかっていたからだ。本当に化け物だ。あんなの人間がましてや殺人犯ができていい芸当ではない。疲労で殆どその場から動けなかった。
「あのっ、」
その声でようやく私は少女の存在を思い出した。しかし、身体は動くことを許さなかった。
「だっ、大丈夫ですか・・・?」
「あ、あぁ、うん。大丈夫。君こそ大丈夫?」
心配こそが今の私にできる精一杯の事だった。
「はい・・・。お陰さまで・・・、ありがとうございました。」
少女は未だ恐怖に縮小していた。マッサージをかけてあげようか。
「ふふっ、もう大丈夫。君は救われたんだよ。」
私は四つん這いのまま、重い身体を少女へと向ける。そして、頭に手を乗せる。
「安心して、ここにはもう怖い人はいないよ。私が来るまでよく耐えた。
偉し、強いよ君は。」
少女の目に光が灯り、しだいに大きくなっていく。やがて安心しきったように意識を失った。
「おおぅ。まぁ、あれじゃ白目向く程身体に負荷がかかってただろうし気を失うもの当然か。」
そう解釈し、少女を持ち上げる。
「おっ、軽っ。」
そう呟き、ある程度体力の回復した身体で少女をお姫様抱っ子し夜の蚊帳に背を向けるのだった。
「お前だけは、絶対許さない。」
闇の中で、怨嗟が木霊する。
そして「時」は動き始めた。
どうも、この間夜な夜な帰り道でマスクを顎ならぬ額に着けたおじいさんとすれ違った有機物の轆轤輪転です。
第二話、ご読破大変感謝いたします。
また逢う日まで。