「美しさと艶かしさ」【ショートショート】
日本語なんて信用できない。
私は揺蕩う愛染と臆病な官能小説を腕に抱えながら、息を吹き返すように呟いた。
それは、「愛してる」の重さは「好き」と比例しないことでもあり、「もう一度抱きたい」と「もう一度会いたい」は互いに相似な関係とはなり得ないことでもある。
繋いだ片手の薬指には光沢のある輪っかが、私の醜悪な姿を舐めるように見ている。
絡み合う指と指も、激しく交差する意識も、互いに照らし合わした心の内側も、もう体温という温かさはとっくの昔に失われていた。
日本語は、表現方法に非常に富んだ言語である。「愛してる」という言葉には、「相手を労る気持ち」「相手を壊したい気持ち」「自分の欲をさらけ出したい気持ち」など、吐き気がするほどの意味を抱えている。
深夜のベッドの温かみだって、触れた指先の艶かしさだって、独りでは何も感じられないの。
もっと愛してよ。もっと侵してよ。もっと私を食べてよ。
もう、私に味方などは存在しない。いや、元々いなかったという方が正しいのかもしれない。
体温も眠り方も美しさでさえも忘れてしまった私にとって、それはとても儚く見えた。とても欲してしまった。
心が奪われてしまった。
私の手元にある銀色のナイフは、異様な光沢を浮かべていた。
(終)
※ここから先はエピローグです。
おまけーエピローグー
本当は知りたくもなかった。体液の味も温度も見た目も。
そして、血管を貫く感覚も。
静脈も動脈も関係ない。今は、傷つけることが出来ただけで嬉しい。
唸る。唸る。貫いた毛細血管たちは泣きながら静かに唸り声をあげている。
あぁ、楽しい。楽しい。人間って面白い。
独りの女は笑った。何に対して笑ったのかは定かではない。
断ち切られた血管の主も、流れ落ちた体液の源も、零れ落ちた涙の憂鬱さえも、
僕らは何も知ることが出来なかった。