夢に救いを
きっとこれは夢だ。
じゃなければ悪い冗談だ。
もしくはただの幻覚だ。
だってそうだろう?
こんなビデオテープ…まさか僕に信じろって言うのかい?
自慢じゃないが僕には何もない。両親にはとっくの昔に捨てられた。沢山いたはずなのに、引き取りに来る親戚もいなかった。そりゃそうだろう。僕だって最近気付いたんだけど、僕にはわざわざ手間暇かけて育てたり、腹を痛めたわけでもないのに引き取る価値はないんだ。
それに気付いて友達や先生に話した時、価値がないなんて言うなって皆は怒った。価値がない人間なんていないんだ、って怒った。
じゃあ。
じゃあなんで僕は両親に捨てられたんだろう?
じゃあなんで誰も僕を引き取りに来てくれなかったんだろう?
そう尋ねると誰も何も答えない。バツが悪そうに目を逸らすんだ。
でもその答えを僕は持っている。
答え。
僕にはそうするだけの価値がなかったから。
そういう答えをやっと見つけたのに。
なんだこのビデオテープは?
さっきはあまりに呆気にとられて途中でテープを止めてしまった。
気を取り直してもう一度再生ボタンに指を掛ける。
あれ?
押せない。何でだろう…壊れたのかな?
あぁ…いや、違う。壊れてなんかいない。ただ僕の指が拒むように固まってしまっただけだ。
怖がっている?
誰が?
僕が。
「冗談じゃない」
吐き捨てるように呟くと、指にあらん限りの力を込めてボタンを押させる。今度はいとも簡単に再生ボタンが押された。
これでいい。僕は何も怖くない。怖がる必要なんてない。
画面が深い闇を思わせる黒から、鮮やかな彩りを見せる。
そして二人の人間を映し出した。
一目でわかる。
何故わかるのかはわからないが、僕には間違いなくわかった。
そうだ…この二人は僕を捨てた人達だ。
背景には何処かの部屋が映っている。高そうなワインが並べられた棚が見える。黒い革張りの、一目でわかる高級ソファも映っている。
音が聞こえない。
ふと視線を下に向けると、僕の指が音量を下げるボタンにくっついていた。
「お祓いとか頼んだ方がいいのかな…」
溜め息まじりに呟くと、僕は指をそのボタンから引き剥がした。そしてその一つ上に存在する音量を上げるボタンに掛けた。
やっと音が、声が流れ始める。
『一緒に暮らそう。これからは一緒だ』
プツン、と画面が黒を映し出した。見なくてもわかる。僕の指が電源ボタンを押したんだ。
「あれ?」
今度は声に出して言ってみた。自分の鼓膜を打つ、自分の声はひどく弱々しくて掠れていた。
「やっぱ…り、お祓…いと…か…」
無理だ。いや。無理をするな。
弱々しくて掠れているのは声だけじゃない。
僕自身だ。
「この人達が僕の…両親」
そして僕を捨てた人達。
「この人達と…一緒に暮らす?」
そう。僕を捨てた人達と。
「駄目だ…」
そう。駄目だ。駄目だ、駄目だ、駄目、駄目、駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目…。
「こんなこと…」
こんな勝手なこと。
受け入れられるはずがない。
頭が痛くなる。視界が揺らぎ、回り始める。呼吸が荒く、不規則になる。訳のわからない震えが全身にはしる。
「僕は…………良かった…んだ」
今のままで。
別に僕を捨てた事を恨んじゃいない、なんてことは言えない。
でも、もうその事で悲しむ事なんてなかった。自分を騙してきたわけじゃない。ただそうなるのが必然だったんだって思っただけ。
拒絶じゃない。
僕は捨てられた現実を受け入れてきたんだ。
なのに何で今更。
僕を掻き乱す。
勘弁してくれ。
「勘弁…して……くれ」
声に出せば何かが変わるかと思った。でも当然…何も変わらない。
深い闇が見える。迫る。四方八方から包み込むように這い寄る。
「たす……け………て」
今まではどんな闇だって受け入れてきた。
なのに今はどうだ。逃げ場のないのは分かっているのに、僕は必死に逃げ出している。
そうすることで更に闇にはまっていくのは分かっている。だけど逃げずにはいられない。
「たすけ…て」
闇が。両親が。
僕を捕らえようとする。
「たすけて…」
心が軋む。身体は既に抵抗をやめていた。
「たす…けてっ!」
バシッ!!
額に鈍い痛みがはしる。視界が戻る。いや、視界が開けていく。
なんだ…僕は目を瞑っていたのか?じゃあ今のビデオテープは?
「起きた?久々だね。君が寝言で叫ぶなんて」
声だ。僕の低い声じゃない。涼やかな女の人の声。
僕はその声の主をよく知っていた。
「…あ、夢か」
ビデオテープを見たのは今じゃない。
今はもう昔の話だ。
あの日。あの時。あの場所。
ビデオテープから迸った闇から僕は逃げられなかった。
"一人"では。
彼女は僕を助けた。部屋に乗り込み。僕を強く抱きしめ。ビデオテープを原型がわからない程に粉々にして。
…最後の一つは必要なかったかな?
そこに何の意図があったのかは知らない。今も知らない。
それについて、以前彼女に聞いたことがある。
彼女は何もないと答えた。
二度目。
やはり彼女は何もないと答えた。少しばかり苛ついた様子で。
三度目。
僕が話している途中で殴られた。苛立たしそうに溜め息を吐き。固く握りしめた拳で。殴り慣れていなかったようで、彼女も痛がっていた。
それ以降。僕はその事を問うてはいない。問うてはいけない。
闇から救ってくれた彼女に、僕のその問いかけは迫る闇だったらしい。
楔。という言葉がある。V字形の木片や金属片の道具で、隙間に打ちこみ、木や石を割ったり、きつくしめたりするのに使うものだ。
もちろん、僕が言いたいのはそんなリアルで触れられる事じゃあない。
楔とは。修辞技法では"割る"という意味でよく使われる。関係にヒビを入れる、といった感じだ。だとすると、関係がなければ楔は打ち込まれないかもしれない。でもそんな人間はいない。誰だって望む望まないに関わらず関係を強いられる。それが良い関係か悪い関係か。はたまた中途半端な関係か。要はその違いだけ。
楔とは。同時に"繋ぐ"という意味をも持っている。関係を強くする、といった感じだ。それが望まれてか拒まれてかは、楔を打ち込んだ本人と打ち込まれた本人にしかわからない。
"割る"よりはましかもしれない。時と場合によっては。
"割る"よりはひどいかもしれない。時と場合によっては。
今も僕にはわからない。彼女と僕の関係に打ち込まれた楔は。
"割る"のか。"繋ぐ"のか。
でも。
なんとなく言えるのは。
それを"悪い"とは思わないな、ってこと。
「ねっ、あたしは何回君を助ければいいの?」
何故か嬉しそうな声。
もちろん、僕が闇に囚われて苦しむのを楽しんでいるわけじゃない。
それが出来るのなら。
彼女は僕の隣にはいない。
それが出来るのなら。
彼女は僕なんか視界にも入れない。
それが出来ないから。
彼女は僕の隣にいる。
「…さぁ」
僕の答えはそれだけ。
別に投げ槍なわけじゃないんだ。本当に、さぁ、なんだ。後何回助けてもらわなければならないか、なんてこと。僕には見当もつかないから。
夢を見た。
ひどく憂鬱で。
ひどく哀しくて。
ひどく痛みを伴って。
でも最後には救われた夢を。