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無刀剣客多盗剣  作者: 菊池竹光
9/9

第八回 三怪、邂逅す

「―――つっ」


 右の拳を一度引っ張って、関節を継ぎ直す。

 拳を握ったり閉じたり、手首をぐるぐると回してみた。わずかにしびれは走るが支障なく動く。

 手首の関節は初めてだが、肩なら鍛錬中に外れたことがある。その時は半月ほども腕が使い物にならなかった。

 外れ方が良かったということだろう。恐らく偶然ではなく、狙ってやったことだ。


「…………」


 足元に倒れ伏した男を見やる。

 拳をあれだけ避けられたのは初めてだった。

 家業柄で顔は広く、好奇心が強い性格から手合わせを挑むことも多い。江湖には当然自分―――劉雲心よりも遥かに格上の者が大勢いる。拳の間合いに入らせてももらえない剣の達人もいれば、初手で点穴を突かれて何一つさせてくれなかった道姑もいた。

 しかし一度勢いに乗ってしまえば、そんな達人たちが相手であっても連打と勘で押し切ってしまえる自信があった。

 余人からは理不尽にすら見えるらしいその強さと、仕出かしてしまった一大騒動とが相まって、劉雲心は江湖で“魔拳”などと異名を取っている。

 だが男は、その魔拳を数十数百も躱して見せた。右を犠牲に左の拳を叩き込めたのは、ほとんど偶然の産物だろう。


「……その軽功、厄介だな。後を付けられては面倒だ。足の一本くらいはもらうとしよう」


 小妹はもとより、意識を失っている兵達も命を奪われてはいなかった。国賊だが、こちらも命まで取る気はない。

 片足を持ち上げ、男の足首に狙いを定める。踏み砕けば、あの軽功は永遠に失われるだろう。惜しいという気もするが、それぐらいは仕方がない。


「―――っ、まずはこの男からって話じゃなかったか?」


 飛んできた短剣を、首をひょいと傾げて避けた。


「もう勝負ありでしょ。だいたい、そいつが勝手にした約束なんて、私の知ったことじゃないわよっ」


 白衣の女が劉雲心に剣呑な視線を向けていた。

 未だ意識を覚まさない小妹からは、女の方が幾分か近い。睨み合いになった。


「―――難敵を片付けてくれて、礼を言うぞ」


「っ! 何だ、お前は? この男の仲間か?」


 割って入ったのは、隻眼隻腕の異形の剣士だった。

 音も無く、気配すらも断つような独特の軽功で、気付いた時には劉雲心と白衣の女の間にいた。

 ただ立っているだけだが、それだけで何やら肌をちくちくと刺すような嫌な感じがする。それは足元で倒れ伏す男が、こちらへ手を伸ばしてきた時に感じたのと同じ感覚だ。―――つまりは難敵ということ。

 異形の剣士は、細身の剣を腕のない左の脇に手挟み、剣柄に右手を掛けた。


「―――っ!」


 嫌な感じが急速に強まり、そして爆ぜた。劉雲心は“その感覚”に弾かれるように、飛び退る。

 眼前を一筋の、いや、二筋の光芒が走った。

 剣士は変わらぬ体勢だ。とても一瞬で刀を抜き、納めたとは思えない静かな佇みようである。


「まさか、同じ日に二人も俺の剣を避ける者に出会うとはな」


 男がわずかに眉をひそめた。


「抜刀術。―――居合、と言うやつか。確か東の果ての島国に伝わる武術だったか?」


「ほう。知っているのか」


「名前だけな。見るのは初めてさ」


「そうか。だが、二度目はない」


 次は抜く手も見せずに斬り捨てる、ということだろう。

 男から再び嫌な感じ―――強烈な圧が、押し寄せてくる。


 ―――こういう相手には、付き合っちゃいけないな。


 射竦め、その場に居付かせる。それが恐らくこの男の、そして居合の常套手段であろう。

 躊躇うのが一番良くない。やると決めたら思いっ切りだ。劉雲心は本能に打ち勝ち、一気に前へ踏み出した。

 狙うは一見無防備に晒された顔面だ。右の拳。当たる。いや、はずされた。

 異形の剣士は、抜刀術の構えを崩さぬままに後方に拳一つ分だけ引いた。


「まだまだぁっ!」


 抜く間を与えず連撃を繰り出す。

 左の突き、右肘、左肘、右の突き、左掌。やはり抜刀術の構えのまま、全てを紙一重で、しかし危なげなく避けられた。

 右の突き。男は常よりわずかに大きく、拳二つ分後退した。あるか無きかの隙を見て取り、大きく踏み込んで左の拳を返す―――


「―――ぐうっ」


 鳩尾に、男のつま先が突き刺さっていた。何てことのない前蹴りだが、刀ばかりを警戒し過ぎた。

 が、つま先を鳩尾にめり込ませたまま、かえって強引に前へ出た。

 ここで動きを止めたり、後退しては相手の思惑に嵌まることになる。そして、さすがに片足を蹴り上げた体勢では先刻の速さで剣は抜けまい。


「くっ、逃がすかっ」


 劉雲心の腹を踏み台に、剣士が後方へ跳び退る。しかし、こちらの拳が速い。


「―――っ!?」


 やはり嫌な感じが弾け、すんでのところで攻撃を踏みとどまった。直後に眼前を光芒がまた過る。


「これも避けるか。勘の良い野郎だ」


「……あんな崩れた体勢でも同じ速さで抜けるのかよ、居合ってやつは」


「“俺の”居合はな」


「だが二度目、見せてもらったぜ」


「ちっ」


 異形の剣士は忌々しげに舌打ちした。


「で、いったい何のつもりだよ?」


「何のつもりとは?」


「斬る瞬間、刀を返しやがっただろう」


 男は抜き打った瞬間、掌中でくるりと剣柄を半回転させていた。

 片刃の刀であるから、結果刃ではなく峰の側がこちらへ向けられることになる。神業の域だが、当然余分な動きをする分だけ剣速は落ちるし、仮に当たっても“斬る”ではなく“打つ”ことになる。


「おうっ、そこまで見て取ったか。この国最精鋭だという兵達も、誰一人として気づくことなく倒れていったが。さすがにあの偸刀鬼を倒すだけあるな」


「何、偸刀鬼だって? いや、それよりも兵達が倒れていっただと。まさかこの惨状、貴様の仕業か?」


「だから誤解だと馮迅の奴が何度も言っていたでしょうがっ! 襲ったのはそいつ、私たちはあんたの小妹とやらを守ってやったのよっ!」


 白衣の女が叫ぶ。


「なっ、そ、それは申し訳ないことを」


 劉雲心は慌てて頭を下げる。女に一つ、そしてまだ地面に倒れたままの男に向けて深々ともう一つ。


「しかし、この男が偸刀鬼か。……ん? ひょっとしてそっちのお前は、無影剣?」


「江湖ではそんな渾名で呼ばれているらしいな」


 異形の剣士が小さくうなずいた。


「そうか、いつの間にやら並び称されていた二人と、こんなところで出食わすとはな」


「ほう。と言うと魔拳劉雲心というのはお前か。三怪とやらがここに一堂に会したわけか。面白いな」


「何が面白いもんかよ」


 その三怪の一人に妹分を狙われ、もう一人を勘違いから打ち倒してしまったのだ。


「まっ、お前にしてみればそうだろうな。―――悪いが、これからもっと面白くなくなる」


 無影剣が三度抜刀術の構えを取った。


「こんなのはどうだっ!」


 間を置かず、劉雲心は即座に動いた。

 足元へ滑り込むように跳躍し、足裏で脛を狙う。言うなれば低空跳び蹴りだ。


「甘いっ」


 異形の剣士は、跳躍して避けた。それも中空にあってなお、抜刀術の構えを取ったままだ。―――抜く。


「ふっ!」


 顔面や胴には届かないが抜き手―――柄頭には拳が届いた。打ち抜き、半ばまで白刃を晒していた刀を鞘に押し戻す。空中でもつれるようにしながら、馳せ違った。

 位置を入れ替え、再び対峙する。


「俺の抜き手を狙い打つかよ。なるほど、これが魔“拳”か。凄まじいものだな。―――悪いがお前にも、手加減は出来ないようだ。もし今日という日を生き残れたなら、俺に刃を使わせたこと、生涯の誉れとするが良い」


「―――っ」


 何かが、変わった。劉雲心は覚えず一歩後退っていた。

 無影剣の構え自体は、何ら変わらぬ抜刀術のものだ。しかし全身から、先ほどまでの伸しかかる様な圧に変わって、突き刺さり貫くような気が溢れ出ていた。

 今度は“打ち”にではなく、“斬り”に来る。


―――臆すな。


 臆せば、相手の得意の型にはまることになる。

 一歩前に出、元の間合いへ。足を止めずもう一歩、そのまま踏み込んだ。

 無影剣の無防備そのものの顔面に右拳を突き出す。


「―――っ」


 ぞくりと背筋が凍った。

 時の流れが、いやにゆっくりと感じられた。

 拳が無影剣の鼻面を目指して進んでいく。そして視界の端に、白刃が見えた。すでに鞘から解き放たれ、今度は返されることなく刃を向けている。

 突き出した―――と言うよりも差し出した格好の劉雲心の右腕を、二の腕から斬り落とす軌道だ。

 刀身がゆるゆると近づいてくる。しかし劉雲心の身体は、それ以上にゆっくりとしか動かなかった。避けられない。無影剣の刀が、腕に触れた―――。


「―――っ」


 皮一枚を斬ったところで、無影剣の体が弾かれたように後方へ退いた。刀はすでに脇の鞘に収まっている。


「……この期に及んでなおも邪魔立てする気か?」


 無影剣の詰るような視線は、劉雲心ではなくわずかに右へ逸れていた。


「そりゃあ、目の前で人が斬られそうになっていたら、助けるに決まっています」


 声を聞いてようやく、すぐ真横に立つ男の存在を劉雲心は認識した。

 顔を腫らせた男が飄然と立っていた。左腕を伸ばしている。抜刀術を、盗ろうとしたということか。


「それが自分を殴り倒した相手であってもか?」


「ああ。そんなことで見捨てられるかよ。猛毒飲まされて剣で突かれて家に火を掛けられたって、俺は助けるさ」


 男―――その手腕からしてまさしく噂の偸刀鬼なのだろう―――が、いやに具体的なことを言う。


「それに、貴殿だって似たようなものじゃないですか?」


「何のことだ?」


「少々記憶が混濁していますが、自分の巻き添えでこの若いのに俺や白怜殿がやれるのを、見てられなかったのでしょう、貴殿は?」


「……馬鹿なことを抜かす。お前が誰にやられようが、知ったことかよ」


「…………」


「ちっ、痛めた指で、貴様の相手は出来ん」


「万全じゃなかったのか」


 無影剣の言葉に劉雲心は愕然とした。しかし嘘ではあるまい。

 その証拠に、無影剣は構えを崩さない独特の歩法で一息に数丈も後退すると、そこで背を向けた。


「何か事情があるなら、話を聞きますよっ。俺は、貴殿がやばい時にだって助けるからなっ」


「ふっ」


 偸刀鬼の言葉に、無影剣は一瞬だけ足を止めて鼻で笑い、駆け去った。


「―――っ」


 無影剣の姿が視界から完全に消えると、劉雲心は腰砕けに地べたに尻もちをついた。今さらのように全身から汗が噴き出してくる。


「大丈夫か?」


「はい、お陰様で無傷です。助かりました。いや、お礼よりも先に謝罪をすべきですね」


 劉雲心は急ぎ居住まいを正し、跪拝した。


「申し訳ありませんでした。小妹の恩人を襲ってしまうとは」


「気にするな。誰だってあんな場面を目にすれば疑いもするさ」


 偸刀鬼は本当に頓着ない様子で肩をすくめる。


「しかし、あんたの拳は大したものだな。無影剣がずいぶんと俺を警戒してくれて助かった」


「?」


「実はな、まだ視界が少しばかり揺れている。構わず刀を振り抜かれていたら、あんたも俺もまとめて腕を斬り飛ばされていたな、ははっ」


「……」


 からりと笑う男に、劉雲心は再び愕然と息を吞んだ。



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