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無刀剣客多盗剣  作者: 菊池竹光
7/9

第六回 無影剣、閃く

「こちらの部屋にてお待ち頂けますか? 夕刻までには戻ります」


「何用かは、聞いても教えてはくれないのですよね?」


「はっ、申し訳ございません。主上のお耳を汚すようなことでは」


「……分かりました。この国の人々に徒に迷惑を掛けること無きように。また、怪我などには気を付けるのですよ」


「はっ。ふくろうを付けておきますので、何かあればお申し付けください」


 頭を下げ、膝行して退室する。

 戸を閉める瞬間にわずかに覗いた室内では、見すぼらしい宿の一室には甚だ不釣り合いな、侵し難く神聖な少女が凛と威儀を正して雷蔵を見送っていた。


「……」


 無言で頭を下げ、戸を閉め切る。


「雷兄、宿の廊下でそれは目立ち過ぎ」


「むっ、そうか」


 旅の女武芸者の装いをした梟が、呆れた顔で跪く雷蔵を見下ろしていた。


「主上を頼んだぞ」


「大丈夫大丈夫、私にまかせておいて」


 軽い乗りに少々不安になるが、これで腕は立つ。肯き返して、急ぎ宿を出た。


「……雷蔵様」


 道に出ると、どこにでもいる町娘といった風情の少女がそっと寄り添ってくる。


からす。例の連中は?」


さぎに後を付けさせております。先導いたしますので、付いて来てください」


 鴉の先導に従い街道を進んだ。

 人通りはなく、人目を気にすることなく駆けた。祖国と比してこの国の人口は遥かに多いが、領土はそれ以上に広大で、民は城邑―――外周を城壁で囲まれた巨大な城塞都市―――と、その周辺に固まっている。


「こちらです」


 先を行く鴉が、何本目かの脇道へ入った。雷蔵には見て取れないが、彼女たちにしか分からない目印でもあったのだろう。

 鴉と梟、それに鷺の三人は、大陸まで従えてきた数少ない部下だ。

 三姉妹で、いずれも忍びの技に長けたくノ一というやつだった。この異国の地で雷蔵と主がここまで旅を続けて来られたのも、この三名のお陰である。


「お兄さん、お相手してくれない?」


 脇道をしばし進むと、襟元をだらしなくはだけさせた遊女が如く女がすり寄ってきた。


「―――いたっ。もうっ、雷様、最近つれないんだからっ」


 額を軽く小突いてやると、鷺が唇を尖らせる。


「いたたたっ、もうっ、鴉姉さんまでっ」


「真面目にやりなさい、真面目に」


 鴉に尻でもつねられたようで、鷺はその場で身悶える。


「もうっ、仮装に合わせてそれらしい台詞を言っただけじゃない。だいたい、たまにはちょっとくらいお相手してくれたって良いじゃないっ。私も、姉さんたち二人も、女にしたのは雷様なんだからっ」


「―――っ、な、なにを言うの、鷺」


「なにようっ、本当のことじゃない」


「わ、わざわざ口に出すようなことじゃないでしょうっ」


「ふふっ、鴉姉さんったら相変わらず初心うぶなんだから。そんなことでお役目が務まるのかしらね?」


「わ、私だって、雷蔵様のご命令ならば何だってやり遂げて見せるわよ」


「どーだか」


「二人とも、そのくらいにしておけ。―――鷺、連中は?」


「はいっ、この先三里(1.5㎞)の位置で、足を止めて休息中です」


「そうか、行くぞ」


 駆けた。

 無くした腕を収めるはずの左袖が、風に靡く。

 片目と片腕を失って一年以上が経過している。当初はただ歩くだけ、走るだけでも違和感が付きまとったものだが、今ではこの不自由な体にもすっかりと慣れた。

 隠密の歩法は忍びの本業であるから、鴉と鷺も遅れず付いて来る。雷蔵の軽業も三姉妹の祖父に仕込まれたものだった。

 三里の距離を瞬く間に駆け抜け、道外れの開けた草地に佇む二十人ばかりの集団を視界に捉えた。休息中という話だが、具足をしっかりと纏い槍を片手に直立している。円陣を組んでいて、微塵の油断も見られない。


「我らは如何しましょう?」


「助力は無用。姿を見られないように離れていろ」


「はっ」


 鴉の問いに答えると、雷蔵は足を緩めず集団目掛けて駆け寄っていく。円陣の中央の輿が、標的の人物だろう。


「―――何奴だ、止まれっ!」


 誰何の声が上がり、二十人が一斉に槍を構えた。

 五人一組で整然と動く。一組は雷蔵の行く手を遮るように槍先を並べ、二組がその左右に付く。残りの一組は輿の周りを固めた。


「……」


 雷蔵は槍先まで半歩という距離で足を止めた。

 ぴったりと雷蔵の眼前できれいに揃い微動だにしない穂先が、兵の質の高さを物語っている。

 護衛の兵二十人と報告を受けた時は、随分と手薄な警護と訝しんだものだが、相当な精兵揃いのようだ。並みの兵なら二百人にも相当しそうだ。


「武器を捨て、下がれっ!」


 再び声。声をあげているのは輿に付いた兵の一人だ。指揮官なのだろう。他の兵と同じ具足を付けているが、一人だけ槍先に房飾りを付けている。

 雷蔵は腰に差した刀に右手を伸ばし、鞘ぐるみに引き抜いた。武器を捨てようとしていると思ったのだろう。目の前の兵達はその動きを黙って見守っている。


「おい、何を」


 左の脇に鞘をたばさむと、兵達が眉をひそめ問う。


―――槍先をきれいに揃えてくれているのは有難いな


 一歩踏み込みながら片膝立ちになって、やや上体を仰け反らせるようにして槍の下へ潜り込んだ。―――そして刀を抜き放ち、納める。

 わずかな時を置いて、柄の中程から断たれた槍の穂先がぱらぱらと地面に落ちた。


「き、貴様っ、手向かうかっ!?」


 正面の五人の兵は槍の残骸を投げ捨てながら、腰の剣を抜きに掛かる。同時に左右に展開した五人ずつが、鶴の翼を閉じるように迫り、雷蔵を挟み込みに来た。

 たった二十人でも、連携した軍の動きをしていた。

 雷蔵は構わず正面に飛び込む。まだ兵が剣を抜き切らぬうちに、こちらは抜き際に柄頭で一人、抜き打ちに一人、返す刀でさらにもう一人を打ち据えた。ようやく剣を抜いた二人の首筋も打ち、初めの五人を残らず昏倒させると、雷蔵は一度納刀した。

 左右から迫る五本二組の槍。いずれも低めの中段に揃え腹部を狙ってくる。やはり良く鍛えられている。最初の五人が槍下に潜り込まれて柄を切り落とされたのを見るや、すぐさま狙いを上段から切り変えてきた。

 しかし雷蔵はさらに低く、ほとんど地面を這うようにして右の一組の槍下へ潜り込んだ。今度は槍は狙わず、抜き打ちで二人分の脛をまとめて砕いた。立ち上がりながら刀を返して一人を、さらに左右に一振りずつで残り二人も仕留めて納刀する。

 左の五人。今度は下段で足元を突き掛ってくる。跳躍した。中空で三度抜刀と納刀を繰り返し、着地と同時の抜き打ちと返す刀できっかり五人全員を打ち倒した。


「馬鹿な。ここは私が時間を稼ぐ。お前達は―――」


 指揮官と思しき男に、最後までは言わせなかった。指揮官本人ではなく命を下される四人の方を、一呼吸の間に打ち倒していた。


「くそっ、この逆賊めがっ」


 指揮官が槍を扱く。白蝋―――柳の一種―――の柄が撓り、穂先は不規則な回転を伴って突き込まれてくる。

 一人で時間稼ぎを買って出ようとするだけあって、なかなかの鋭さだ。雷蔵は大きく身を逸らして避けながら、抜刀した。房飾りのついた穂先が切断されて中空へ跳ねる。指揮官は構わずただの棒になった槍でもう一度突きにくる。半身になって避けながら踏み込み、すでに納刀していた刀をもう一度抜き放った。今度はわずかな持ち手部分だけを残して、柄が地に落ちた。


―――抜刀術。


 本来は腰に差した刀を抜く技術である。腰の備えが重要で、氣は臍下にある下丹田に落とす。

 左脇で刀をたばさむ今の雷蔵の抜刀術は肩で備え、氣も胸にある中丹田まで引き上げる。刀も以前よりも二寸(6㎝)余りも短いものを使っている。

 左腕の肘から先を失ったが故に生まれた苦し紛れの一手だが、意外にもすぐに馴染み、使い勝手も悪くなかった。常の抜刀術と違って腰を据える必要がないから、滑り込んだり、跳躍したり、あるいは身を躱したりしてかなり崩れた態勢からでも無理なく刀を抜ける。

 左手がないから親指で刀を迎えに行くことが出来ず、納刀だけはかなり苦労して身に付けた。左肩にいくつも傷をこさえながら繰り返した修練は今でも夢に見るほどだ。

 とはいえその甲斐あって、雷蔵は五体満足であった頃と変わらぬ速さで、それ以上に融通無碍な抜刀術を物にしていた。


「お逃げください、殿下、―――っ」


 最後にもう一度刀を閃かせると、その場に立っている者は雷蔵だけとなった。


「……こ、高貴なお方の御簾みすに手を掛けるような、ぶ、無粋はしたくはありません。自らお出で頂けませんか?」


 雷蔵は少々舌先をまごつかせながら言った。この国の言葉にもだいぶ慣れてはきたが、貴人に対する言い回しなどはやはり慣れない。


「…………」


「御免」


 貫かれた無言を返答と受け取り、輿に近付きそっと簾を持ち上げる。


「―――っと」


 簾の陰から突き出された短剣に、雷蔵はさっと横に身を躱した。

 身体ごとぶつかる様な刺突で、輿の中の貴人―――少女は勢い余って転がり出た。

 薄絹を幾重にも折り重ねた美しい衣をまとい、小さな玉をあしらった笄を付けている。少女の身分を思えば奢侈どころか、少々質素なくらいだろうか。


「何とも思い切りの良いお方だ。本日一番に危ういところでしたよ」


 少女に歩み寄る。足でも挫いたのか、少女は一度立ち上がろうとしてうずくまった。


「何者ですか?」


 護身術の手習いくらいは受けているのか、少女は逆手に持った短剣を胸の前に構えながら問う。内心は恐怖に振るえていようが、毅然としていた。


「名乗るほどの者ではございません。手荒な真似はしたくありません、しばし、お付き合い願いたく」


 手を伸ばしかけ、逡巡した。

 少女とはいえ女性であるから、鴉達を呼んで後の処置は委ねた方が良いか。この国の女性は十五歳で元服して笄をさす。もう少し幼くも見えるが、少女はすでに大人ということだ。


「―――待った」


「―――っ」


 そんな一瞬の隙をつくように、背後から声。振り返ると輿の屋根に若い男が一人立っていた。


「殺す気はないみたいだから黙って見ていたが、さすがに女の子のかどわかしを見過ごすわけにはいかないなぁ」


 喋る男を問答無用で打ち捨てようと駆け、跳躍と同時に刀を抜き放った。


「―――ぬっ」


 抜き打ちは空を斬り、男は屋根から身を躍らせて雷蔵の頭上を跳び越えていた。


「驚いたな。てっきりよほどのなまくらでも使っているのかと思えば、その速さの抜き打ちで、当たる瞬間に刃を返せるのか」


 納刀しながら振り返ると、男は少女と雷蔵の間に立ちはだかり、周囲に転がる兵達に視線を投げている。大地に転がる者たちは気絶していたり、骨を折られて呻いているだけで、命までを失っている者は一人もいない。

 斬る―――打つ瞬間に、掌中で柄を回転させて刀の峰や腹を使う。この国の人間に迷惑を掛けてはいけない、民に危害を加えてはいけないという、主上からの再三の命令に対して雷蔵が出した妥協案である。


 ―――この男、強い。


 抜き打ちの一撃を躱されたのはこの国へ来て初めてであるし、刀を返していることを見破られたのも初めてだ。

 抜く手も見せず斬り付けてこその抜刀術であり、それゆえに雷蔵はいつしかこの国の人間から“ある渾名”で呼ばれていた。


「―――そうか、噂の無影剣というのは貴殿か?」


 男が目を見開き、はたと膝を打った。


「そんなこと確認するまでもないでしょう。隻眼隻腕の凄腕なんてそうそういてたまるもんですか」


 雷蔵が返答するまでもなく、女の声が代わりに答えた。

 白衣の若い女が、呆れ顔で道の方からこちらへ歩いて来る。ちょっと目を見張るくらいに艶っぽい美女だ。


「言われてみればそれもそうか」


「まったく、また余計なことに首を突っ込んで。そんなだから旅が進みやしない。―――そこのあなた、邪魔になるからこっちへいらっしゃい。ほら、早くっ」


「―――は、はいっ。くっ」


 白衣の女に手招きされ、呆けた様子だった少女は慌てて立ち上がろうとするも、やはり苦痛に顔を歪める。


「ああ、足を痛めているのね。仕方ないわ、ほら、肩を」


「あ、ありがとうございます」


 女に支えられて、標的の貴人が離れていく。

 当然制止すべきだが、いざとなれば鴉達が手を打つだろう。それよりも目の前の男に対する備えを緩めるわけにはいかない。

 若い男だった。間も無く三十路になろうという雷蔵とは十近くは離れているのではないか。旅の武芸者というやつだろうが、女連れで武者修業とはなかなか傾いている。

 面白いことに、この国では在野の武芸者の方が官軍の将兵よりもずっと腕が立つ。雷蔵の祖国でも浪人と呼ばれる流れ者は少なくないが、相応の実力があればすぐにどこぞの家中の禄を食むものだ。

 もっとも雷蔵もこの若者くらいの時分には、諸国を渡り歩き剣術、それに酒と女の修行に明け暮れていた。

 尊貴な御方に仕える武門の棟梁の家に次子として生まれ、厳しい父と、その父に瓜二つながらも自分には甘い兄に家のことなどは全て任せ、自儘に生きた。いわゆる放蕩息子という奴だ。鴉ら三姉妹の祖父で、父に仕える忍びを束ねる男の家に入り浸ることもあった。忍びに伝わる武芸などはその頃に大概手解きを受けた。そうして気侭に生き続け、いつしか日の本一の剣豪などと呼ばれるようになった。兄はもちろん父も、文句を言いながらも陰では雷蔵の武名を誇ってくれていた。

 ―――しかし肝心な時、雷蔵はその剣を一門のために振るうことはなかったのだ。


「……」


 埒もない内省を、頭を振って打ち消した。今は目の前のこの男を片付けることだ。

 若者は無手で自然体に構え、自ら攻めようという気配は微塵も感じられない。

 ずいと無造作に一歩前へ出た。突きや蹴りでも放って来たなら躱し様の一撃で打ち倒すつもりだったが、やはり若者に動きはない。素手で抜刀術を迎え撃つつもりなのか。


「……」


 じりじりと間合いを計りながら、眼光に剣気を込めた。

 抜刀術、またの名を居合の極意は、居ながらにして勝つことにある。間合いを制し、武威で崩し、抜かずして勝ちをおさめた後に抜き放つ。抜刀は掴んだ勝利を確定させるための駄目押しに過ぎない。


―――しかしなんだ、この男は?


 叩きつけた武威に何の抵抗も感じられない。

 相応の達人相手ならば彼我の威と威がぶつかり合い、押し合いが生じる。押し切った瞬間に刀を抜けば、すなわち雷蔵の勝利である。

 格下の雑魚相手ならば、濁流が小石を押し流すが如く圧倒出来る。相手は射竦められ、刀を抜くまでもなく戦意を失うことも少なくないのだ。

 しかし目の前のこの若者。暖簾に腕押し、糠に釘、という感じで、押し出した武威に小石程度の引っ掛かりさえも感じられない。

 剣気も、武威も、放つ端から受け流されている。いや、受け流すというよりも、抗わず自然と波に漂うような。


「―――っ」


 抜いた。否、抜かされていた。剣指を作った男の左手がにわかに持ち上がり、呼応して無意識に無思慮に抜いていた。そして―――


「無刀取り、とはな」


 雷蔵の愛刀が、若者の手に移っていた。

 掌中で刀の柄を返す刹那を狙われた。必然握りが甘くなる瞬間であり、愛刀はあたかも自ら譲り渡しでもしたかの如く淀みなく、若者の手に明け渡されていた。


「……そうか、偸盗、いやさ偸刀鬼というのはお前のことか」


「不本意な渾名なのですが」


 絞り出した言葉に、若者が小さく首肯した。


「お返しします」


「ちっ」


 奪い取られたばかりの刀が平然と捧げ出される。雷蔵は無造作に刀に手を伸ばすと鞘に納めた。


「噂には聞いていたが、まさかこの俺の抜き打ちまで盗るとはな」


 ぼりぼりと頭を掻きむしりながら言う。

 頭頂近くで一纏めに結った髪がそれで幾筋かほつれ、ぴしぴし跳ね上がったようだ。こそばゆさでそれと分かる。くせ毛なため、きつく髷を結っておかねば怒髪天を突くとでもいったような、ど派手な様相となるのだ。

 そも、この国では髷は頭巾で覆い隠すものであるが、四方八方に跳ねる毛先を無理にまとめるのが不快で野晒しにしていた。顔立ちや体格、皮膚や頭髪の色はこの国の人間と大差ない雷蔵が、すぐに異国人であると看破される理由の一つだった。


「ふぅ~~っ。……完敗というやつだが、生き恥を曝させてもらう。―――もう一度お手合わせ願おうか」


 一つ盛大に溜め息を吐くと、雷蔵は気を取り直して腰を落とした。偸刀鬼もばっと再び構えを取る。


「悪いが、もう手加減は出来そうにない」


 武威を発すると、先刻はどこ吹く風といった様子だった偸刀鬼がかすかにたじろぐのを感じた。

 手加減はしない。つまりは今度は刀を返すつもりはないということだ。倒す、ではなく、斬る覚悟を乗せた剣気だ。先の対峙の比ではない。

 刀を返さないということは握りを緩めないということだが、偸刀鬼と渾名されるほどの男の無刀取りである。達人相手にも、多勢に無勢の状況下でも相手の得物を奪い続けてきたと聞いている。ただ柄を固く握りしめておけば盗られないという程度のものではないだろう。

 しかしこの男にどれほどの技量があろうと関係ない。雷蔵にはもう、抜く手を見せるつもりはなかった。


「―――っ!」


 偸刀鬼が弾かれたように後方へ跳んだ。着地に失敗し、勢いのままごろごろと地面を転がっていく。


「……何と、躱したか」


 納刀しながら、感嘆の言葉が漏れた。


「なるほど、まさに無影剣。いや、それ以上ですか。影が見えないどころか、抜いたはずの刀身自体が見えませんでした」


 立ち上がりこちらへ向けて歩み寄りながら偸刀鬼は言う。


「分かったなら、去れ。俺の本気の抜刀術は、無手でどうこう出来るものではない」


 柄を返す必要がないということは、もはや抜く手を加減する必要もないということだ。自分が本気で刀を抜いた時、真実それは目にも止まらぬ技となる。


「ふむ。しかし俺がここで引いた場合、あの女の子はどうなります?」


 偸刀鬼がくいっと指差した先には、白衣の女に寄り添われた少女。十数歩の距離を置き、固唾を飲んで争闘の行き着く先を見守っている。


「聞くまでもあるまい」


 やり取りが聞こえたのか、少女の身体が小さく震えた。


「それじゃあ、下がるわけにはいきませんね」


「そうか。ならば容赦はせぬ。元より貴様相手にそんな余裕も無いしな」


 再び剣気をぶつけていく。偸刀鬼のたじろぎはさらに大きくなっている。

 本気の抜刀一度で、恐怖を植え付けた。あとは常の勝負と同じく武威で崩し、斬るだけだ。


「あ、あの、よろしいですか。話を聞いてください」


 場違いな、鈴を転がすような声が耳朶を打った。


「あ、あのぅ」


 黙殺し、武威を発し続ける。偸刀鬼の呼吸が喘ぐように乱れていく。


「あ、あのっ!」


「ちょっとお二人さん、聞いてあげなさい。こんな小さな子を無視するなんて」


「―――ふっ」


 雷蔵は苦笑して半歩退いた。

 これほどの男を斬るなら、それ相応の場というものがある。少女の哀願と美女の非難がましい言葉に曝されながらというのは、あまりに無粋であろう。

 緊張から解放され呼吸を落ち着けた偸刀鬼と二人、声の元へ顔を向ける。


「異国の御方、貴方の狙いは私一人、相違ございませんか?」


「ああ」


「そうですか。よかった」


 少女は恐怖に震えながらも安堵を覗かせた。


「ではそちらのご親切な御方、どうかお引き取りください。関わりのない貴方様の身を危険に曝すわけにはまいりません」


「お嬢さん、無駄よ。この男はいくら拒もうと手を引いちゃくれないわ。どんなに相手が拒絶しようが助けると言ったら助ける、本当に我儘な奴なのよ」


 偸刀鬼が答えるまでもなく、白衣の女が呆れ顔で言う。


「それは、……我儘というのでしょうか?」


「我儘でしょう。毎度毎度付き合わされる私の身にもなってみなさいよ」


「も、申し訳ありません、この度は私のせいで」


「別に良いわよ、貴方が悪いわけでもなし。―――というか、何をしているの、偸刀鬼。さっさと片付けてしまいなさいよ」


「いえ、そういうわけにはっ」


「ははっ、祭酒様にはかなわないな。―――心配するな、お嬢ちゃん。俺も君も、ついでにこの男も、これ以上誰一人傷付くことなくさくっと助けてやる」


 偸刀鬼に自信満々に言い放たれ、少女が口を噤んだ。


「それじゃ、やろうか、無影剣」


「おう、偸刀鬼」


 それで会話は打ち切られ、再びの対峙に入った。


―――この男、何か変わったか?


 いや、変わったのではなく元に戻ったというべきか。偸刀鬼は初めて対峙した時のように、雷蔵の武威を前に涼しい顔を浮かべている。


「……しかし、詮無きことだ」


 いくら本調子を取り戻したところで、斬る覚悟を決めた雷蔵の刀、不可視のものを奪う術などない。

 今度は深く踏み込んで、先の抜刀のように避けさせもしない。居ながらに勝ちをおさめられずとも、抜きさえすれば勝利は確約されていた。


―――今っ。


 偸刀鬼が動いた。その瞬間を逃さず、雷蔵は刀を抜き放った。



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