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無刀剣客多盗剣  作者: 菊池竹光
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第五回 九頭蟲、苛立つ

 ―――気に食わない男ね。


 二人分の荷物を抱えて先行する男の背を見ながら、白怜は思った。

 馮迅と名乗った男を連れ回すようになってすでに三日が経過している。予定通り萊山へと向かう道中、岱山派からの追跡を警戒して森を一つ抜ける進路を選んだ。人通りのない獣道を辿っているから、馮迅は先刻から通行の邪魔になる草や木の枝を鉈で払いながら進んでいく。


「玄紅道に出られれば、前に世話になった店が近くにあるんだけどなぁ。この辺りは北の麦も南の米も安く入ってくるから、食文化が多彩なんだ」


 鉈を使いながらも、馮迅は埒もない話を始終口にしている。

 聞きかじったばかりの知識を披露したくて堪らないとでもいった様相だ。よほどの世間知らずなのか、上機嫌で語る内容はそこらの子供でも当たり前に知っているような話ばかりであった。

 一応命の恩人といって良いのだろう。

 用心棒として同行させているが、謝礼を求められるわけでもなく―――ただし馮迅は無一文に近かったため、旅の費用は白怜が賄っているが―――、かといって特に恩着せがましくされるわけでもない。争いを見つけては仲裁して回るお節介が過ぎる男という評判だが、邪教の次期教主である白怜に正義感を振りかざして説教をするでも無い。


「どうした? 少し休憩するか」


 無言でいると、馮迅が振りかえって尋ねる。


「何でもないわ。こんな場所で休憩もないでしょう、早く進みましょう」


 馮迅は小さく肯くと、再び前を向いて黙々と鉈を使い始めた。

 早い話、この上なく都合の良い男ではあるのだ。白怜にはそれがまた余計に鼻につく。

 何より、馮迅と言うその名前が気に入らない。


―――あのおぞましい馮の姓に、あの子と同じ迅の名を連ねるだなんてっ。


 結局のところ、白怜の思考はそこへ行き着く。

 その上、あの馮一剣の直弟子を自称しているのだ。年齢から言っても、馮一剣の一番弟子莫進とのやり取りからしても、騙りなのだろうが。

 実際、鉈を振るう姿は不格好な力任せで、到底剣の達人とは思われない。とはいえ、花剣客莫進を退けたのは紛れもない事実なのだ。まったく奇妙な男だった。

 奇妙と言えばもう一つ、この男はどうやって“睡蓮”―――眠りに誘う香が立ち込めた宿屋から莫進達を運び出したのだろうか。いや、睡蓮ならまだ対処のしようもあろうが、その後だ。莫進らに追い詰められた白怜は、斬られるならばせめて道連れにと、即死性の香である“委蛇いい”を身に纏わせた。眠りの香よりも“重く”、澱む性質を持つ香で、周囲一面を覆い尽すというようなことはない。白怜に触れるような距離まで迫るか、あるいは香が濃密に籠った着衣を剣で斬り裂きでもしたなら、確実に毒に侵されることとなる。

 しかしこの男はあろうことか、白怜の襟元に手を突っ込み、まさぐりまわってくれたのだ。


 ―――まさか毒が効かない体質?


 いや、そんなはずはない。白怜の内錬毒が、なかでもとりわけ強力な委蛇が効かない相手など、同じく内錬毒を身に宿した母か、あるいは死んだ“あの子”だけだ。

 やはり問題は、白怜自身が抱える“欠陥”にあると考えるべきだろう。


「そう言えば、宿屋では何だって大師兄達を見逃したんだ?」


「―――っ、別にたいした理由なんてないわよ。言ったでしょう、子供とお爺ちゃんだったから、情けをかけただけだと。だいたい貴方、いざ私が手を下そうとしたら割って入るつもりだったのでしょう?」


「そりゃあまあ」


 馮迅は特にそれ以上は拘泥せず、別の話を始めた。

 時宜を得た問いに、一瞬心でも読めるのかとどきりとしたが、のべつ幕なしに喋り続け、たまたまその話題に至ったというだけのようだ。何とも口数の多い男なのだ。―――もしかすると、白怜を退屈させまいと気を使っているのかもしれない。

 やがて、いくらか開けた場所に出た。


「少し早いが、今日はここまでにしよう。近くに水場もあるようだし」


 耳を澄ますと、確かに水音がかすかに聞こえた。馮迅は荷物を降ろすと手早く焚火を熾し、革製の水筒から鍋に水を移して火に掛けた。


「少し辺りを見回りがてら、水を汲んでくる」


 言い残し、馮迅は空になった革袋だけを手に林の中へと分け入っていく。極上の軽功に加えて山暮らしで慣れてもいるのだろう、時に樹間を飛び伝うようにして鬱蒼と茂る森の中へと消えていった。


「……まるでましらね」


 半ば感心半ば呆れという心持ちで白怜は呟き、焚火の前に腰を下ろした。

 じっと見つめていると、鍋の中で水がぐらぐらと揺れ始める。視線をわずかに上げると、湯気越しに二人分の荷物と、―――そこへ立てかけられた馮迅唯一の自前の品が見えた。縦長の布の袋で、中身はたぶん長剣だ。

 腕の立つ護衛が欲しかったのも事実だが、それ以上にあの布袋が馮迅に同行を求めた理由だった。馮一剣の弟子などいう戯言を信じる気にはとてもなれないが、まかり間違ってそれが事実だとするなら、馮迅の荷こそが白怜が探し求める“あれ”の可能性がある。


「…………」


 立ち上がり、足音を忍ばせるようにゆっくりと歩み寄ると、布袋に手を伸ばした。持ち上げると、布越しに感じる質感、重さは間違いなく長剣のそれだ。

 今こそ覗き見る好機に思えるが、あまりにこれ見よがしに置いていったという気もする。あの男の軽功なら、森に入ったと見せて自分に気付かれず側近くに潜むなど容易いことだろう。


「ふんっ、この私としたことが何を恐れているのよ」


 馮迅は確かに稀にすら見られない達人だろうが、自分は太陰教の次期教主なのだ。恐怖は相手が自分に抱くものだ。

 白怜は無造作に布袋の口を開けると、中身を引き出した。


「―――っ」


 凝った装飾など一つもない、武骨な造りの長剣が姿を現した。


「……似ている」


 目立った特徴など何も無いが、かすかに見覚えがある気がした。元々“あれ”は宝剣の類ではなく、数打ちの量産品の中から生まれた天与の逸品だと伝わっている。

 慎重に鞘から抜き放つ。もし“あれ”なら、白怜といえども扱いには細心の注意が必要だ。


「……違う、か」


 済んだ鋼色の剣身に映り込んだ自分の顔と目が合った。

 そこらの兵士にでも支給されそうな簡素な拵えは確かによく似ているが、“あれ”の剣身は一切の光を吸い尽す深い黒色に染まっていた。

 白怜は落胆と安堵がない交ぜになった感情で、剣を鞘に納め、袋に入れ直す。


「もういいのか?」


「―――ええ。って、あなた、いつの間に戻ったのよ!?」


 振り返ると、馮迅が当たり前のような顔をしてそこに立っていた。


「祭酒様が剣に手を掛けた辺りで。いやに真剣な顔をしているものだから、声を掛け難くてね」


「……ふん。勝手に見て悪かったわねっ」


 白怜は開き直って言い捨てると、元通りに布袋を荷物に立てかけた。


「別に構わないよ」


 軽く言った馮迅の手には、一方に水を詰めた革袋が、もう一方に野兎がぶら下げられていた。兎はまだ生きていて、後ろ足をばたつかせている。


「……見回りに行っていたのではなかったの?」


「そうなんだけど、ちょうど良く見かけたから、夕飯にしようかと」


 言いながら馮迅はてきぱきと兎を処理していく。

 かこっと片手で頸椎を脱臼させて息の根を止めると、後ろ足をもって逆さ吊りにし、首周りに小刀を走らせる。血が勢い良く吹き出した。


「頸椎を外してもしばらくは心臓が動いているから、血流が止まらず血抜きが楽なんだ」


 知りたくもない情報にげんなりしながら見ていると、やがて流れ出る血が勢いを失った。馮迅は小刀で兎の腹をわずかに傷付けると、後は素手できれいに皮を剥がし、解体していく。実に手慣れた手捌きだった。後ろ足など大きな肉は串に刺して焚火の周りに突き立て、残りは野草と一緒に鍋の中へ入れた。

 そこまで済ませると馮迅は立ち上がって鉈で周囲の木々を払っていく。何を始めるのかと思えば、葉の茂った枝や蔦、木の幹などを利用して天幕のようなものを設えるつもりらしい。


「護衛を頼んだのであって、従者を雇ったつもりはないのだけれどね」


「ははっ、どうせ旅をするなら、快適な方が良いだろう。祭酒様、ちょっとそこを支えておいてくれるか」


「仕方ないわね。……それにしても、器用なものね。そういえば、昔、あの子とこうして―――」


 ―――隠れ家を作って遊んだ。言いさし、白怜は頭を振った。馮一剣の弟子を名乗る人間にする話ではない。

 天幕が形になると、焼いた兎肉とスープで早めの夕食を取った。


「どうだ?」


「ふん、まあまあね」


 不味ければ遠慮なくけちを付けてやるつもりでいたが、悪くない味だった。

 食事を終えるとすることもなく、ちょうど日が落ちたこともあって就寝とした。馮迅はもう少し話でもしたそうな様子だったが、これ以上付き合う気にはなれない。

 作り上げた天幕は白怜用で、馮迅自身は火の番と警護を兼ねて外で寝るという。時に不安になるほど世間知らずな男だが、さすがに男女の別というものは理解しているらしい。


「ご苦労様」


 それだけ言って、白怜は即席の天幕に入った。

 翌朝、香しい匂いに目が覚めた。のそのそと天幕から抜け出していくと、焚火の前に陣取った馮迅がこちらへ振り向いた。


「おはよう、祭酒様。粥ができてるぞ、食うだろう?」


 寝ぼけ眼で肯くと、すぐに椀が差し出された。

 起き抜けの胃に、軽く塩を振っただけの優しい味付けが有り難い。昨日と同じ野草と、森に入る前に買っておいた干し肉が入っていた。かなり長時間煮込んでいたようで、干し肉はほろほろと崩れ、口当たりも優しい。

 粥を一杯食べ終わると、ポカポカと身体が温まった。


「?」


 空の杯を突き返すと、代わりに水に濡れた手巾を手渡された。首を傾げていると、馮迅はちょいちょいと自分の頭を指差す。


「何よ?」


「いや、寝癖がすごいから、直した方が良いんじゃないかと」


「―――っ、そういうことはもっと早く言いなさいよねっ」


 怒鳴りつけると、白怜は急ぎ天幕の中に駆け戻った。


―――少しは男女の別というものを弁えているのかと思えばっ。


 いらいらとしながら、濡れた手巾で跳ね上がった前髪を何度も撫で付ける。なかなか手強い寝癖で、すぐには治りそうにない。その分だけいっそう、馮迅に対する苛立ちが募った。


―――いや、そもそも自分も何だって寝起きの無防備な姿をあの男に平気で曝しているのか。


 はたと、髪を直す手が止まった。

 わずか数日行動を共にしただけで、情でも湧いたとでもいうのか。まさか、そんなはずはない。騙りとはいえ、馮一剣の弟子を名乗る人間に気を許すなどあり得なかった。

 悶々としたままその日も森を進み、太陽が中天からわずかに西へ傾く頃に、再び街道へ出た。

 小さな道で、この国を南北に縦断する玄紅道の支道のさらに脇道のようだ。萊山は玄紅道へ合流して、かなり北へ進んだ先だ。五岳派の各派はその所在地からそれぞれに東岳、西岳、南岳、北岳、中岳とも異称されるが、岱山派は東岳、萊山派は北岳に当たる。


「そこのお二人さん、飯を食っていかねえか?」


 しばし行くと、飯屋の客引きに呼び止められた。気風が良いと言うよりも単に軽薄で柄の悪い男だ。しかし道沿いにぽつんと一つだけ立った店で、これを逃せば大きな道に合流するまで飯屋の類はありそうにない。


「…………」


 馮迅に視線を向けると、ご自由にという感じで小さく笑みを返された。


「寄らせてもらうわ」


 馮迅の手料理をこれ以上口にするのも癇に障る。飯屋で遅めの昼食ということにした。


「へへっ。じゃあ、付いてきな」


 客引きの案内で、店内へ入った。


「こちらへ―――」


 言って、客引きの男は店の奥へと白怜らを誘導する。人通りの少ない道だ。席はほとんど空いている。白怜は案内を無視して、入り口近くの席に腰を下ろした。


「―――おう、美人の姉ちゃんっ、こっちに来て酒に付き合わないかっ?」


 すぐに、唯一の先客が胴間声をあげた。派手な身なりをした七、八人の大所帯で、一番奥の一角を占拠するように酒盛りなどしている。

 朝方から飲んでいるのだろう、卓上には空になった皿や酒器がいくつも折り重なっていた。堅気の人間とも思えず、盗賊か何かが一仕事を終えて宴でも開いているといった様相だ。


「ふんっ、この私を誘うだなんて、貴方達、自分の顔を見たことがないの?」


「―――てめえっ」


 男達がいきり立つ。


「この私と同席したいなら、その出来の悪い面の皮を剥いでもう少しましなものをかぶり直して、―――むぐっ」


 さらに言い募ろうとする口を、馮迅の手にふさがれた。


「祭酒様、それは言い過ぎだ。―――あんたら、連れがすまなかったな。この通り気難しい女なんで、同席してもそちらが不快な思いをするだけだ。悪いが他を当たってくれ」


 馮迅は立ち上がり、ぺこりと気さくに頭を下げる。あの花剣客莫進を退けた凄腕の武芸者とも思えない腰の軽さだ。


「ふざけんな! てめえの安い頭下げられたくらいで、こっちの気が済むかよっ。まずはその女に土下座させな。話はそれからだ」


 男達の中でも一際体が大きな男が、卓の下に手を突っ込み大刀を取り上げながら言った。


「うーん、さすがにそれは。俺の頭で勘弁してくれないか?」


「分からねえ野郎だ。こっちは力づくだって構わねえんだぜ」


「―――ぷはっ、何言ってるのよ、初めから身ぐるみを剥ぐつもりのくせに」


 ようやく馮迅の手から口を開放して、言い返す。


「へっ、そうなのか?」


 反応したのは、男達ではなく馮迅の方だった。男達の方はにやにやといやらしい笑みを浮かべるのみだ。


「まったく鈍いんだから。客を連れ込んでの追い剥ぎ。羽振りが良さそうだし、それだけじゃなく押し込み強盗の類もやっていそうね」


「へっ、何を証拠にそんな舐めた口をききやがる。これはいよいよ謝罪してもらわねえとな、へっへっへっ」


 大男以外の男達も、次々に卓の下から槍やら柳葉刀やら取り出していく。


「証拠ね。……どう見てもそこの客引きとぐるじゃない、あんたら」


 白怜はすっと背後を指差した。客引きの男が諍いを制止するでもなくにやけ顔を浮かべ、出入り口の戸の前に陣取っていた。柳葉刀を手にしていて、それが白怜らの逃走を阻むためなのは明白だ。


「あっ、ほんとだ」


 またも素っ頓狂な声を上げたのは馮迅だった。


「……はぁ。卓の下に得物を隠している時点でおかしいと思いなさいよね」


「武器をひけらかして他の客を威圧しないための、優しい気遣いか何かと思いまして」


「馬っ鹿じゃないの」


「ははぁ、どうにも世間知らずでお恥ずかしい」


 馮迅が頬を紅潮させながら頭を掻く。とぼけている、などということではなく、本気で照れているようだ。


「さあ、貴方の出番よ、偸刀鬼」


「偸刀鬼? 偸刀鬼ってえと、あの?」


 白怜の呼び掛けに、今度は男達の方が反応した。


 ―――まあ、ちょうど良い機会ね。


 この男の腕を改めて試す良い機会だった。莫進を降したことでその技量に疑いの余地はないが、体術の達者ではない白怜にはあまりに雲上の立ち合いと言って良く、馮迅の腕前を正確に読み取ることは出来ていない。


「だから、その渾名は嫌いだと言っているのに」


 ぼやきながら、馮迅はまずは背後を取った客引きの男の方へすっと歩み寄り、すっと離れた。


「……? なっ、何をしやがった? 俺の刀をどこに隠しやがった」


 得物を失った客引きは、きょろきょろと辺りを見回している。困惑の表情を浮かべているのは、他の者も同様だ。白怜も含め馮迅以外の店内の全員が、その瞬間に何が起こったのか見定めることが出来なかった。

 当然盗ったのだろうが、莫進から剣を奪った時とは違い馮迅の手に柳葉刀は握られていない。


「さて、残りは、……八人か」


 馮迅は振り返り、卓の間をすり抜けて店の奥へと足を踏み入れた。


「て、てめえが最近噂の偸刀鬼って野郎かっ」


「不本意な渾名なんだけどなぁ」


 男達が四方を取り囲む。馮迅は黙ってそれを待ちながら答える。


「あ、兄貴、どうします?」


 最初に大刀を取った大男に、他の者が尋ねる。賊の頭目ということだろう。


「いいか、お前ら、俺の合図で一斉に掛かれっ。偸刀鬼だかなんだか知らねえが、八つの得物を同時に奪ったりできるもんかよ」


 大男は単に体格の良さから頭目に付いたというわけではなく、それなりに頭の方も働くようだ。


「いくぜっ、せーのっ!」


 大刀に槍、柳葉刀等、雑多な得物が同時に馮迅目掛けて斬り下ろされ、あるいは突き込まれ、―――そして消失した。


「な、なんだぁ、こりゃあ?」


 大男が無手となった両の掌に視線を落とし、間抜けな声を漏らす。

 傍から見ていた白怜は、今度は漠とながらもその瞬間を捉えることが出来た。

 八つの得物の内、自ら合図をした大男の大刀だけがほんのわずかに早く馮迅の身に迫った。次の瞬間、大刀はぐいと馮迅の元へ引き寄せられ、その周囲を旋回し、他の七つの得物を残らずその刃で巻き取っていた。大男自身が馮迅を庇ったようにしか見えなかったが、莫進の剣を逸らしたというのと同じく、刀身に剣指を添えて馮迅が誘導したということなのだろう。

 そして八つ一まとめになった賊の得物は最後に―――


「…………」


 視線を上げると、店の天井から点々と刀の柄が生えているのが見えた。目を転じると、客引きの男の頭上にも同じように一本の柄が生えている。刀以外の槍や大刀などは、穂先のみならず柄の半ばまでが天井に埋まっていた。単に筋力では説明が付かず、雄渾な内勁―――氣―――を込めて打ち上げられた証だった。


「お、おい、あれ」


 白怜の視線に気付いたのか、男達も天井を見上げ始める。

 跳び上がり取り戻そうとする者もいるが、深々と突き刺さった得物は簡単に抜け落ちはしないようだ。

 呆然としている男達の間をぬって、馮迅が白怜の隣に戻る。


「これに懲りたら、今後は悪事に手を染めず、真面目に働くことだ」


 馮迅はまず客引きの男を一瞥し、他の八人も順繰りに睨みつけるようにして言った。


「それじゃあ、行きましょう、祭酒様」


「はぁ? 貴方、まさかこれで済ませるつもり?」


「やっぱり役人に届け出た方が良いかな? でもそうすると、こいつらたぶん死刑じゃないのか。流刑ですむのかなぁ?」


 役人の降す五刑の内、一番重いのが死刑、次いで流刑、徒刑(労役)、杖刑(杖打ち)、笞刑(鞭打ち)と続く。この男達は追い剥ぎの常習で、恐らく少なくない人数を殺害してもいるだろう。確かに流刑で済むとは思えないが―――。


「―――そういう話ではないわよ。この私を、太陰教の次期教主である私を害そうとしたのよ。この程度で済ませられるわけがないでしょう」


「ひっ、た、太陰教って、邪教のっ!? ひいっ! こ、この女、九頭蟲だっ!」


「その渾名は嫌いよ」


 悲鳴を上げて尻もちをついた客引きの男へ向けて、袖を振るう。男はびくりと身体を硬直させて、そのままの格好で動かなくなった。白銀細針。邪教に伝わる暗器である。ほとんど目視不能な細さの毒針を同時に無数に投げ打つ。


「白怜殿っ!」


 馮迅が詰め寄ってきた。


「ふふっ、さすがの貴方でも防ぎ切れなかったわね」


 白怜が袖を振るった瞬間、馮迅の手が目まぐるしく動いた。中空で白銀細針を払い落とそうとしたのだろう。しかし無数に放たれた不可視の細針を、それも不意打ちとあっては、いくらこの男と言えど素手ですべてを払い除けられるはずもない。先日は莫進に斬り払われたが、至上の剣技と江湖での長い経験があって初めて可能なことだ。


「…………」


「なあに、怖い顔しちゃって」


「…………」


「…………ふんっ、ただの痺れ薬しか仕込んでいないわよ」


「そうか、良かった」


 視線に負けて正直に明かすと、馮迅はほっと表情を和らげた。馬鹿馬鹿しいことに、こんな外道の命を本気で案じているようだ。


「さて、残りの連中はどうしてやりましょうか? 先刻言った通り、面の皮でも剥いでやりましょうか? それとも新しい毒薬の実験台にでもなってもらいましょうか?」


 視線を転じると、男達はそれだけで後退った。

 九頭蟲の異名は、さすがに偸刀鬼などよりもよほど通りが良く、畏怖されている。白怜はちょっと気を良くしながら男達へと歩み寄った。さらに男達は後退る。


「くっ、くそっ! お、おいっ、お前ら、や、やるぞっ!」


「あ、兄貴?」


「分からねえのか!? 相手があの九頭蟲とあっちゃ、命乞いなんざ通じるはずもねえ。生き残りたきゃ、やるしかねえんだっ」


「お、おおっ、そうだっ。兄貴の言う通りだっ、みんなやるぞっ!」


「おおっ!」


「……あ、あら?」


 泣きを入れるかと思えば、意外や男達は喚声を上げ、卓の下に手を突っ込んだ。再びその手に柳葉刀や槍が握られる。賊の隠れ家なのだから、当然得物はいくつあってもおかしくはない。


「おおうっ!!」


「―――ちっ」


 男達が一斉に斬りかかってきた。

 身を躱しながら睡蓮を練り発散するが、興奮状態の男達を眠りに落とすだけの濃度にはすぐには達しない。白銀細針も数日前に莫進に払われたのと、先程客引きの男に浴びせたので、手持ちはわずかとなっている。

 王藍華と立ち会った際には、宿屋内の卓を上手く利用して彼女の剣を遠ざけた。しかし多勢に無勢で襲われる状況では、却って逃げ場が限定されるばかりだ。すぐに卓と壁の間へ追い込まれた。男達がどっと押し寄せてくる。

 とりあえず先頭の一人だけでもまずは白銀細針で仕留めようとしたところで―――


「―――失礼」


 耳元で声がした。ふわりと浮遊感があり、次の瞬間には横抱きに身体を抱えられていた。言うまでもなく馮迅だ。

 馮迅は人ひとりを抱えたまま卓上に跳び上がるとさらに跳躍、正面の男の肩を蹴って天井すれすれを“跳んで”、というよりもほとんど“飛んで”、八人の男たち全員の頭上を超え、背後に降り立つ。


「祭酒様は、手出し無用で頼む。人死にが出るような毒を使われてはたまらんし、内功が未熟な相手には痺れ薬だって危ない」


「ふんっ、ここは譲ってあげるわ」


 馮迅は白怜の身体を下ろすと、前に出た。


「ちっ、偸刀鬼か。おめえら、武器を全部出せっ!」


 頭目の男の命令で、卓の下から次々に武器が運び出された。よくもまあこれだけ隠し置いたと感心したくなるほどで、長兵―――槍や大刀など大型の武器―――だけでも十数本、短兵―――刀剣などの短い武器―――はそれ以上が卓上や床に並べられた。


「へへっ、これだけありゃあ全部ぶん捕るってわけにも行かねえだろう」


 頭目の男は大刀に加えて帯に長剣と刀を一本ずつ差し挟みながら言う。率直に言って隙だらけであるが、馮迅は男達の用意が整うのを悠長に見守っていた。


「よしっ、いくぞ、おめえらっ! 今度は簡単に取られねえように、しっかり得物を握っておけよっ!」


「おおっ!」


 男達が一斉に馮迅に襲い掛かり、―――次々に得物を失っていった。一度奪った武器を再び手にされないためだろうか、馮迅は先刻と同じく奪い取った得物を残らず天井に埋め込んでいく。大量にあった武器が底を尽きるのもすぐだった。


「く、くそっ」


 頭目が最後に残された長剣で突き込むも、あっさりと盗られて鼻先に剣先を突き付けられた。


「ふうっ、これで全部だな。大人しく降参しろ」


 さすがに疲れたのか、声を震わせながら馮迅が言う。


「うっ、うおおおおっ」


「―――っ」


 頭目の男が破れかぶれの様相で突っ込むと、馮迅は慌てた様子で剣を引いて投げ捨てる。

 頭目はぶんぶんと力任せに拳を振り回し始め、他の連中も一緒になって馮迅に殴りかかっていった。当然馮迅はそれを容易く避けながらも、自分からは一切攻撃を返しはしない。どたばたと暴れ回る男達の中心で、舞でも踊るように身を躱し続ける。


「ちょっと、何をしているのっ!? 早くやっちゃいなさいよ! というか、せっかく奪ったんだから剣を使いなさいよっ、剣をっ。馮一剣の直弟子を名乗っておいて、何をしているのよ!?」


 白怜は馮迅の投げ捨てた剣を拾い上げながら叫ぶ。


「馮一剣だとっ!?」


 白怜の言葉に、男達がざわめき攻撃の手を止めた。この男達のような悪党にとっては、太陰教の悪名以上に馮一剣の令名こそが恐怖の対象だろう。


「……ふむ。まあ、隠すようなことでもないか」


 馮迅は真面目な顔で白怜を見やり言った。


「師父は晩年、一身これ剣なり、の境地に達せられた。そしてお亡くなりになるまでの数年は無剣無刀を通され、徒手空拳での奪剣術を磨かれた」


「だから何だってのよ」


「だから俺も、無手で相手の得物を奪う技しか教わってないんだな、これが」


「はあっ、嘘でしょうっ!? じょ、冗談よねっ!?」


「こんな状況で冗談なんて言わんさ」


「じゃ、じゃあ、相手の武器を奪った後は、どうするのよっ!」


「師父なら、剣を手にした時点で無敵なんだがなぁ。俺の場合はその先どうするか、俺も師父もついぞ考えたことが無かったなぁ」


「こ、このっ、馬鹿師弟っ!!」


「はっはっはっ、困った困った」


「何を呑気に。そうだ、貴方、偸刀鬼なんて二つ名を付けられるくらい暴れ回ってきたのでしょう? これまではどうしてきたのよっ」


「武林の達人たちは得物を奪った時点で負けを認めてくれたし、そうじゃない連中も大抵は怖気づいて退いてくれたんだけどなぁ。祭酒様が無駄に怖がらせるもんだから」


「何よ、私のせいだっての?」


「それは、どっからどう見てもそうだろう」


 これ以上この変人と会話していても埒が明きそうにない。

 白怜はつかつかと男達の間をぬって馮迅に歩み寄ると、長剣を押し付けた。


「剣術は素人と言っても貴方の身ごなしなら、この程度の奴らには負ける方が難しいくらいよ。さあっ、剣を取り戦いなさいっ」


「うーん。……やっぱり気乗りしないなぁ」


 しばし思い悩んだ後、馮迅が剣を放りだした。


「ちょっと、何やってるのよ」


 拾い上げ、もう一度剣を取らせようと試みるも、馮迅はぎゅっと拳を握り込んで頑なにそれを拒む。


「貴方ねっ、―――っ」


 睨みつけた馮迅の顔面は蒼白だった。


「ど、どうしたのよ?」


「いやぁ、実は俺、剣が少々苦手で」


「苦手? 苦手って何よ?」


「剣、もっと言えば刃物全般がどうにも怖くてね。ああ、柴刈りの鉈や調理目的の包丁や小刀なんかは大丈夫なんだけどさ」


「はあ、何よそれ?」


 先刻まで剣戟の真っ只中にいた男の意味不明な言動に戸惑いながらも、白怜は莫進に剣を捧げていた過日の馮迅の姿を思い起こした。あの時も青い顔で身体を震わせていた。お道化て見せていたのではなく、あれも本気だったのか。


「―――くそっ、何をべちゃくちゃとしゃべっていやがる。おい、さっさとやっちまうぞっ!!」


 頭目の大男が吹っ切れたように叫ぶ。


「し、しかし」


「こんな餓鬼が、馮一剣の弟子のはずがないだろうっ。馮一剣は十年以上も前に江湖から身を退いてやがるんだからなっ!」


 なおも躊躇していた男達は親玉の言葉に頷き合うと、拳を飛ばし、あるいは足を蹴り上げた。いくつかの拳脚は、馮迅ではなく白怜を標的としている。

 咄嗟のことに思わず身を竦ませるも、―――直後、白怜に狙いを定めていた三人のうち一人が悲鳴を上げて倒れ、二人は呆けた様子でうずくまった。


「このやろうっ、何をっ―――」


 皆まで言わせず、馮迅が残る五人の男達の元へと踏み込んでいく。即座に突きや蹴りが見舞われるが、その度男達は倒れるかうずくまり、ついにはまともに立っているのは馮迅一人きりとなった。


「いやぁ、何とかなるもんだ」


「……何をしたの?」


「得物の代わりに、拳と脚を奪ってみた。手首や肘の脱臼と、……脚の方は折れてしまったか? さすがにやり過ぎたなぁ」


「何を言ってるの、殺すつもりで襲ってきた連中なんだから、それぐらいの怪我当り前でしょう。というか、そんなことが出来るならさっさとやりなさいよ」


 本当に申し訳なさそうに眉を顰める姿に苛立ちながら言い返すも、馮迅は聞いてはいない様子で男達の傷の具合を見始めた。


「……はぁ」


 怒りを通り越してすでに呆れるしかない。白怜は男達の介抱をする馮迅を黙って見守った。当然、手伝う気は起きない。


「―――さてと、結局のところ、こいつらはどうしたものかな?」


 一刻(30分)後、思案顔で腕を組み馮迅が呟く。

 足元には傷の手当てを施された男達が悄然と並んでいる。白銀細針を受けた者は解毒薬を飲んでなお力なくしゃがみ込み、腕を外され接がれた者は正座をし、脚を折られ添え木された者は横になった姿勢だが、一様に神妙な顔付きではある。


「鉄刀門の連中みたいにしばらく俺が監視するのが一番だけど、こちらも旅の途中でそういうわけにもいかないし。悪事から足を洗うと誓紙でも書かせようか。いや、それぐらいでは信用ならんか」


「……はぁ、これを呑ませなさい」


 白怜は何度目になるか分からない溜息をこぼすと、うんうんと首をひねる馮迅に黒い丸薬を九つ渡した。


「これは?」


「…………悪心丹。悪しき心を喰らう蟲の卵を固めたものよ。この蟲は胃の腑で孵化し、そこに巣くう。そして宿主が悪事を為そうと考える度、成長し肉を蝕む」


「そ、そんな蟲がっ!?」


 声をあげたのは頭目の男だった。なるべく酷薄に見えるような笑みを浮かべ、残りの解説は男達の方を向いてする。


「本来裏切り者の処刑に用いるものよ。大抵の者は悪事から足を洗うことが出来ず、身体を内側から食い散らかされ、激痛にのたうちながら命を失うわ。ふふっ、蟲に蝕まれて息絶えた死体というのは面白いのよ。体の中ががらんどうになるものだから、時が経つと自然と萎んで、まるで馬車に引かれた蛙か何かのようにぺしゃんこになってね。そこから蟲がわさわさと這い出して来るのよ。―――うふふっ、貴方達はどうかしらね?」


「ひいっ。ゆ、許してくれっ、そんなものを飲まされたらっ」


 男達はすくみ上るも、彼我の実力差はさすがに身に染みている。馮迅に一つずつ手渡され、睨みを利かされると、拒むことも出来ず顔を歪めながら嚥下していく。


「よし。―――俺たちはもう行くが、足が折れたやつの面倒も他の人間がちゃんと見てやってくれよ。自分で折っておいて悪いが、仲間を見捨てるのも、―――悪事ってことになるよな?」


「ええ、まあそうなるでしょうね」


 馮迅の去り際の言葉に首肯しながら、連れだって飯屋―――とは名ばかりの盗賊の棲家を出る。


「……助かった。よくもあんな嘘が急に出て来たな」


 再び北へ向けて少し歩いたところで馮迅が言った。


「ふん、やっぱり気付いていたのね」


 このお人好しが平然とした顔で男達に呑ませるわけだった。

 悪心丹などという毒薬は存在せず、あれは毒薬どころか太陰教で用いる解毒剤の一つである。


「しっかし名案だなぁ。次に悪党に出くわすことがあったら、また頼むよ」


「嫌よ。何だって貴方の正義の味方ごっこに付き合わないといけないのよ。太陰教の次期教主なのよ、私は」


「ふふっ」


 こちらの言葉が聞こえていないのか、馮迅は愉快そうに笑った。



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