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無刀剣客多盗剣  作者: 菊池竹光
2/9

第一回 店主、大いに語る

「これは、莫先生。本日はご宿泊で? おや、お連れ様がご一緒とはお珍しい」


 莫進に続いて足を踏み入れると、店主が愛想の良い声で出迎えてくれた。


「いや、先を急いでおる。飯を三人前と、儂には酒も頼む」


 店内にざっと目を走らせると、莫進は空いている卓に腰を下ろした。王達も妹の王藍華と並んで、莫進の向かいの席に腰を落ち着けた。

 昼食というには少々遅く夕餉というには随分と早い時間だが、店内には四、五組の客の姿があった。すでに酔いつぶれている客もいて、男女二人連れの女の方が、机に突っ伏した男を介抱している。こちらへは背を向けていて女の顔を見えないが、白魚のように美しい手が男の肩をゆすっていた。


「さすが師伯。岱山からはもうずいぶん離れたのに、お顔が広い。普段から江湖を遊び回っている賜物かしら?」


「こら、藍華っ」


「もうっ、兄さんはお固いんだから。師伯はこれくらいの軽口で腹を立てたりはしないわよ。ねえ、師伯?」


「ははっ、そうじゃのう。王達よ、あまり堅苦しい事を言わんでよい。御山の外に出てまで弟子共にかしずかれては、気が休まらんわ」


「はっ、失礼いたしました」


 王達は莫進に抱拳して頭を下げた。師伯―――師父の兄弟子―――、でなくとも尊敬する武の先達である莫進の言葉だ。

 自他共に認める堅物の王達には似ず、妹の藍華は良く言えば天真爛漫、悪く言えば勝手気儘だった。容姿も背ばかりは高いが他は十人並みの平凡な王達とは違い、好奇心にくるくると揺れ動く大きな瞳には華がある。目から鼻に抜ける様な聡明さと相まって、師父や師伯からは実の娘のように可愛がられていた。


「それが固いというのだがなぁ。……まあよい。藍華、江湖の噂話を聞きたがっておっただろう? ここの店主に聞くと良い。儂よりもよほど事情通だからな」


「あら、そうなの?」


「この辺りに大きな宿はここだけだからのう。近辺を回る鏢局ひょうきょくは、大抵ここに宿を取る。すると自然に、江湖の情報も集まるというわけだ」


「有り難い事に、皆さまには御贔屓頂いております」


 ちょうど店主が、酒を持って現れた。


「店主よ、何か面白い話でも無いか? 儂もここ半年ばかり御山に籠っておってのう。毎日小僧っ子らに江湖の話をせがまれ、さすがに話の種も尽きてきたところよ」


「そうですね。この半年の話題と言いますと、“大道の三怪”の噂はすでにお聞きおよびでしょうか?」


「三怪? 聞かん名じゃのう。大道で三人組の悪党でも暴れておるのか?」


 大道とはこの国の中心部を南北に走る玄紅道と、東西に走る白翠道、両道を合わせた俗称である。元々は百年も前の内乱の折に軍の進軍路として整備された道だが、今ではこの国最大の交易路だった。この宿も白翠道から枝分かれした支道沿いにある。


「いえ、三人組と言うわけではなく、ちょうど同時期、同じく大道沿いで名を上げた三名を合わせて三怪と呼び習わしているのです」


「ほほう。面白そうじゃな。“怪”と言うからには、悪漢の類か?」


「善悪定かならず、といったところでしょうか。それではまず一人目の御紹介をば―――」


 店主がそこで一度咳払いをして喉の調子を整える。


「まずは素性の確かなところから、―――魔拳、劉雲心」


 店主はやはり一端言葉を切り、王達ら三名の顔を順繰りに見やると、十分に気を持たせてから話を再開した。莫進が情報通というだけあって、こうして江湖の噂話を語って聞かせることも多いのだろう。如何にも芝居がかった仕草である。


「この男は、魔拳の呼び名通りに拳法掌法の使い手。達人と言っても良いのでしょう。引き起こした事件は、三怪の中でも極め付きの大騒動。なんと白昼堂々、大邦の軍営に乗り込み大暴れをしたのです」


 玄紅道と白翠道、二本の大道が交わる地点にある城邑が大邦である。この国の副都であり、最大の商業都市にして官軍最大の駐屯地でもある。王も一年の大半を都の瑞京ではなく大邦の離宮で過ごすという。


「ほほう、それは剛毅な」


「百人余りの兵を打ち倒した上、最後には将軍の一人も殴り飛ばしたとか」


「ははっ、それは痛快な事よっ」


 莫進が愉快そうに笑う。

 総じて、江湖の武人と官軍というのは不仲なものだ。江湖の人間が国に対する忠節に欠けるという訳ではない。むしろ、莫進のような侠客には忠心溢るる者が多い。この国の難事に侠が立ち上がった等と言う逸話は枚挙に暇がなかった。しかし官軍に関しては、己が腕っ節を国に売り渡したという、傍から見ると理不尽な理由で敵対視する者が多かった。特に年齢が高い者ほどその傾向が強く、気の短いところもあるが豪放磊落で人の良い莫進も例外ではない。


「しかし、それほどの大事となれば、さすがに我々の耳にも届きそうなものですが」


 王達は軽く口を挟んだ。


「事態を恥じた軍の者らが、箝口令を布いたという話ですよ。ですが好漢の皆さまにそんなものが通じるはずもなく。江湖では盛んに取りざたされております」


「なるほどのう」


 御山―――名門正派で通る岱山派の本領は、江湖を流れ歩く侠客達にとっては気軽に立ち寄れる場所でもない。怪しげな噂話を持ちこんでくれるような客人はいなかった。


「素性が確かと言うのは?」


「これが何と、紫雲鏢局の跡取り息子だと言うのです」


「何とっ。それは大層な家柄ではないか。しかしそうなると、軍営を襲ったというのも何か裏事情を邪推してしまうのう」


「そうですね。江湖でも色々と噂は出ているようですが、確たるところは」


「―――待って待って、分からない。紫雲鏢局って何?」


 莫進と店主の会話を藍華が遮る。王達も、話に付いていけなくなっていたところだ。


「おお、これはすまんな。ふむ。鏢局は当然知っておろうな?」


「うん。腕の立つ運送屋さんでしょ」


「……まあ、大筋では間違っておらんな。昔は商隊が盗賊から身を守るために雇っていた用心棒であったが、今では荷を預かって運送自体を引き受ける武装交易集団を指す言葉となった」


「それで紫雲鏢局って言うのは? おっきな運送屋さん?」


「ふむ、大きいと言えば大きかろうな。この国にある鏢局の中で、二番目が三番目の規模ではなかったかな、店主?」


「そうですね。確か五百人ほども腕の立つ武芸者を抱えていたかと」


「ふ~ん。それじゃあ、その魔拳さんはお金持ちのお坊ちゃんってわけだ」


「まあ、それだけなら大した話ではない。紫雲鏢局の頭目の家はな、王家の血を引いておるのだ」


「王家の?」


「うむ。先代の当主、魔拳とやらにとっては祖父に当たる男が、当時の帝の落とし胤という噂のある人物でな」


「へえっ、それじゃあ、その魔拳さんも王族なんだ」


「まあ、あくまで噂話ではあるがの」


 莫進が肩を竦めて話をまとめた。


「―――それでは、続きまして二人目をご紹介しましょうか?」


 店主が話を切り換える。莫進が無言で頷き返した。


「三怪の二人目に控えますは、異国から来た隻眼隻腕子連れの剣術家、人呼んで無影剣」


 店主はやはり芝居がかった調子で言った。


「隻眼隻腕、その上に子連れとな? またずいぶんな色物が現れたの。それに無影剣、―――影も見せ無い剣とは、大きく出たものではないか」


「ははっ、花剣客かけんきゃく莫進先生には、そこが気に掛かりますか。本人ではなく、お相手をされた方々が言っていることなのですがね。剣を抜いたことにも気付かぬうちに、倒されていたそうなのです。いまだその刀身を拝んだ者すらいないとか。それも玄武鏢局の頭目を初め、なかなか名を知れた方々もやられておいでです」


「ほほう。玄武鏢局の頭目と言えば、九節鞭を使わせたら当世並ぶ者無しと言われる程真殿ではないか。儂も何度か会ったことがあるが、なかなかの手練れじゃぞ。死におったのか?」


「それが、よほどのなまくらでも使っているのか、お相手をされた方は皆ご存命です。痣が出来たり、骨を折られたりはしているそうなのですが」


「ほう」


 莫進が興味深げに目を細めた。

 江湖に知らぬ者もない莫進の“花剣客”の異名は、その花開くような鮮やかな剣術と、弾けるような喧“嘩”っ早さから付けられたものだ。年を経て丸くなったとは本人の談であるが、好戦的な性格は依然健在だった。ここまでの道中も、疑わしきはとりあえず斬って掛かるというやり口に、何度制止に入ったことか分からない。


「他にも白面次郎こと楊秀文様、小神剣こと李烈火様などもやられたと言う話です」


「ふむ、皆が皆、侠気に厚い一角の者達ばかりだの」


 店主はさらに何人か名を上げた。江湖の好漢達に詳しくない王達でも、聞いた名がいくつかあった。


「ところで異人さんということは、金色の髪に青い目をしているの?」


 藍華が身を乗り出す。


「いえ、西域人ではないという話です。言葉は少々不自由だそうですが、見た目には我らと然したる違いもないとか。もちろん、隻眼隻腕ということを除けば、ですが」


「なーんだ、詰まらないっ」


 ぼすんっと、勢いよく藍華が椅子に座り直す。

 行儀の悪い仕草に王達は眉をしかめるも、先刻の莫進の言葉を思い出し、叱り付けずに耐えた。


「いずれにせよ、容貌と言い、出自と言い、所業と言い、怪の異名に相応しい男のようじゃな」


「そうですね、三怪の中でも最も悪名高い人物と言えましょう。しかし、怪の名に相応しいとなると、やはり最後の一人こそが一番でしょうか。最近、ここらで特に噂の人物ですので、すでにお耳に入っているかもしれませんが」


 そこで、答えを待つように店主が口を閉ざす。


「もしかして偸刀鬼ちゅうとうきっ?」


「―――お待たせいたしました」


 藍華が答えを叫ぶのと、給仕の若者が厨房から料理を運んで来るのが同時だった。

 若者は一瞬何事かと驚いた様子で動きを止めるも、すぐに仕事を再開し卓上に料理の盛られた皿を並べていく。

 店主は一つ頷くと、藍華の言葉を引き取り話を再開する。


「正解です。偸刀鬼。三怪の中でもっとも怪しげな男と言えましょう。正体不明、目的も不明、ただただ江湖をにぎわす厄介者というのが、今のところの評価でしょうか」


「岱山からここまで来る道すがらに、ずいぶんと噂を聞いたわ。争闘の場に現れては、善悪問わず得物を奪い盗っちゃうんでしょう?」


「ええ。それで付いた渾名が偸盗ならぬ偸刀鬼。つい先日も鏢局と盗賊の間に割って入り、五十人余りから武器を奪い盗ったそうです」


「五十人っ」


 藍華が痛快事とばかりにぽんと手を打った。

 岱山から降りてすぐに耳にした偸刀鬼の噂話を藍華はずいぶんと気に入った様子だった。店主と話を弾ませ始める。

 王達は聞くとはなしに聞きながら、一礼して踵を返した給仕の若い男―――といっても王達と変わらぬ年頃か―――を注視した。卓の向かいでは、莫進も同じようにしている。身ごなしに気に掛かるものがあった。若者はこちらの視線に気付かず、あるいは気付かぬ素振りで、厨房へと姿を消した。


「噂の出所から推察しますに、どうも玄紅道を南下して大邦に至り、白翠道を東に折れてこちらへと向かって来ているようなのですよ。そろそろここらに現れるのではないかと、噂で持ちきりとなっております」


「へえっ、会ってみたーい!」


「ははっ、同じように考える方々も多いらしく、実は最近この辺りは江湖の皆様の訪問が多いのです。お陰さまで儲からせて頂いておりますよ。―――さてと、大道の三怪の話は、こんなところでしょうか」


 若者へ向けていた意識を戻すと、ちょうど店主が抜け目ない笑みで話をまとめたところだった。


「いや、なかなか楽しませてもらった、礼を言うぞ、店主。―――ところで、先ほど料理を運んで来た若者は? この店はお主と細君の二人で切り盛りしているものと思っていたが」


 莫進が何気ない口調で切り出した。


「ああ、あいつですか。十日程前に、雇ってくれと言ってきまして。申しました通り、お客様が増えて手も足りなくなっておりましたので、しばらく置いてやることにしました。なかなかの働き者で、こうして私がお客様のお相手をしている間に皿洗いや給仕をしてくれますし、料理の下ごしらえなどやらせても手際が良いですし、重宝しています」


「そうか。この十日、休みなく働いておるのか?」


「ええ。住むところもないという話ですので、宿屋の空き部屋に泊めてやっていますが、朝から晩まで、ほとんど休憩も取らずに働いてくれています」


「……おっと、酒が終わったな。もう一つもらおうか」


「はい。―――おーい、酒を持ってきてくれ」


 店主が厨房へ向かって叫ぶと、しばしして件の若者が盆に酒を乗せて現れた。

 十日前から宿屋で過ごしているというのなら、王達らが追う目的の人物とは考えにくい。しかしどこか気に掛かる。

 莫進が卓の下で剣把に手を当てるのが分かった。歩み寄ってくる若者に、殺気にも似た剣気を当てている。元来鈍い質の王達の肌をちりちりと刺激するほどに、強い気だ。藍華は何事か分からないままに、落ち着きなく左右に視線を彷徨わせている。


「お待たせいたしました」


「―――っ」


 若者は莫進の剣の間合いに平然と踏み込み、その眼前に酒瓶を一つ置いた。


「若いの。見ない顔だが、どこから来た?」


「私、ですか?」


 若者が自分の顔を指差す。莫進は無言で頷き返した。


「……天問山という山を御存知でしょうか?」


「天問山? 聞かぬ名じゃの」


「でしょうね。北の方にある小さな岩山です。私はその山中で育ち、最近山を降りてきた田舎者でございます」


「へえ、山育ちなんだっ。私達とおんなじ」


 藍華が上機嫌に返した。この妹は、山育ちで都を知らない自分を少々卑下しているところがある。


「小さな岩山、か。その割にお主はなかなかの者ではないか」


「なかなかの者、ですか? 私など、ただの臨時雇いの給仕ですが。もちろん、この店が大した店であるのは確かですが、―――っと、それでは私はこれで」


 若者は厨房の方を覗き込むと慌てた様子で―――無防備に背を曝して引き返していった。莫進らの後にも何組か客が入り、店内はさらに賑わい始めている。


「―――っ」


 そこでようやく、莫進が剣把から手を放し、剣気を鎮めた。王達はほっと胸を撫で下ろした。

 莫進の性格からして、本気で斬り付けかねない。その時は自分が間に入らねばならないが、莫進の剣を受けきる自信など当然なかった。


「若造め、この儂に手を出させなんだわ」


 莫進がそう言って、自棄気味に酒をあおった。


「出さなかったのではなく、出せなかったのですか?」


「天問山派などという流派、聞いたこともないのだがな」


 莫進は答えず愚痴をこぼすと、酒杯を傾けた。王達は改めて若者が消えた厨房の戸口へ視線を向ける。


「師伯? 兄さん?」


 藍華が不思議そうに小首を傾げている。


「何か私共の店員がお気に障りましたでしょうか?」


 店主が恐る恐るという調子で尋ねてくる。


「いや、何でもない」


「そうそう。ちょっと格好良いお兄さんだったから、師伯ったら妬んでいるんじゃないかしら?」


「藍華っ」


 王達が叫ぶと、藍華はぺろりと舌を出して見せた。


「それでは、私はまた後ほど―――」


 雑談も一段落し、店主が軽く頭を下げ厨房へと戻り掛けた。その身体がふらりと傾げ、そのまま地面へ向けて倒れ込んでいく。


「―――っ、どうされましたか?」


 王達が咄嗟に抱きとめ尋ねるも、返答はなかった。ぐにゃりと力無く身体をもたれかけてくる。


「師伯、これはっ」


 脱力した店主の身体をそっと床に寝かせ、問う。


「……うむ。毒のようじゃな」


 そう言って、莫進が酒杯を持った手を掲げて見せる。小刻みに手が震え、酒が卓の上にぱたぱたとしたたった。


「いったい、いつの間に?」


 店内を見回すと他の客は皆、卓に顔を伏せて身動き一つしていない。王達らも内功の素養の分だけいくらか耐えられているが、毒に侵されているのは同じだろう。


「ふむ、店主も倒れているところを見ると、水や食い物ではないな。とすると、香の類か」


「―――うふふ、さすがに経験豊富ね、おじいちゃん」


 女の声が響いた。

 声の方へ目を走らせると、こちらへ背を向けていた客が一人、顔を上げて立ち上がった。酔い潰れていた客の連れ合いの女である。ゆったりとした動きで、こちらへ振り返る。


「でも、そんなにばかばかお酒を飲んじゃ駄目よ、毒が余計にまわっちゃうんだから」


 不健康なまでに肌の白い、若い女だった。身に纏う衣装も足元まで全て白装束で、ゆらりと立つ姿は幽鬼を思わせる。


「―――っ、この匂いは」


 女が身動ぎする度、ふわりと甘い香りが鼻を突いた。そしてその都度、身体から力が抜けていく。


「若い女、それに全身から薫る甘い毒の匂い。邪教の次期教主、九頭蟲きゅうとうちゅうというのはお主か?」


「その渾名、可愛くなくてあんまり好きじゃないのよね」


 女が眉をひそめ小首を傾げる。そういったことに鈍い質の王達から見ても、実に艶めかしい仕草だ。絶世の美女と言って良いのだろう。


「とはいえ岱山派の花剣客様に知られているだなんて、光栄だわ」


「御山に忍び込み、秘伝書を盗みおったのはお前か?」


「秘伝書? ―――ああ」


 女が襟元に手を突っ込み、ごそごそとあさり始めた。甘い香りが、一層濃くなる。


「……これのこと?」


 やがて女は巻物を取り出した。かなり年季が入った細めの一巻だ。


「ちっ、邪教の仕業とは思っておったが、まさか次期教主直々のお出ましであったとわな」


「別にこんな古臭い巻物に興味はなかったのだけれど、せっかくの機会だしね」


 女が巻物を手の平の上でくるくると弄んだ。


「―――っっ、これが、噂に聞く、―――内錬毒か」


 ぞんざいな扱いに怒気を燃やした莫進が腰をあげ掛け、椅子にへたり込んだ。

 言葉も覚束なくなっている。王達も先刻から何度も試しているが、立ち尽くしたまま一歩も前に踏み出すことが出来ずにいた。靄がかかったように視界がぼやけ、次第に身体から力が抜けていく。


「正解。すでに店内には毒香が充満しているから、早く外へ出た方が良いわよ」


 内錬毒。代々の邪教教主だけに伝えられる秘術である。詳細は不明ながら、氣を練る様に体内で毒を錬り、体外に発散する法だと言われていた。身の内に九つの毒を宿す。故に付いた渾名が九つの頭を持つ毒虫―――九頭蟲である。


「それが出来ればっ、とうにっ、―――くそっ」


 莫進の手から、とうとう酒杯がこぼれ落ち卓上で割れた。王達も前のめりに地面に膝を突いた。いよいよ意識までも薄らぎつつある。


「―――はぁっ!」


 勢い良い掛け声が、思考と視界の靄をわずかに払った。

 先刻から黙り込んでいた藍華が飛び出し、剣を振るっていた。


「私が相手よっ!」


「―――っ、やっぱり女の子には効きが悪いわね」


 九頭蟲は藍華の一撃を大きく後方へ跳んで避けた。


「―――藍華っ、何をしているっ、店の外へ逃げろっ!!」


 王達は最後の気力を振り絞って叫んだ。

 九頭蟲が剣を避けた動き。咄嗟のこととはいえ、あまり上手いとは言えない足運びだった。正味の武術は、それほど得意ではないのかもしれない。藍華だけなら、逃げ切れる可能性は十分にある。


「私一人じゃ、兄さんに師伯、店の人達までは抱えて逃げられないっ! まずこの女を―――」


 藍華が立て続けに剣を振るう。


―――俺達は放って置いて逃げろっ!


 強く思うも、もはや声は出ない。

 剣を振りまわす藍華の姿が、次第に薄れていった。



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