第九回 三姫、揃い踏む
「馮兄、次で最後です」
「ああ、頼んだ」
両脇に一人ずつ抱えた兵士を床へ降ろすと、劉雲心は争闘の場へと取って返していく。
無影剣が退散した後、結局白怜が提案した宿まで皆で引き返すこととなった。高濃度の睡蓮を嗅がされた伯姫はまったく目を覚ます気配が無かったし、劉雲心の勁力に当てられた白怜も歩行が覚束なかったためだ。
馮迅が白怜に肩を貸し、劉雲心が伯姫を抱え、宿へ移動して空き部屋を全て抑える。伯姫や劉雲心の手前、計画通り兵を放置するわけにも行かなかったからだ。そうして肉体的には無傷の劉雲心が往復約十里(5㎞)の距離を何度も駆けて兵士二十人を輸送する。
「次で最後って、いったいどういう体力をしているのかしらね、あの男。ついさっきまで貴方と無影剣と連戦してたって言うのに」
兵を寝かしつける馮迅の背中を眺めながら、白怜は呆れ顔で言う。
「ああ、すごいよな。あれは軽功の達者と言うよりも生まれついての健脚ってやつだ。俺がどんなに鍛えてもああはなれない、まさに全身が強さの塊って感じだな」
「ふんっ、ずいぶん簡単に魔拳のやつを褒めるじゃないのよ」
「……? 祭酒様が言い出したことだろ?」
「貴方ねぇ、この私の護衛って自覚が足りないんじゃないの?」
「うっ、それは確かに。勝手に揉め事に手を出した挙げ句に殴り倒されるだなんて、護衛失格だったな」
「その通りだけどそうじゃなくって。この私の護衛ともあろう者があんな若造に不覚をとったのだから、少しは悔しがりなさいっ」
「いやぁ、そんなことを言われても。勝負なんだから勝つこともあれば負けることだってあるだろうさ」
「はんっ、不甲斐ない男。魔拳のやつは冠をしていなかったし、あなたよりいくつも年下でしょうに」
馮迅は自身を二十二歳と言っていた。
白怜の一つ下。そんなところまであの子と一緒だ。同じ年に生まれた迅と言う名の子などいくらでもいるだろうが。
「……ん? 冠をしていないと年下ってことになるのか?」
「冠をしてないってことは、成人の儀を終えていないってことでしょうが」
「成人の儀?」
「はぁ、またそれ? ほんと世間知らずと言うか、常識ってものを知らないんだから」
仕方なく解説してやる。
この国では男性は二十で成人して冠を被り、女性は十五で成人して笄を挿すのが決まりだ。それぞれを始めて付けることを加冠の儀、笄礼の儀と呼び、盛大に執り行われるか形式ばかりの簡素なものかの違いこそあれ、上は王侯から下は庶民に至るまで当然に行われている。
「へえ、そんなしきたりがあったのか」
「成人なら冠や笄を外した姿は伴侶くらいにしか見せないものよ。冠をはぎ取る、笄を抜き取るなんてのは江湖では最大の侮辱に当たるわ」
そのうち剣と間違えて盗んで来かねないので言い足しておく。
「あれ、でもそうすると俺は? 冠なんて被ってないけど、もしかして周りからは成人に見られていない?」
「あなたも髷を幘で覆っているでしょう。たいがいの庶民は冠の代わりにそれで済ますのよ」
「ああっ、この布っ! 急に師父が今日からこれを巻けだなんて言ってきたけど、そういう意味だったのか」
「ほんっと、この師弟は」
白怜は本日何度目になるか分からない呆れ顔になる。
「あー、そういえば山を下りてすぐに会った夏秀蕾は十四と言っていたけど、確かに笄は挿していなかったなぁ。この前会った岱山派の王藍華は十六で笄を挿していたけど、兄の王達の方は冠もせず布も巻いていなかった。まだ二十より若いってことになるのか」
うんうんと心得顔で首肯する馮迅に白怜は白い目を向ける。
本当にどんな辺境で育ったらこんな間抜けが生まれるのか。太陰教の次期教主として過剰な愛情と畏怖を注がれて育った白怜自身も本来世間知らずの部類なのだろうが、その比ではない。
当人がぽつりぽつりと語る昔話をまとめると、幼い頃から峻険な岩山に師匠と二人暮らしでほぼ自給自足の生活だったようだが。そんなところで子供を一人育て、しかも至高の武術を仕込んだ師匠とやらはいったい何者なのか。
「……あれ、でもそうするとそっちの伯姫お嬢さんは十五歳より上?」
白怜に肩を借りて静かに寝息を立てる伯姫を指して馮迅が言う。――別室で休ませたいところだが、無影剣の再々襲撃が無いとも限らない以上は天敵の側を離すわけにはいかないのだ。
「そうなのよねぇ。せいぜい十二、三にしか見えないのだけど、笄をしてるのよねぇ、この子。それもずいぶんとご立派な」
「なぁんだ、祭酒様の言う常識ってやつも案外当てにならないもんなんだなぁ」
「ちっ」
白怜自身も疑問に思っていたことを“間抜け”に改めて指摘され、舌打ちして続ける。
「ふんっ、家の事情で半年や一年笄礼を早めるなんのはよく聞く話よ。……とはいえ、それにしてもこの子はいくらなんでも早すぎる気がするけれど。……もしかして。ううん、そんなまさかね」
二十で加冠、十五で笄礼の定めに当てはまらない存在がこの国には一つあるにはある。
だが、こんなところでおいそれと出会えるような相手ではないはずだ。いや、馮迅や莫進達と出会った宿で聞いた魔拳の出自を思えば、あり得ない話でもないのか。
「――もし、隣室の者ですが、何かお困りごとでもございましたか?」
「ちょっと、一宮様。余計な関り事は」
考え込んでいると、安宿の薄い壁越しに声が掛かった。
年若い、と言うより年端も行かない少女の声。隣は先客がいて白怜達が抑えられなかった一室だ。
「ああ、これはお騒がせしてすいません。ちょっと怪我人がいるもので」
「――まあっ、怪我人ですか? 梟、手を貸してあげてください」
「しかし、私は雷兄から一宮様の護衛を命じられております」
「そんなことを言って、さっきからお喋りしているだけではないですか。ほらっ、早く行って手伝ってあげてください」
「はぁ、分かりました。お部屋で大人しくしてて下さいよ。……こりゃあ後で鴉姉にどやされるな」
ややあって、開け放したままの戸から武芸者然とした女が姿を見せた。
「どうも、お手伝いにきました。それで、怪我をしたのは誰です? って、もしかしてこれ全部怪我人? あっちの部屋に寝かされてるのも?」
「ええ。といっても大半は意識を失っているだけで、あとは骨を折った者が何人か」
「ほうほう、へぇ、綺麗に折れて、……じゃなくって上手く接いであるね。もったいぶって出てきちゃったけど、こりゃあ私が手を出すまでもないかな。あっ、気付け薬ならあるけど、気を失っている人達に嗅がせてみる?」
「いえ、もうじき目覚めると思いますので、あまり強い刺激は」
「あら、もしかしてお兄さん、薬に詳しい人?」
「まあそれなりに」
「こりゃあ本格的に私の手助け出来ることなんてなさそうだなぁ」
と言いつつフクロウ――聞き馴染みのない響きの名だ――は寝ている兵士の頭の向きを変えたり枕を挟んで傷口の高さを調整したりと、てきぱきと動いていく。主君と思しき少女がわざわざ手助けに送り込むだけあって確かに手馴れた様子だ。
「――馮兄っ、ただいま戻りましたっ!」
そうこうしている間に劉雲心が最後の兵の輸送を終えて戻って来た。
「おや、そちらの女性は?」
「ああ、隣室のお客人だ。医術の心得があるらしく、治療を手伝ってもらっている」
「そうでしたか、それは有難い。――それで馮兄、実は一つお願いがあります。いま宿の者に伝言を頼んで、新たに護衛を送ってもらう手配をしたのですが。合流までの間、あの男相手に俺一人で小妹を守り抜く自信がありません。出来れば――」
かくして白怜と馮迅はさらに数日この宿に逗留することとなった。
「――まあっ、それではイチノミヤ様も?」
「ええ、この旅で初めてお宿と言うところに泊まりました」
伯姫とイチノミヤが安宿の中庭――と言うより単に宿に面した野原か――でひどく場違いな会話をキャッキャと交わしている。
イチノミヤというやはり耳馴染みのない名を名乗った少女は当初は部屋から出ることなく壁越しで会話を交わしていた二人であったが、いつしか意気投合したらしく文字通り壁は取り払われた。
フクロウは渋い顔をしているが、砕けた雰囲気と裏腹にかなり強固な上下関係があるらしく、少女が強く望めば拒めない様子だった。
「それではイチノミヤ様はご自分でお買い物をされたことがありますの?」
「ええ、この旅で何度か」
「自分でお金を支払うのですよね? 難しくないのかしら? 私ならもたもたしていて泥棒と間違われてしまいそう」
「そういう時はですね、こちらからお店の人に声を掛けるのです。これを下さいと」
「まあ、そんな技が」
二人は何とも浮世離れした会話を交わしていたかと思えば、こちらへ向けて手を振って――
「白怜お姉様ぁ。お姉様もこちらでお話ししましょう」
なんて呼び掛けてくる。妙に懐かれたものだ。
「白怜お姉様は馮迅様とお二人で旅をされているのですよね?」
「ええ、まあそうね」
「お二人はどういうご関係なのです? ずいぶん親し気なご様子ですけど」
伯姫は同じ庭で劉雲心に武術の手解きをしている馮迅――負けた方が勝った方に教えると言うのもおかしな話だが――へ、チラチラと視線をやりながら言う。
「伯姫様、そんなぶしつけな」
「だって二人旅をする親密な男女お二人だなんて、気になってしまって」
「それは私も気になりますけど。……姓が違いますから、ご姉弟ではありませんよね? とすると――」
「――ただの護衛よ。別に親密でもないわ」
「ええっ、そうなのですか? でも馮迅様が白怜様に向けられる視線が、いつもとっても優し気で」
「はい、私もそれは思いました。馮迅様は誰にでもとてもお優しい方のようですが、それでも白怜お姉様に対してだけはちょっと別と言うか」
「そりゃあ私の護衛なんだから、私を特別敬いもするでしょうよ」
ぞんざいに言い返すと、少女二人はキャーキャーと楽しげにする。お嬢様方には白怜の反応が新鮮なようだ。
二十人からの精兵に護衛されていた伯姫は当然として、引きずるように長い袖の衣を幾重にも重ねたイチノミヤの異装も明らかに高貴な家柄のものだ。――それもこの国ではない異国の。
「絶対それだけではないと思います。馮迅様が白怜お姉さまに向けられる目は、何というか、雲心兄様が私に向ける目に近いと言うか」
「それを言うなら私は劉雲心様と伯姫様のご関係も気になりますわ。長いお付き合いなのでしょう?」
「私と兄様は兄妹みたいなもので。兄様は私のこと、妹としか思っておりませんわ」
「あら、その言い方だと伯姫様からのお気持ちは違うと言うことに――」
矛先が逸れたのを幸いと、白怜は二人から再び距離を置く。
「もう良いのか? 黙って見守っているくらいなら、せっかくだし会話に混ざったら良いんじゃないか?」
馮迅が近寄ってきて言う。
話題が話題だったからドキリと、――などはしない。騙りとは言え馮一剣の弟子を名乗る者に動かす心などないのだ。
「馬鹿を言うんじゃないわよ。私があんなお嬢様方の会話に混ざれるはずがないでしょう。ううん、あれはもうお嬢様どころかお姫様ね」
「お姫様って言うなら、祭酒様だってお姫様みたいなもんだろう? 太陰教のおひいさまじゃないか」
「――っ!?」
「ど、どうかしたか?」
「ちっ、何でもないわ。二度と私をそんな呼び方しないでちょうだい。次呼んだら、――殺すわよ」
「あ、ああ」
教団内での幼い頃の呼ばれ方につい反応してしまったが、“おひいさま”と言うのは取り立てて変わった呼称でもない。
「それにしても祭酒様、ずいぶん面倒見が良いんだな。この数日、伯姫お嬢さんのそばをずっと離れずにいるじゃないか」
「貴方達が警戒しなさすぎなのよ」
無影剣に襲撃され退避した先で出会った謎の少女と護衛。それもこの国の響きではない名を名乗り、この国のものではない衣をまとい、交わす言葉にも時折り異国語と思しき単語が混ざる。どう考えたって怪しいだろう。
だというのに馮迅はいつもながら緊張感に欠けるし、肝心の伯姫の兄様も先程からしきりに首をひねりながら一人稽古を続けているのだ。
「鏢局の跡取りとして悪漢の類を見極める目には自信があるって言っていたよ。その目で見て、あのお嬢さんには悪意の欠片もないと。フクロウの方もお嬢さんがいる限りは問題ないと」
劉雲心へ向ける白い目に気付いたのか、馮迅が言った。
「その御自慢の目で見た上で、貴方と私は仲良くやられちゃったんでしょうが」
「ふふっ、仲良くか」
「何を笑っているのよ、気持ちの悪い。護衛の貴方がみっともなく殴り倒された話をしているのよ」
「これは失礼。まあ何にしても、俺達を疑うってことは雲心のやつの見る目に間違いはないってことにならないか?」
「……ああ、江湖で噂の怪人物だったわね、貴方」
「いや、どっちかと言うと伯姫お嬢さんに睡蓮を嗅がせた祭酒様の方が――」
「ちっ」
聞えよがしな舌打ちで馮迅を黙らせる。
何にせよ、間抜けにもその間抜けに心酔した様子の馬鹿にも警戒を強める気はないようだ。当のお嬢様方二人と言い、お花畑な連中ばかりが揃ったものだ。
――とはいえ、だからと言って私が気に掛ける必要なんて無いはずなのだけれど。
伯姫を見ていると不思議とこの子を守らなければならないと言う強い気持ちが沸々と湧き上がってくるのだった。
初めは純真に付け込み睡蓮を嗅がせたことへの柄にもない罪悪感かとも思ったが、そうではない。庇護欲とも少し違う。彼女の出自が想像通りなら忠心だろうか。やはり柄にもないが。
結局その後も白怜一人が気を揉む格好で宿での滞在期間は過ぎて行った。
実に7年も更新を止めてしまっていましたが、自分の中で改めて武術・武侠熱が高まってきましたので連載を再開します。
出来れば隔週、最低でも月一更新くらいを目指して頑張ります。




