第二話 吸血鬼になるという話
初めて吸血をして、早くも三週間。最初は傷一つ刻んだ分だけで満足できていたのに、気づけば今日もまた、彼の肢体に十を軽く超える数の赤い線を描いていた。毎晩のことになってしまったとはいえ、心が痛む。今日は肩を切った。丁寧にガーゼを当て、包帯を巻く。そうやって処置をした傷跡は、今は身体中を包帯で覆わせていた。感染症が怖いから、何度も同じ傷口に口をつけたくはない。これでも、必要最低限の量しか吸っていないはずで、その証拠に一応普通の食事も摂れるようになったものの、吸血量不足でいつも空腹感がなくならない。
服を脱がせれば、痛々しく包帯に巻かれた瀬田の身体。今巻いたばかりの肩以外の包帯を取り除いて、お湯で絞ったタオルで拭いて綺麗にしていく。昨日の分も含めておおよそ治りかけなのだけが唯一の救いか。治りが早くなる薬、というのは一般的に手に入るものではないが、職業特権で箱単位で買おうとすれば買える。それを使っているおかげだ。
「……本当に最近、迷惑かけてばかり……」
「気にしなくていいのに。俺は……そう、裏都と一緒に居られればそれでいいから、さ」
自分にはもったいないくらい優しい子だと思う。だけど、それでもお互いに好きだから一緒にいる。そして、だからこそ傷つけたくなかった。守りたかった。なのに、こうやって自分のために傷つけている。本末転倒だ、と裏都は思う。一通り身体を拭き終え、包帯を巻き直す。裏都の方は風呂上がり、二人ともパジャマ姿になる。
そういえば、吸血鬼といえば太陽光もダメなんだったか、と思う裏都。明日は休みだから、日傘でも買いに行くことにした。
翌日は晴れ、今はまだ日光も耐えられるけれど、それでも、もうすぐ冬になる寒い日なのに陽に当たる肌に汗が滲む。太陽光で吸血鬼は灰に還ると言うけれど、これはその前兆みたいなものなのだろうか、と思う。日傘と、あと手袋が必要だろうか。卯夜に相談した時に勧められた店へ向かう。
営業時間は夜九時から正午まで、今は午前十時だからあと二時間で店が閉まる時間である。店に入ると、黒で統一された落ち着いた内装。太陽光対策が必要な吸血鬼向けの店だということだからか、それとも多くの吸血鬼の好みなのか、商品も黒いものが多かった。
「いらっしゃいま……あら、お客様は『BloodRod』へのご来店は初めてですね?」
長くて綺麗なブロンドの髪の女性がそう声をかけてくる。聞けば、彼女もまた吸血鬼なのだそうだ。外装から太陽光の入らない設計なのは、そういうことなのかもしれない。
日傘と手袋を買いに来たつもりが、日除けクリームだとか、吸血鬼の医学書だとか、初めての吸血鬼ガイドブックなんて無配パンフレットだとか、そんなものまで手に入れることになってしまった。
「そちらの方とは結婚なされてるんです?」
「えへへ、はい。俺の自慢の彼です」
そう問いかけられ瀬田が答える。はにかんで微笑むその身体、お揃いのタートルネックのセーター姿では見えないけれど、服の下は包帯まみれである。気づかれたりしただろうか、と思いつつ様子を伺う。
「ふむふむ……。眷属契約、とかいかがでしょう?」
手順も簡単ですし、デメリットもあるけどメリットも大きいですから特に大切な一人と眷属契約しているケースも多いんですよ、と言う店員の女性。
詳しいことは医学書に、という女性。他にも色々他愛もないような話ばかり聞かされてしまったせいでもうすぐ閉店時間である。
またのご来店をお待ちしております、とお辞儀をして見送る店員を背に、二人は店を出た。
昼食を食べて帰った頃には、午後二時。寝室にて、ガイドブックから二人で読んでみることにした。
内容は、吸血鬼になりたての元人間にとってはありがたいものばかりであった。吸血鬼は魔法が使えるとか、日光に当たったら灰になって消えるとか、実は吸血鬼の場合吸血時などには無意識下で魔法を使って消毒をちゃんとしてるとか、あとは眷属の話などもあった。最も、眷属に関しては医学書の方に丸投げだったが。
医学書の、眷属についてのページを開いてみる。眷属とは、吸血鬼と運命を共にする下僕、あるいは相棒やパートナーのような存在である。眷属は、通常より多い魔力要求と引き換えに、吸血鬼自身と同一の寿命を得る。特殊な例でない限り吸血鬼の命は永遠であるから、何らかの理由で吸血鬼が死んでしまわぬ限りは眷属もまた永遠に吸血鬼の魔力供給を受けながら生きていくという。また、その性質上一人だけ眷属を作るのであれば彼氏や彼女などパートナーを眷属にするケースが非常に多いらしい。また、眷属の血は吸血鬼にいくら吸われてもなくならないほど無尽蔵なのだそう。
そして、眷属の作り方。それは……、
「……、生きた人間の血を、吸い出せなくなるまで吸い尽くす……」
当然、普通の人間同士などでやっても普通の人間にそんなに吸い尽くせないし、できたとして吸われた側が死んでしまうだけだ。しかし、吸血鬼の魔力が加われば全ての血を吸い尽くされた人間は吸血鬼の眷属となるという。さらに、吸血鬼の力を与えられ、吸血鬼本人には劣るものの魔法も使えるようになるとか。
中には何十人も眷属を作ったケースもあり、その中でも眷属になれずに人間が死んだというケースの報告は一切ない。もしあれば一般のニュースにも話が上がってくる場合もありそうなものだが、そういった例がないということは成功率はかなり高い、あるいは確実なものなのだろう。
「……どうする?……瀬田」
「……したい。裏都とずっと、一緒がいい。……俺を、殺して」
眷属を作るということは、眷属になる相手の血液を全部奪う、つまり殺すということ。躊躇なく、それを求められた。眷属を作るのは、たとえなりかけでも、ほんの少しでも吸血鬼の力があるなら可能、らしい。それに、血の要求量も増えつつある。今はまだともかく、そのうち瀬田が失血によるショックを起こすほど吸ってしまわなければいけなくなるかもしれないし、あるいは失血死させてしまうかもしれない。それならいっそ、共に生きて死ねばいい、と思ったのだ。
静かに頷き、裏都は瀬田の服を脱がせ、太腿部の包帯を解き、きちんと殺菌・消毒したメスで太腿の血管に沿ってそっと切っていく。溢れ出た血液を舐めとって、どんどん血を吸い上げていく。吸って、吸って、吸って。ただ夢中で血を吸い尽くす。身体から己の生命が失われつつある感覚に、瀬田はふらつきそうになる。ベッドに身を倒し、ゆっくりと息を吐いて力を抜く。怖くないと言えば嘘になる。けれど、好きだから。全部あげてもいい、だからそれでよかった。
次に目覚めた時には、きっと裏都は満足してくれているかな。朦朧としつつある意識で瀬田はそう想い、それからゆっくりと眠りについた。
目を覚ませば、裏都はただ瀬田の隣にいた。服を脱がされたはずなのに、ちゃんと寝間着を着ているということは着せてくれたのだろう。身体の中の何かが決定的に違う感覚に、そっと胸に手を当ててみる。己の鼓動が、ない。大切な人のために、ごく平凡な人間であることを捨てる、というのはこういうことだったんだと理解する。
「……瀬田」
「ん……」
ぎゅ、と裏都に抱きついてみる。彼はまだ完全に吸血鬼となったわけではないからか、微かな鼓動の音は聞こえる。けれど、とてもゆっくりだった。人間なら、死にはせずとも活動は不可能であろうほどの。
けれど、暖かかった。人肌の温もりはちゃんとそこにあった。その感覚が、自分と彼がもう人間ではないとは思えないようだった。
構わない。人間じゃなくなるくらい、どうでもいい。誰の話だったか、自分は人間だと思っていたのに人間じゃなかったと知った時の虚無の話を聞いたことがある。その空虚な絶望は、しかし二人の中にはなかった。この高揚感は、これから先、きっと永遠に共に生きられるという喜びなのだろうか。
瀬田は、そっとキスをねだる。口付ければ、まだ裏都の唇には血の味が残っていた。それから二人してベッドに倒れこむ。
今日もまた、長い夜になりそうだった。
一応ここで一旦完結です。もしここから先が掲載されたらTwitterには載せてないやつになると思います