砂の雨
私の故郷においては、降れば天の恵みと呼ばれて喜ばれていた雨も、今私が暮らすこの街では“砂の雨”と呼ばれて忌み嫌われる。
人や自動車が巻き上げる砂埃。
それらが常に空気中を漂い、天の海から零れてくる雨粒が、地上に落ちる途中で吸収してしまう。
ただ落ちるだけの雨粒は、その汚れを避けることも出来ずに、ただその身を濁らせてゆく。
純真な水は、少しずつ穢れていき、地に落ちる頃には泥として落ちる。
まるで今の私のようだと軽く自嘲する気持ちのまま、手のひらを空へ向けて雨粒を受けた。
ポツリと、小さな冷たさを私の手のひらに遺す。けれどもそれも一瞬のことで、すぐに私はその冷たさを忘れてしまう。手のひらにひと粒では、その雨粒がどれだけ穢れていたかも知ることもなく、私はその冷たさを忘れてしまった。
きっと私もそうなるのであろう。
私の最期、私が死ぬとき、私という砂の雨のそのひと粒が、ここから消えたとして、その冷たさを知る者は極少なく、その温度を覚えて居てくれる者は更に少ない。
私の心がどれだけ穢れてしまったかなど、誰も気付けないのだ。
信号待ち、自動車のガラスに落ちた雨粒がワイパーに伸ばされ、薄く小さな泥汚れを残した。
私はそれを一瞥して歩道を通り過ぎてゆく。
汚れを見た運転手の鬱陶しそうな表情。何故かそれが頭から離れない。
液体が噴出する音。きっとウィンドウォッシャーの音だろう。勝手に推測だけして、私は歩道を渡りきった。
消えても尚、嫌われてしまう砂の雨。
益々私の様ではないか。
天から零れ、穢れながら落ちてゆく、雨。
性善説みたいに考えれば、似ているのではないだろうか。と、性善説など詳しくも知らぬまま勝手にこじつけてみた。
地に落ちるまで雨粒は止まらない。
途中で穢れるのが嫌になろうとも、この世の法則には、小さな雨粒如きでは逆らうことは叶わない。
ただ、落ちてゆくだけ。
私もまた堕ちていく。
地上に辿り着くまで、ただ延々と。
そこに、幸せはあるだろうか。