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幸せの在処 1

クリス視点の番外編です。

僕はこのまま死ぬんだろうか。冷たい地面に横たわりながら、他人事のようにそう思った。

切り裂かれた肩はじくじくと熱を帯びているのに、手足の先は冷たくてもうほとんど感覚がない。少し血を流しすぎてしまった。いつもなら自己治癒力ですぐに塞がる傷だけど、勇者との戦いで魔力も体力も使い果たしたせいでそんな余力は残っていない。今この瞬間に命を維持するのに精一杯だ。それもいつまで保つか。

首だけ動かして上を見ると、森の隙間から夕暮れの空が見えた。夜になれば多少は月光から魔力を吸収できる。それを全て治癒力に回せば、きっと死ぬことはないだろう。だけど僕の身体の状態から見て、月が昇るより僕が力尽きる方が先かもしれない。


――――それでも、いいや。


何もかもどうでもよくなって、目を閉じる。

もともと、僕は望まれた魔王じゃなかった。幼い頃から魔王になるべき存在として育てられてきたけれど、それは魔王とその正妃の子という立場のため、そして母が率いる派閥の権力のためだ。大勢の側室や愛人とその子どもたちの中で、僕が魔王になって母の地位をより強固なものにすること。それが僕の役目で、それだけが僕の存在意義だった。

母やその周辺は僕を権力闘争の道具としてしか見ていなかったし、父は跡継ぎが正妃の子だろうが愛人の子だろうが興味がないようだった。それを理解した上で、それでも、決められた道を決められたように歩いて玉座についたのは……好戦的な兄弟姉妹きょうだいの誰かに国を任せたら戦争や侵略に突き進むことは明らかだったから。それを防ぐために今まで頑張ってきたつもりだったけど、その結果がこれだ。結局戦争も侵略も止められなかったし、そのせいで異世界の人間が無理やり勇者にさせられてしまった。僕は、なんて無能な王だったんだろう。

挙げ句勇者に敗れて魔族にも見放された僕は、完全に存在意義を失った。だからもう、ここで生き延びても死んでもどうでもいい。むしろここで死ぬことがせめてもの償いになるかもしれない。そうすればあの勇者は元の世界に帰れるそうだから。


お前さえいなければ、と叫び聖剣を振りかざす勇者。

弱い魔王は必要ない、と嘲笑う兄弟とその側近たち。

他にも母や貴族たちの顔がたくさん思い浮かんだけれど、そこに笑顔の記憶はなかった。貼り付けた愛想笑いならいくらでも見てきたけど、今印象に残っているのは僕を侮り蔑むような冷たい目だ。

そんなものを思い出しながら死ぬのは流石に悲しかったから、何か別のことを考えようとした。そうだ、バルコニーでこっそり育ててた家庭菜園はどうなったかな。もうすぐ収穫できるはずだったのに。

赤く瑞々しい果実を思い浮かべて息を吐いた、その時だった。


「……おいしそうな、匂いがする」

「っ!?」


思わず口に出した言葉に、誰かが息をのむ気配がした。

目を開けると、そこには人間の女性。出で立ちからして、たぶん村娘だ。少し浅い顔立ちと珍しい黒髪以外には取り立てて特徴はない、けど……身体に宿す魔力は、僕と同じかそれ以上か。もし魔法でも使われたら、今の僕には防ぎようがない。そうでなくても、人を呼ばれてしまったら終わりだ。

どう転んでも助からない状況。ここで死ぬのが運命としか思えなかった。

……それなら、大人しく受け入れよう。

この女性がどう動くか、目を合わせたまま待つこと数秒。固まっていた彼女が動いた。


「わ、私は食べても美味しくないですよ」


てっきり悲鳴を上げるか逃げるかのどっちかだろうと思っていたのに、予想が外れて一瞬何を言われたのか分からなかった。

どうやら、僕がさっき言った「おいしそう」という言葉を勘違いしたらしい。魔族は全員人間を食べるものだと思われてることが分かって、少しだけ悲しくなった。


「君のことじゃないよ。……その、篭」

「へ?」


さっき感じたおいしそうな匂い。僕がバルコニーに残してきた家庭菜園のものと、同じ野菜の匂いだった。

食べられなかった野菜への未練でじっと篭を見つめると、女性は少し迷った後に僕との距離を詰めて、篭から赤い実を取り出して差し出した。

魔族の僕に自分から近づくなんて、怖くないんだろうか。さっきは食べられるって勘違いしていた相手なのに、僕が一言否定しただけでそれを信じてくれたんだろうか。


「えーと、食べます?」

「……いいの?」

「味の保証はしませんけど、それでもいいなら」

「……ありがとう」


僕から手を伸ばしても、女性に怯える様子はない。それどころか、力の入ってない僕の手を気遣うように、そっと野菜を渡してくれた。

その実を口に運ぶと、なんだか懐かしい味が口の中に広がって口元が緩む。今僕の顔は血まみれの泥まみれだから、きっと彼女には見えてないと思うけど。


「……美味しい」

「ありがとうございます」

「君が作ったの?」

「ええ、まぁ」


女性が薄く微笑んで、なぜだかその顔から目が離せなかった。誰かの、打算も媚びもない笑顔を見たのが久しぶりだったからかもしれない。魔族のどんな美姫よりも、献上されたどんな宝石よりも、それは美しく魅力的に見えた。


「君は僕が怖くないの?」


尋ねてみても、返ってきたのはきょとんとした表情。そして、怖くはないです、というあっけらかんとした言葉。

それが本心だと裏付けるように彼女は手当てを申し出てくれて、貴重なはずの水や食料も分けてくれようとした。自己治癒力で治るからと突っぱねると、なぜか不満そうな顔をして。


「……キョーコ、か」


彼女が去った後、ぽつりと呟いた。

変わった名前の、変わった人間。目を閉じると、もうあの嫌な記憶は浮かんでこない。代わりに思い出すのは、真っ直ぐに僕を見るキョーコの目と、微かに笑ったあの顔だけ。

明日も彼女はこの道を通るだろう。そのときもし僕が死んでいたら、きっと彼女を驚かせてしまう。

だから、もう少しだけ生きてみよう。そう決意すれば、冷たかった身体に微かな熱が灯った。



* * * * *



「その野菜、今年はそれで最後ですね」


今日の収穫を篭に入れている最中、あの赤い実を見つめて数ヶ月前のことを思い出していた僕の横で、キョーコがのんびりと言った。

季節はもう秋に近い。日が落ちる時間は早くなったし、周りの森は少しずつ色づいてきた。この野菜の旬は過ぎてしまったということだ。キョーコが初めてくれたこの野菜は、今年は今僕が持っているもので最後。来年まで食べられなくなるのは残念だけど、それが自然というものだから仕方ない。

柔らかい果実を潰さないように慎重に篭の中へ入れると、キョーコが畑から別の野菜を採って僕に差し出した。秋が旬の葉物野菜だ。


「クリスさん、これ味見してくれませんか?」

「……うん、おいしい」

「よかったです」


僕の言葉に、キョーコが薄く微笑む。僕の一番好きな表情だ。

全てを打ち明けた今でもその顔を向けてくれることが嬉しくて、顔が勝手に緩みそうになる。だけど僕にはそんな資格はない。敢えて目をそらして手元を見つめた。


キョーコはこの世界で生きることを選んでくれた。でも、僕のせいでキョーコが向こうの世界の日常を失って、家族と引き離されたという事実は消えない。キョーコの人生を壊した僕が、彼女の横で能天気に幸せになるなんて許されない。

ずっと消えることのない僕の罪。彼女をこの世界で幸せにすることが償い。それが僕にとっての幸せになってしまうことが、この穏やかな微睡みのような時間が『当たり前』になってしまうことが、何よりも恐ろしかった。


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