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エピローグ

あれから、色々なことがあった。


まずあの出来事の直後、クリスというのは正確には彼の名前ではないことを知った。昔から親しいひとだけが呼ぶ愛称のようなものらしい。本当の名前はもっと仰々しくて長ったらしくて、発音どころか聞き取るのも大変で結局全部は覚えられなかった。面倒なので今まで通りクリスさんでいいですかと聞いたところ、彼もその方がいいと笑ったので呼び方はそのままだ。


それから、勇者さんが元いた世界に帰ったらしい。もちろんクリスさんが見つかった訳ではなく、倒されたのはクリスさんの次に魔王になったひとだ。

次の魔王が即位したことでクリスさんはもう魔王ではなくなったし、勇者さんもいなくなった。私はこちらの世界で生きると心を決めたし、これで勇者とか魔王とか召喚とか、そういう話とは完全に縁がなくなった……と思っていたのだが。

夏が過ぎて周囲の森が紅葉してきた頃、クリスさんの側近だったという魔族さんが数人、私たちの畑に現れた。

どうやらクリスさんが魔族社会を追放されてからずっと彼を探していたらしく、土にまみれて畑仕事をする元魔王に驚きつつも、熱烈に再会を喜んでいた。ちなみにそんな彼らにクリスさんはちょっと困惑気味だった。


彼らが言うには、クリスさんの次の魔王は倒され、また新しい魔王を決めなければならないが、その話し合いが難航している。勇者さんに倒された魔王は率先して戦争と侵略をしていくような好戦的な性格だったのだが、その性格が多くの魔族に支持されていた一方で、領土内の統治には無頓着だったため現在の魔族社会の情勢は非常に不安定である。そこで、戦争よりも統治を優先していたクリスさんにもう一度魔王をやってほしいという声が大きくなってきている。とのことだった。

勝手なものだ。と私は密かに憤慨した。一度は追い出しておいて、自分たちが困ったら戻ってくれだなんて、都合が良すぎる。私を召喚した人間達と同じじゃないか。


だけど、もし。クリスさんが魔王に戻りたいと思っているのなら。不安にはなったが、結果としてそれは全くの杞憂だった。戻ってきてください!と懇願する元側近さん達に対し、彼はあっさりと首を横に振ったのだ。

魔王の地位には未練も興味もないし、戻るつもりは一切ない。ここでキョーコと、ただのクリスとして生きていきたいんだ、とクリスさんが微笑むと、彼らは面白いくらいに絶望を体現したような顔をした。


大変だったのはそこからだった。彼らは尊敬する元魔王が自分たちよりも私という得体の知れない女を優先したことが気に入らなかったらしく。「こんな貧相な女が魔王様を誑かすなんて!」のような台詞を、感情任せに言い放ち。その結果、クリスさんが、キレた。

正直、その時まで私はクリスさんは魔王らしくないと思っていた。しかしそれは撤回する。確かに彼は魔王だった。

その場は何とか宥めて辺り一帯が焼け野原になることは防いだけれど、それ以来、定期的に様子見に来る元側近さん達は私を「奥様」と呼んで妙に丁重に接してくるようになった。


……奥様。奥様か。まさか人生でそんな呼び方をされる日が来るとは。

その時は訂正するのが面倒くさいので奥様呼びを受け入れただけだったが、こちらの世界で初めての雪を見た日、クリスさんに指輪を贈られて正式なプロポーズを受けたことで本当に「奥様」になってしまった。

もちろん、異世界人の私と元魔王の彼だから、結婚式なんて挙げてない。この先もそういう華々しいものはないだろう。


そうして今、私はこの世界での二度目の夏を迎えている。


「キョーコ、向こうの水やり終わったよ」


首だけ後ろを振り向くと、私に向かって微笑むクリスさんの姿があった。相変わらずの、土にまみれていても霞むことのないキラキラしいイケメンである。一年前と変わったのは、彼の翼が完治して本来の姿を取り戻していることだ。もちろん力も完全に戻っているらしい。


「ありがとうございます、クリスさん。こっちももうすぐ終わりそうです」


麦わら帽子をかぶり直して、途中だった水やりを再開する。自分の手から無尽蔵に水が湧き出して畑に降り注いでいく様子は、見慣れたもののやっぱり不思議だ。

水やりというよりは水撒きに近い作業を終わらせて、一息つく。するとすぐにクリスさんがタオルを差し出してくれたので、ありがたく受け取った。暑さでは汗をかかない彼がこうしてタオルを持ち歩いているのは私のためだと気付いたときはかなり照れたが、流石にそろそろ慣れた。ただ、ありがとうございます、と言うと必ず返ってくる笑顔にだけは慣れない。


「今日もいっぱい収穫できたね」

「そうですね。昨日の交換でもたくさん食料をもらえましたし、今日の夕飯はごちそうにしましょう」

「本当?楽しみにしてるね」


クリスさんが頬にキスしようとしてきたのを、今は汚いからと拒否する。家に帰ってからにしてくださいと何度も言っているのに、果たして聞いていないのか気にしていないのか。それでも呆れるだけで怒る気になれないのは、きっと彼が思っている以上に、そしてもしかしたら私自身が思っている以上に、私が彼に甘いからなんだろう。その理由は考えるまでもない。


こうして、私は今日も照りつける太陽の下、翼のあるイケメンと平和に農業をしている。

穏やかで少し甘い時間。こんな日常は、悪くない。

今このとき、私は確かに――――幸せだ。

拙い文章をここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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