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望み

「わぁ、可愛いお家だね」


我が家に上がったクリスさんの第一声はそれだった。

別にぬいぐるみとかお花とかをそこかしこに飾っている訳ではないし、カーテンとか家具をピンクで統一してる訳でもない。大学生時代に一人暮らししていたワンルームの部屋と大差ない面積の中に必要最低限の質素な家具が置いてあるだけの、可愛げも面白みもない家だ。

ただ単に小さくて狭い家だというのをオブラートに包みその上から更に砂糖をまぶしたような言い回しは、彼の気遣いだとしてもちょっと悲しくなる。

とりあえず食材の入った篭は台所まで運んでもらって、お礼と同時にクリスさんを食事用のテーブルの方へ追いやった。


「今から作るので、すみませんが座って待っててください」

「うん」


普段なら真っ先に手伝うよとか言い出しそうなのに、クリスさんは素直に従って椅子に腰掛けた。もしかしたら料理は出来ないのかもしれない。それか、台所に羽根が散ると不衛生だと思ったのか。どっちにしてもありがたい。

一人暮らしの期間は短くないし、こっちの世界の台所や調理事情にもだいたい慣れた。でも今まで質素な料理しか作ったことがなくて、人に食べさせるのを前提としたメニューなんて久しぶりすぎる。クリスさんには申し訳ないが、ちょっと時間がかかりそうだ。


出来れば日が完全に落ちるまでに料理を終えたかったけれど、結局終わったのは日が暮れた後だった。それでも何とか他人に出しても恥ずかしくないものを作り終えて、食器の準備のために振り向いて……不意に夜にしては視界が明るいことに気付いて光源の方を見ると、クリスさんの翼が淡く発光しているのが見えてぎょっとした。


「クリスさん、羽が光ってますよ!?」

「ん?あぁ……僕、翼から魔力を吸収してるから。満月の夜はだいたいこうなるよ」

「そ、そうなんですか。ならいいんですけど」


クリスさんがあっけらかんとしているから、私も落ち着いた。でも突然光るのは驚くからやめてほしい。それか前もって言っておいてほしい。今まで頻繁に魔法を見てきたのに今更これくらいで驚くのも変な気もするけれど。

とにかく配膳も終えて、普段は使わない小さな椅子を持ってきて自分用にする。クリスさんと向かい合って初めてこの家に自分以外の誰かがいるのは初めてだと気付いて、ちょっとだけ緊張した。


「今更ですが、嫌いなものとかあります?」

「ううん、大丈夫。おいしそう」

「ならよかったです。どうぞ」


いただきますの代わりに手でお祈り?のような不思議な動作をしてから、クリスさんがナイフとフォークを手に取る。料理を切り分けて口に運ぶしぐさがいちいち優雅で様になっていて、容姿のせいもありどこかのお貴族様のように見えた。

おいしいよ、と言って笑ってくれたことにとりあえず安堵して、私もようやく食べることにする。ちなみに私が使うのは自作の箸だ。こっちの世界にお箸は存在しないらしく、クリスさんが物珍しそうに見てくるのがいたたまれない。

むしろ私からすれば、目を上げたらすぐに光る翼が視界に映るという状況の方が物珍しくてつい見てしまう。あんまりジロジロと見ていたのか、クリスさんが可笑しそうに小さく笑った。


「普通、翼が生えてたり光ってたりしたら、人間は怖がると思うけど。キョーコは怖がらないよね。割と最初から」

「私も最初は、怖いというかびっくりしましたけど。でも、クリスさんにはこう……噂に聞いてたような、凶暴な魔族っぽさがないので」

「あはは、そうだね。僕みたいな魔族は珍しいよ。そのせいで殺されかけたけど」


あまりにもあっさりと言うものだから、危うく聞き流すところだった。

殺されかけた。それはきっと私の家の近くに倒れていたときのことを言ってるんだろう。今まで二人ともあの時の話をすることはなかったし、その原因なんて尚更、聞こうとは思わなかった。

クリスさんの顔を見返しても、表情は至っていつも通りだ。明日の天気や今日の収穫の話をするときと同じ顔、同じ口調で、彼は続ける。


「他のみんなは人間が嫌いで、侵略とか戦争が大好きでね。でも僕はこんな性格だから、なんていうか……馴染めなくて。勇者と戦って負けて、それがきっかけで魔族の国を追い出されたんだ」

「っ」


動揺が顔に出てしまいそうで、咄嗟に果実酒の入ったグラスを口元に運ぶ。半分くらいを一気に飲み干してから喉をアルコールが焼いて、涙目になってまたテーブルに戻した。

勇者という単語を、どれくらいぶりに耳にしただろう。

クリスさんが「大丈夫?」と私にナフキンを差し出した。敵だったはずの、そして追放されたきっかけになったはずの勇者の話をしているのに、その笑顔はいつも通り穏やかで。


「勇者との戦いで死にかけて、同族には見捨てられて。あの時はもうこのまま死んでもいい、人間に見つかって殺されてもいいって思ってた。でも僕を見つけた人間は人を呼ぶどころか野菜をくれるし、手当てしようとしてくれるし、僕のこと怖くないって言うし。もう少しだけ生きてみようかなって思えたんだ」


クリスさんが懐かしそうに目を細めて、そして私を見てまた笑った。


「だから、あの時言ったことは嘘じゃないよ。僕が元気になれたのは、キョーコのおかげなんだ」


なるほど、私が昼間あの時の言葉を嘘だと言ったから、それを否定するためにこんな話をしたのか。

確かに彼は嘘をついていなかった。けれど……やっぱり、恩を感じてこんなにもたくさん働いてくれるほどのことではない気がする。あの時の行動は、言うなれば日本人的な義務感で何となくしたことばかりで、何か大層な理由があったわけではないのだから。あれでクリスさんが生きてみようと思ったなら、それはただの偶然だ。私のおかげ、とは違うんじゃないだろうか。

だから、きっと私は、彼に言うべきなんだろう。私は大したことはしていないから、クリスさんが恩を感じる必要なんてないんだと。だから私のことは気にせずに、自分のために時間を使ってくださいと。

分かっているのに言い出せないのは、私の自分勝手なエゴだ。

黙り込んだ私がどんな顔をしているのか分からない。だけどクリスさんが少し困ったような笑顔になったから、きっとまた暗い顔になってしまったんだろう。


「急にこんなこと言ってごめんね。でも、嘘をついたわけじゃないってことは分かってほしかったんだ」

「いえ、はい。それは分かりました」

「だからね、僕がキョーコのために出来ることがあれば、何でも言って?」


クリスさんは本当に、律儀な人だ。今までもたくさん助けてくれたのに、まだそれ以上のことをしてくれようとしている。

だけど、彼に出来ることは何もない。だって私の本当の望みは……たった一つだから。そしてそれは、叶うことのない願いだから。望むだけ無駄だと、もう痛いくらい分かってしまったから。

それなのに、私を見つめるクリスさんの目が、なんだかとても優しくて。ついさっき呷ったお酒の力もあって、思わず口を開いていた。


「……故郷に、帰りたいです」

「故郷?遠い所なの?」

「はい……すごく、遠いところです。空を飛んでも、海を越えても、帰れないんです」


目を閉じると、日本に置き去りにさせられたものが目に浮かぶ。

しっかり者の母と、のんびりした父。生意気だけど優しい弟。可愛い幼なじみ。学校や大学で知り合った友人たち。よく面倒を見てくれた先輩。慕ってくれた会社の後輩。みんな今頃どうしているんだろう。

平凡で代わり映えのない生活。ずっと続くものだと思っていた小さな世界が、今どうしようもなく懐かしくて、恋しい。それを突然奪われて、私はここにいる。

元の世界に帰る方法は、一つだけ。


『あなたが無事に勇者としての役目を果たし魔王を倒したその時に、自動的に元の世界に戻れるよう召喚の術式を設定してあります。それ以外の方法では帰れません』


勇者になれないのだから元の世界に戻してくれと懇願する私に対して、召喚の術を施したらしい巫女が言い放った言葉。勇者になれない私では元の世界に帰れないと、そう宣告されたも同然だった。

だから諦めようと思っていた。今の暮らしも悪くないと思っていたはずだった。だけど蓋を開けてみれば、結局まだ未練を捨てられないでいる。


「……日本に、かえりたい……」


久しぶりにあの時のことを思い出して、涙が浮かぶ。心臓がドクドクとうるさいのはアルコールのせいか、それとも染みついた絶望がまた浮かび上がってきたせいなのか。

クリスさんに泣き顔を見られたくなくて、俯く。するとその直後、ぽん、と頭に温かい手が触れた。


「……キョーコは、ずっと一人で頑張ってたんだね」


ゆっくりと、優しくと言うよりは慎重に、頭の上を手のひらが滑る。

頭を撫でられるなんて、何年ぶりだろうか。恐る恐る顔を上げた先で優しく微笑むクリスさんと目が合って、涙腺が壊れた。次から次に涙が溢れて、流れて、落ちていく。しゃくり上げる私の頭を、クリスさんは辛抱強く撫で続けた。

その優しさが、今はひたすら苦しかった。だって彼は勇者に殺されかけたのだ。そしてその勇者というのは、もしかしたら私がなっていたかもしれないのだ。

私が、彼を殺していたかもしれない。その事実が、こんなにも重い。


「その故郷に帰るのが、キョーコの望みなんだね」


穏やかな声に促されて、素直に頷く。


「……かえり、たい。家族に、友達に会いたい」

「うん」

「ぜんぶ……わるい、ゆめだったら、よかったのに……」

「……そうだね」


クリスさんの手が離れていく。それを寂しいと思う間もなく、パチンと指を鳴らす音が聞こえて体が柔らかくて温かいものに包まれた。


「おやすみ、キョーコ。良い夢を」


彼の言葉には、魔力のような不思議な力があるのかもしれない。

一気に眠気が襲ってきて、私はいつの間にか意識を手放していた。









「ごめんね」


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