きっかけ
作った野菜は自分で食べる分とクリスさんにあげる分と、それ以外は村に持って行って別のものと交換してもらう。例えば主食のパンとか、牛に似た動物の乳とか、干し肉とか。行商人もあんまり来ないような田舎だから、貨幣は使わずに物々交換が基本だ。自分の畑で採れない物はこういう交換で手に入れるしかないのだが、そのために村に行くのが、私はあまり好きじゃない。
貰い受けた小屋と畑は村の外れにあって、私は普段村人と関わらずに過ごしている。村の中にも空き家と持ち主のいない畑があるのにわざわざ離れた場所の家と畑を私に譲ったのは、突然現れた『余所者』を歓迎していないせいだと分かっているから。こちらから必要以上の接点は持たない。今となっては、そのおかげでクリスさんが堂々と私の畑に出入りしててもバレないから助かっているけれど。
それでも私は野菜だけでは生きていけないので、仕方なく週に一度は村を回って必要なものを手に入れる。そのたびに冷たい視線を向けられるのは、日本では図太いと言われていた私だって気になるし、いい気はしない。クリスさんがあの調子で接してくるから、最近特にそういう気分になるのかもしれない。
早く帰ってクリスさんに会いたい。……なんて、本人の前では言えないけど。身体は正直なもので、足取りは自然と速くなっていた。
「キョーコ!」
「クリスさん?」
先程の願いは、思った以上に早く叶えられた。村から出て獣道を歩いていた私の正面から、クリスさんが草木をかき分けるようにして向かってきたからだ。
ただでさえボロボロの翼が枝に当たると、痛いんじゃないかとこっちがはらはらする。いやそれよりも、魔族の彼が村の近くに来るのはマズいんじゃないだろうか。
「ちょ、誰かに見られたらどうするんですか!」
「平気だよ、近くに人が来たら気配で分かるから。それより、大丈夫だった?」
「え?私ですか?」
「いつもより帰りが遅いから心配してたんだ。何かあったんじゃないかって……」
クリスさんは本気で心配そうだ。頭のてっぺんからつま先まで、眉根を寄せてじっと眺めてくる。怪我がないか確認している、んだろうか。
確かに周りはもう夕暮れに近く、普段ならとっくに帰って農作業に戻っている時間だった。それでわざわざ様子を見に来てくれたらしい。このひとはかなり心配性だ。
「何もないですよ。ありがとうございます」
「ならよかった……じゃあ、帰ろうか」
と言いつつ、クリスさんはさらりと私の荷物を全て取り上げて、そのまま踵を返して歩き出した。流れるようなさりげない動作に呆気にとられて、気付いたときには彼の背中……というより翼は数メートル先。
慌ててクリスさんを追いかけて、後ろから呼びかけた。
「私も半分持ちます」
「ダメ。キョーコは女の子なんだから、こういうのは僕に任せて」
「…………ありがとうございます」
クリスさんが翼越しに振り向いてにこ、と私に微笑みかける。
いや、私が十代の夢見がちな女の子だったらここで頬を染めて恥じらいつつ喜んだかもしれないが、もうすぐアラサーを自負している私としては女の『子』と言われるだけで非常にいたたまれないし、この紳士的な態度にも嬉しさより申し訳なさが勝る。私なんぞにそんなスマイルと愛想を振りまいても得しないと思うのだが。
こういう時のクリスさんはにこにこと笑うだけで譲ってくれないことは分かっていたので、結局諦めて運んでもらうことにした。
「今日は随分荷物が多いんだね。どうしたの?」
「最近村の畑が動物に荒らされて、野菜の需要が高まってるらしくて。それで、折角なのでちょっと吹っかけちゃいました。遅くなったのはその交渉のせいです」
「そうなんだ」
二人並んで歩くには道が狭すぎるので、クリスさんが先に歩いて私は後ろについていく。
以前は篭一つに満たない野菜を持って行って篭半分ほどの食料と交換していたが、クリスさんのおかげで生産能率が上がってからは篭一杯の野菜を持って行けるようになった。その上村の畑がほぼ全滅で、今回はいつもより多くの食料を貰ってしまった。今彼が持っている篭は二つ、両方ほぼ満杯だ。
昔の私なら言われるがままに不利な取引をしていただろうけれど、我ながら強かになったものだ。村の人たちに対してあんまり恩がないから遠慮もないし。
「私の畑にはそういう被害がないですよね。森に近い分、こっちのほうが先に狙われそうなのに」
「んー……僕がいるからじゃないかな」
「え?」
「僕、これでも一応強い魔族だから。動物とか魔物は僕に近寄りたがらないと思うよ」
「なるほど、じゃあ私はクリスさんに感謝しないといけないですね」
「僕が何かしてるわけじゃないけどね」
そんな他愛ない話をしながら坂を上って、辿り着いたのは私の畑が見渡せる小高い丘の頂上だ。それなりに大きい木が一本だけ生えているのだが、その木陰がクリスさんの住処で寝床になっているらしい。聞いたところ寝るときは木に凭れているか根元に転がっていて、誰かの気配を感じたら木の上に避難しているそうだ。それでよく眠れているのか、夏の間はそれでいいとして冬になったらどうやって雪と寒さを凌ぐのか、私は密かに心配している。
村からはいちいちこの丘を越えないと畑と家にたどり着けないのは難点だが、私もこの場所は結構好きだ。初めは何もなかった自分の畑が緑で覆われてるのを見るのは気分が良い。
今日も何となく畑を見渡していると、不意にクリスさんが足を止めて振り向いた。
「ここでちょっと休んでいこうよ」
「貰った魚が傷むのでだめです」
「大丈夫だよ、ほら」
クリスさんが篭を地面に置いて、指をパチンと鳴らす。次の瞬間、篭を囲むように氷が出現して、私のところまでひんやりと冷気が漂ってきた。確かにこれなら中のものが傷むことはなさそうだ。
何となく得意げな顔でクリスさんが木陰に座って隣をぽんぽんと叩くから、断る理由もなくなってそこに座った。もちろん少し間はあけたが。
「魔法って便利ですよね……」
「キョーコなら出来るよ」
「そうですか?」
「むしろ、それだけ魔力があるのに魔法を使えない方が不思議だけどなぁ」
クリスさんが首を傾げて私を見る。その目があまりにも純粋に不思議そうにしていて、思わず目をそらした。
魔力なんてものが本当に私にあるかどうかは知らないけれど、もしかしたら日本の、あるいは世界の膨大な人口から私が選ばれてこの世界に召喚されたのは……魔力が強いから、ただそれだけの理由だったのかもしれない。
仮に魔力があったとしても、結局私はそれ以外は平凡な人間だ。召喚した側にもされた私にも、どっちにも利益はなかった。
「僕が教えようか?」
「……いえ、いいです」
「そう?」
魔法が実際に使えたら便利だろう。でも魔法なんて非現実を使ってしまったら、日本人である私を捨てるようで、気が進まない。異世界で暮らしていても、私はやっぱり……地球の、日本で生まれ育った人間だから。
首を振ってお断りし、気付くとクリスさんが眉を下げて私を見ていた。いけない、暗い顔をしていたのだろうか。変に心配させてしまった。彼には関係のないことなのに。
慌てて話題を探して、氷漬けの篭から桃に似た果物を二つ取り出して一つクリスさんに差し出した。
「えーと、クリスさんこれ食べます?珍しい果物らしいですよ」
「うん」
大人しく受け取ってくれたけれど、まだ視線はこっちに向けられたままだ。しかもお互い何となく会話がなくなった。恐らく食べているからだけではない。
今更沈黙が気まずいような間柄でもないが、流石にこの空気はちょっとつらい。また私は話題を探した。
「……そういえば、クリスさんて普段何食べてるんですか?野菜以外を食べてるところ、見たことないですけど」
「キョーコがくれる野菜以外はあんまり食べないかな」
「えっ、あの量で足りるんですか」
普段お手伝いのお礼としてお裾分けしてる野菜は、せいぜいカレーを一鍋作れるくらいだ。それも毎日あげている訳じゃない。あれを食べるだけでお腹が膨れるだろうか。
思わずクリスさんの身体を凝視する。細身だとは思っていたけれど、もしやこれは栄養失調だったのか。
私の視線に動じた様子はなく、クリスさんはのんびりと桃もどきを頬張っている。
「魔族は魔力さえあれば生きていけるから、食事はほとんど趣味なんだ。下級の魔族の中には、人間を食べて魔力を摂取するのもいるけど……僕は満月の夜に魔力を吸収したら、次の満月までは生きていけるかな」
「へぇ……」
栄養失調ではないらしい。それはよかった。
満月だけで生きていけるとは、羨ましい燃費の良さだ。霞を食べて生きるらしい仙人以上である。
言われてみれば、確かに満月の翌日にクリスさんの怪我は一気に治っていた。あれも魔力をいっぱい吸収したからなんだろう。その後も野菜を欲しがっていたのは、ただ単に食べたかっただけか。気に入ってくれたのは嬉しいけども。
……あれ、ということは……
「じゃあ、あの時言ってたことは嘘じゃないですか!」
「あの時って?」
「私の仕事を手伝うって言い出したとき、私のおかげで元気になったからって言ってましたよね。でも今の話だと、元気になったのは前の日が満月だったからですよね。私ほとんど関係ないじゃないですか」
キョーコのおかげで元気になったから、と言われたことは確実に覚えている。でもどう考えても私の野菜はクリスさんの元気には直結していない。てっきり私はあの野菜に彼が恩義を感じて手伝ってくれてるものだと思っていたけれど(あんな少量の野菜に何か効果があったかどうかは元々疑問だったが)、本当は恩も何もなかったということなのでは。
それなのに彼は一ヶ月も土にまみれつつ畑仕事をして、彼の意思とは無関係だとしても動物を追い払って作物を守り、しかも荷物運びまでしてくれている。どんなボランティア精神だ。イケメンは心まで綺麗なのか。
これは、むしろ今までの恩を私が返すべき事態だ。私は立ち上がりクリスさんを見下ろした。
「クリスさん、今夜空いてますか」
「うん、暇だよ」
「じゃあ、是非家に来てください。今までのお礼に、夕飯をごちそうします。させてください」
「それは嬉しいけど、別にお礼されるようなことはしてないよ?」
小首を傾げるクリスさんに「私がしたいんです」と半ば凄んで、今夜の食卓に招待することが決まった。別に今日である必要はないが、折角村の人からいつにない質と量の食料を貰ったばかりなのだ。これを使えば多少はマシなもてなしが出来るだろう。
そうと決まれば、準備をしなければ。荷物を持って家に戻ろうとした私だったが、すぐにまたやんわりと篭を二つとも取り上げられ、結局クリスさんを荷物持ちにして帰宅することになったのだった。