臆病なふたりの告白 2
三十分後。私はいつも通り、畑で農作業に勤しんでいた。……ただし、クリスさんではなくてネイト君と一緒に。
色々とクリスさんに報告することがあるので私抜きで話がしたいとヘンリックさんにやんわりと言われ、まあ魔族だけで話したいこともあるだろうし(あの空気から一刻も早く抜けたかったのもあるし)と大人しく畑に行こうとしたら、私一人だけで作業をさせるわけにはいかないとクリスさんが言い出したからだ。ほんの少しの話し合いの結果、ヘンリックさんとシェリーさんが報告をしている間、力仕事要員としてネイト君が私の手伝いをすることになった。見た目は貧弱だけと力と体力だけはあるから思う存分使ってほしい、というシェリーさんのお墨付きも貰って。
水やりをしながら、声が聞こえない程度に離れた場所で立ち話をする三人の様子をこっそりと窺う。話を聞いて時々頷くクリスさんの横顔は、なんだか固い。
「キョーコ様ー。これ、ここに置いとけばいいっすか?」
突然話しかけられて思わずビクッと肩が跳ねる。水を止めて振り向くと、ネイト君が農具を抱えて私を見ていた。さっき私が持ってきてもらうように頼んでおいたものだ。
「あ、うん。その辺に置いてもらえれば」
「了解っす!他に何かお手伝いできることないっすか?」
「後は、とりあえず草むしりくらいだけど……」
でも力仕事でもないし、自分でやるから大丈夫。そう続ける前に、ネイト君は「はい!」と良い返事をしてすぐさま草むしりに取りかかった。何というか……良い子だなぁ。見た目は高校生か、ヘタしたら中学生くらいなのに。
年下の男の子だけ働かせる訳にもいかないので、私もかがみ込んで草むしりを始めた。けれど、単調な作業をしているとどうしてもクリスさんたちの方が気になってしまって、あまり集中できない。どんなことを話しているんだろうとか、さっきはどうしてあんな険悪なムードだったんだろうとか。でも多分、あの二人も、そしてクリスさんも、私にそれを聞かせる気はないんだろう。
一心不乱に草と格闘するネイト君をちらりと見遣る。向こうに聞かせる気がなくても、知ろうとすることくらいは許されるんじゃないだろうか。
「あの……ネイト君、一つ聞いていい?」
「へ?何っすか?」
まだ少し幼い顔が、きょとんとして私を見た。なんとなく、この子に聞くのはずるいような気もするけれど……今を逃したら、きっともうこんな良いタイミングは巡ってこない。私は思いきって、でも恐る恐る、それを口にした。
「クリスさんは……その、シェリーさんと仲が悪いの?」
我ながら、もうちょっと上手い聞き方はなかったのかと思うような質問だ。でもまさか、クリスさんはシェリーさんが嫌いなの、とか聞くわけにはいかないし。
私の問いにネイト君は思い切り眉を下げて、あからさまに視線を逸らした。やっぱり困らせてしまったけど、聞いた以上は自分から引き下がるのは嫌で、じっと返事を待つ。
「あー、うー……いや、仲が悪いって訳じゃないんすけど……ただクリス様はそのー、シェリー様をあんまり信用してないというか」
「信用してないって、近衛だったのに?」
近衛ということはクリスさんの身辺警護をするひとだったはずで、ちょっと大げさかもしれないけど命を預けた相手だったはずで。その相手を信用してないというのは、きっと普通じゃあり得ない。
思わずそのまま疑問を口にしてしまったけれど、ネイト君はさっきより更に答えづらそうだ。まだ話し込んでいる三人の方を横目で見て、しゃがんだまま私との距離を少し詰めた。
「……シェリー様は、クリス様の姉貴なんっすよ。異母姉弟ってやつで」
「えっ、お姉さん……!?」
声を潜めて告げられたそれは、私にとってかなり衝撃だった。
異母姉弟。確かに魔王様なら奥さんが何人いても不思議じゃないし、クリスさんに兄弟姉妹がいること自体は驚くようなことじゃないけれど……顔立ちも髪と目の色も全然似てないし、姉弟らしい呼び方も会話もしてないし、全く気付かなかった。
私が驚いてることが不思議なのか、ネイト君は少し首を傾げた。
「クリス様のご家族のこと、聞いてないっすか?クリス様は正妃様の子どもなんすけど、腹違いの兄弟姉妹がいーっぱいいて、誰が魔王になるかでめちゃくちゃ揉めてたって話っす」
ぼんやりと想像することしかできないけれど、王族の権力争い、という事なんだろう。王位を狙う争いなら、きっと泥沼の。私にとっては小説かドラマの中だけの世界としか思えないのに、クリスさんは今までそんな世界で生きてきたのか。温厚で穏やかな彼にとって、兄弟姉妹と敵対するのは、どんなに大変なことだっただろう。
彼を初めて家に招いたとき、彼が「馴染めなくて」なんて笑ってたことを思い出す。きっと本当は、そんな言葉じゃ足りないくらいに苦労してきたはずなのに。
「そんで、シェリー様も昔は、魔王の座を狙ってたって聞いたんすよね。俺が近衛になったときにはもうクリス様に仕えてたんで、あんまりよく知らないんすけど」
「それじゃあ……また自分の敵になるかもしれない相手を、近衛にしてたってこと?」
「うーん、まぁ、そうっすね。シェリー様は強いし、それに……」
ネイト君はそこで口を噤み、またあからさまに視線を逸らした。彼の左手が意味もなく雑草を弄んでいるのが見える。
しばらく悩んでいる様子だった彼は、結局その続きは言わず、牙を見せてにっと笑った。
「とにかく、クリス様はものすごく苦労してたってことっす。でも、だから驚いたっす!キョーコ様の前では、クリス様があんな風に笑うなんて!」
「え?」
あんな風に、と言われても……と考えたところで、思い出したのはさっきクリスさんが二人に向けていた顔だった。クリスさんらしくない、あからさまな作り笑い。それを彼『らしくない』というのは私がそう感じただけで、魔王だった頃の彼を知るネイト君にとってはそうじゃないのかもしれない。
『ごめんね、キョーコ。僕もすぐ手伝いに行くから』
ネイト君に私の手伝いを頼んだ直後、クリスさんはそう言っていつも通り微笑んでくれた。ネイト君にとっては、そっちの方が彼『らしくない』笑い方だったのか。
そうだとしたら、私には自然に笑ってくれることは嬉しい、けれど。あの冷たい顔で笑うことが当たり前だった過去のことを、私は何も知らない。
「隊長は、クリス様にもう一回王になってほしいって説得するつもりっす。でも俺……クリス様はここでキョーコ様と暮らす方が、ずっと幸せだと思うんすよね」
ネイト君は更に私との距離を縮めて、ほとんど囁くように続けた。私も彼の方に少し体を傾ける。
「こんなこと、ただの近衛の俺が言うことじゃないんすけど……クリス様のこと、よろしくお願いします!」
真っ直ぐに私を見て笑顔でそんなことを言う彼に、なんだか胸が温かくなるのを感じた。この子はきっと、本当にクリスさんのことを慕ってるんだ。
過去に何があったかは私には分からないけれど、少なくとも心から彼の味方をしてくれてたひとがいた。それだけでも良かった。
「こちらこそ。よかったらこれからも、クリスさんとも私とも、仲良くしてね」
そう言うと、ネイト君は嬉しそうに頷いてくれた。