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【小話】スタートライン

突然だった。

農作業の合間、休憩のためにいつもの丘の上に移動した直後。いつもなら木陰に並んで腰を下ろすのに、木の幹の傍に立ったクリスさんに手招きをされて。疑問に思いながら近づいてみると軽く腕を引かれて、いつの間にか背後には木、正面にはクリスさん、そして顔の横にクリスさんの手。上からのぞき込むように顔が近づいて、金色の髪がさらりと揺れるのが間近に見える。


「あの……これは一体?」

「女の子はこうするとドキドキするって聞いたから。かべどん?って言うんだっけ」


誰に聞いたんですかそれは、とか、私は女の『子』っていう年じゃないですよ、とか、この状況は壁ドンというより木ドンです、とか、突っ込みどころは山ほどあったけれど口に出す余裕はなかった。流石にもう見慣れた顔なのに、これは……近い。

今までも、不意にクリスさんの顔が近くにあって驚くことは何度かあった。だけどそれは農作業の途中がほとんどで、こんな風に覆い被さるような体勢で、吐息がかかるほどの至近距離になったことはない。いや、キスはしたけど、目を閉じてたし顔が近かったのもほんの数秒だったし、そもそもあの時は全く冷静じゃなかったからノーカウントだ。とにかく、視界いっぱいにキラキラしい顔があるのは心臓に悪い。こんな少女漫画みたいなことで、と思わなくもないが、イケメンはどんなに近くで見てもイケメンなのがずるい。


「それで、どう?……ドキドキする?」


じっと目を見つめたまま、囁き声に耳をくすぐられて体温が一気に上がる。思わず右手でクリスさんの胸を軽く押すと、木についていない方の手で優しく握りこまれた。ますます密着する状態になって顔が熱くなる。なんでこのひとはこういうことが普通にできるんだろう。

こうなるともう、顔を横に逸らして視線を合わせないようにするくらいしか抵抗の手段はない。この距離だとクリスさんの肩か治りかけの翼くらいしか他に見るものはないけれど、見つめ合うよりはましだ。

お互いの呼吸と、いつもより速い自分の鼓動と、時々思い出したように風で揺れる木の葉の音と。それだけを聞きながら耐えること数十秒。終わりが見えない状況に限界を感じ始めた頃、ふと。私の右手を包むクリスさんの手がやけに熱いことに気付いた。つい視線を正面に戻すと、さっきと全く同じ近さにある顔が、赤い。


「……なんでクリスさんが照れてるんですか」

「いや、その、ちょっと……こんなに顔が近いの、初めてだなって思ったら……僕の方がドキドキしてきた……」


耳まで赤くしながらそう言って、クリスさんは私から手を離してそのまま顔を覆ってしまった。本気で照れてるのか、翼が忙しなくはためいてぱたぱたと軽やかな音を立てている。

……このひとは、本当に。

やっぱりずるいひとだ。イケメンだからじゃなくて、イケメンなのに可愛いのがずるい。

クリスさんにつられて私の顔まで更に熱くなってきたけれど、幸い彼はまだこっちを見ていなかった。今のうちに、今度は両手でクリスさんを押して無理やり距離を取る。


「もう、いいですよね。とりあえず座りましょう」

「うん……」


私がいつもの場所に座って一息つくと、クリスさんも隣に腰を下ろした。秋の気配が混ざり始めた涼しい風が頬を撫でて、火照りを鎮めてくれるのが心地いい。

この短時間でなんだかすごく疲れてしまった。やっぱり、整った顔はある程度離れたところから見るのが一番いい。もう急にこういうことはしないでくださいね、と言っておくべきだろうか。……いや、クリスさんも自分の行動に自分でダメージを受けてたし、私が念を押さなくても大丈夫かもしれない。どう見ても平凡な顔の私に照れる彼の感性はよく分からないが。

そんなことを考えているうちに顔の熱がほぼ完全に引いたので、横目でクリスさんを窺う。すると彼は少しだけ赤い顔のまま私を見ていて、ばっちりと目が合った。青い綺麗な目が緩む。


「キョーコ、手繋いでいい?」

「……どうぞ」


さっきはあんなに自然な動作で手を握ってきたのに、なんで今度は聞いてくるんだろう。不思議に思いながら手を差し出すと、するりと指を絡められた。所謂、恋人つなぎ。


「かべどんは、僕にはまだ早かったみたい。これが精一杯かな。……今も、ドキドキしてるから」


その言葉の通り、クリスさんの手はまだ熱くて、触れあう場所からじわじわと侵食されるようだった。でもその熱は全然不快じゃない。くすぐったいような、気恥ずかしいような、心地いいような。それを口に出して伝える代わりに、私からも繋いだ手をそっと握り返す。それだけでクリスさんが幸せそうに笑み崩れるから、予想以上に恥ずかしかった。


「……なんで急に、壁ドンなんてやろうと思ったんですか?」


照れ隠しついでにさっき気になったことを聞いてみる。すると、何故か彼はばつが悪そうな顔をした。後ろめたいことでもあるんだろうか。

「……笑わないで聞いてね」という前置きに頷いて、続きを促した。


「昨日泉に行ったら、たまたま村の女の子たちが来てて……見つからないように隠れてたら、その子たちの話が聞こえたんだ。恋人にそうやってされるとドキドキするとか、ちょっと強引な感じがいいとか」


向こうの世界の、少女漫画が大好きな友人を彷彿とさせる言葉だ。どこの世界の女の子も似たようなことでトキメキを感じるらしい。


「それで、その……せっかくキョーコと恋人になれたのに、あんまりそういう雰囲気にならないなって思ってて……これでキョーコがドキドキしてくれたら、きっかけになるかなって、思ったんだけど……」

「……」

「でも実際にやってみたら、僕の方がいっぱいいっぱいになっちゃって……かっこ悪いよね」

「……いえ、それは……」


クリスさんのしゅんとした気持ちを表してるのか、翼が力なく下がった。けれども、それはたぶん、私が悪い。

恋人らしい雰囲気にならないのは、単純に毎日会っても農作業ばっかりしてるのが理由だ。だけど……私が意図的に避けてた、というのもある。元々恋愛経験は豊富じゃないし、ただの知り合いというか農作業仲間だった期間もあるし、今更恋人として接するというのがよく分からなかったから、あえて態度を変えなかった。それでクリスさんが密かに悩んでいたとしたら、彼の気持ちを考えてなかった私のせいだ。

だからといって、急にあんなことをしなくてもとは思うけれど。かっこ悪いどころか、そんな不器用なところも可愛いと思ってしまうくらいには、クリスさんのことが好きだから。お互いの言葉足らずを補う努力はしなければ。繋いだ手にもう一度力を込めた。


「……クリスさんはかっこ悪くないですし、私も、ドキドキしてましたよ」

「……本当?」

「はい。今も、普段もしてます。急に恋人っぽくなるのは難しいんですけど……できるだけ善処します」

「ええと、無理しなくてもいいんだよ?キョーコが嫌なら、今のままでも」


そんなに気を遣われるほど嫌がってるように見えたんだろうか。確かに顔に出にくいたちではあるし、さっきもつい拒絶するようなことをしたけれど。そういうところですれ違いが増えるなら、それも今後は気をつけよう。

ちゃんと誤解を解くためにもハッキリ言わないといけないけど、流石に恥ずかしいので視線は明後日の方向へ向けた。


「嫌じゃないですよ。ただちょっと、慣れないだけで……こういうのは好きなので、これからはあんまり遠慮しないでください」


こういうの、のところで軽く手を揺らす。ここまで言えばようやく安心してくれたようで、うん、という返事は短いのに蕩けるように甘い。


いつの間にか、繋いだ手はどちらも同じ温度になっていた。


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